メディアとつきあうツール  更新:2012-11-03
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<ジャーナリスト坂本 衛のサイト>

かわうち(西早稲田 居酒屋)マップ


西早稲田かわうち地図(640×480 pixel)


●最寄り駅は東西線「早稲田」。高田馬場より出口から4〜5分。
●JRの場合は「高田馬場」から早稲田通りの1本道。ただし、徒歩で20分前後かかります。早大正門行きの学バス(学02)ならば170円で、西早稲田バス停下車。
●副都心線の場合は「西早稲田」下車。池袋より出口2から、明治通りを渡って諏訪通りの左側を進む。早大文学部が見えて下り坂となるところで、通りから真っ直ぐの脇道に入り、すぐの東京国際大学大学院(青い看板)を左折。あとは道なり(小公園をすぎたら右)。駅から約900mで徒歩15分。
●新宿・抜弁天付近からは、職安通りでタクシーを拾えば10分以内。「総務省統計局を抜け、戸山ハイツ(箱根山)の脇から早大文学部を右折。馬場下を左折して次の信号」といえば、たいていのタクシーはわかるでしょう。うまくすればワンメーター、ちんたら走っても800円。

●地図中の小倉屋《こくらや》は、元禄7年2月11日(1694年3月6日)、赤穂四十七士の一人である堀部安兵衛(当時は中山姓)が、村上庄左衛門と決闘する菅野六郎左衛門を助太刀したとき(高田馬場の決闘)、ここで一息入れ、酒を口に含んで日本刀に霧吹きかけた、とされる酒屋です。安兵衛の家は納戸町にあったが、講談・映画などでは八丁堀から駆けつけたとも。阪東妻三郎の韋駄天走りのカット重ねで知られる『血煙高田の馬場』(1937年、マキノ正博監督)は大傑作。志村喬も出ているが、32歳とは到底思えないおっさんぶりが笑えます(もっとも、私見によれば日本映画の最高傑作で「老い」を描く世界最高の映画、1952年の黒澤明『生きる』のとき47歳だから、なんともすごい俳優)。
●「夏目坂」と名づけたのは、一帯の名主だった夏目小兵衛《こへい》直克。つまり、夏目漱石こと夏目金之助の父です。井桁に菊の家紋から「喜久井町」と命名したのもそうで、夏目坂を上がってすぐ左が漱石生誕の地。漱石は、矢来町付近の早稲田通りを「酒井様の屋敷前は、木がうっそうと繁り暗かった」というように書いています(記憶によるので、表現はいいかげん)。『坊ちゃん』の赤シャツ・野ダイコと釣をするシーンで「毘沙門天の夜店で釣り落としたことがある」というのは、早稲田通りを神楽坂まで歩いたわけです。坂本は同じ道を歩いて、またはタクシーで、かわうちに行っております。

●モノクロ地図はこちら
かわうち(西早稲田 居酒屋)マップ白黒版

●Mapion地図はこちら(新しいウィンドウで開きます。ピンポイント天気予報は便利!)
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