平和資料館 草の家だより No.85 発行 2005.1.1 |
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平和の風をおこそう! ―イラク派兵反対、憲法九条をまもる闘いの年にしよう!― |
日本が大きく変わろうとしている。明治維新、1945年の敗戦に匹敵する大変革が起きているという。経済、政治、軍事、文化、環境等あらゆる分野で大変動が起こっている。 戦後60年、戦争を放棄した国がまた戦争する国になろうとしている。 アメリカいいなり、ブッシュ大統領いいなりでイラクに派兵し、さらに多数の国がイラクから撤退をしているのに、小泉首相は自衛隊派遣を延長するという。戦後、日本がはじめて本格的に外国に派兵し、これをてこにして海外どこへでもアメリカと一緒に軍事行動がとれる国つくりをしようとしている。そのための憲法改悪であるが、自民党憲法調査会の「改憲案」起草委員長が元防衛庁長官の中谷元で、こともあろうに改憲案つくりを制服自衛官幹部に丸投げしたという恐るべき事態になっている。 「憲法九条の会」がアピ−ルを発表し、全国各地で講演し盛大な集会となっているように、憲法九条をまもろうという国民はいまなお多数である。今こそ草の根に依拠した運動をすすめ大きな平和の風をまきおこそう。 イラクから自衛隊を撤退させる運動をねばり強く広げよう。 2004年は大型台風が何回も日本列島を縦断し、いたるところで洪水や崖崩れを起こした。地球温暖化と環境破壊が天変地異を起こしているのではないかと考えられる現象が世界中で多発している。日本は紙の消費で世界の大切な原生林を伐採させ、自動車、工場から炭酸ガスを大量に排出するなど地球環境を悪化させている国。 自然環境の破壊を促進するならば、やがて人類は恐るべき終末をむかえると警告する科学者は沢山いる。草の家の「憲法の森」という思想を大切にしよう。 戦後60年を記念して、日本とアジア諸国との友好が発展するように、草の家「中国平和の旅」、「韓国平和の旅」や様々な交流をしよう。 激動する情勢の中で、平和資料館・草の家の存在がますます重要になっている。 西森茂夫館長、平和の風になってどうか私たちを見守り励まし続けて下さい。 |
岡村正弘(副館長) |
「草の家館長西森茂夫さんを偲ぶ会」報告平和をはこぶ風になろう |
玉置啓子(草の家副館長) |
平和資料館・草の家館長西森茂夫さんが8月21日亡くなりました。西森館長は10年前に肝硬変にかかってから、病気と闘いながら平和のために活動してきましたが、昨年以来病状が悪化し、入退院を繰り返す日々となり、家族や多くの人の願いもかなわず、帰らぬ人となってしまいました。 10月10日高知市の男女共同参画センターソーレで「平和をはこぶ風になろう〜西森茂夫さんを偲ぶ会」が、草の家メンバーによる実行委員会の主催で開かれました。会には高知県内外、遠くは北海道や九州から、また韓国からも平和運動、環境問題に関わる人々や文化、芸術、教育関係の人々、また教師時代の教え子や同僚、友人等400名近くが参加しました。また中国、イギリス、ドイツ、オランダ、イタリア、アイルランド、コソボ等海外の平和博物館や平和活動家から多数のメッセージが寄せられました。 会場には白樺や野の草花を使って森をイメージした祭壇と、にこやかな西森館長の遺影が飾られ、西森館長が作詞した「風になろう」の曲が流れるなか、友人の橋本左内牧師が「大地に帰る営み」を行い、全員が祈りを捧げました。そのあと、西森館長の生涯と多方面にわたる業績が映像、音楽、ナレーション、メッセージで構成され紹介されました。 平和運動の原点と空襲展 西森館長の生涯を貫いた思想はすべての生命を大切にすることでした。弱い者の立場に立って、どんな人をも受け入れ、平和を目指しひたすらに歩んだ生涯でした。 大学時代には日米安保条約改訂反対の闘いに「札幌キリスト者平和の会」を組織して参加、平和運動に身を投じる原点となりました。教師となってからは、学校の民主化と生徒達への平和教育に取り組みました。 西森館長がめざした市民一人一人が自主的に集まる運動、地域に根ざした平和運動が高知空襲展でした。高知空襲の犠牲者を調査し、資料を収集し、展示する高知空襲展の活動は今年で26年目になり、その地道な取り組みの成果がついに今年2004年高知市による空襲犠牲者名簿の作成と記念碑の建設実現に実りました。西森館長は病床でそのニュースを見て万感の思いに迫られたことでしょう。高知空襲展は、多彩な平和の催しを集めて平和の文化を創造するピースウェイブの運動に発展しました。 草の家の建設と独創的な活動 高知空襲展を続ける中で、西森館長は資料収集や、市民の自由な交流の場としての平和博物館の必要性を強く感じ、自宅を取り壊して私財を投じ、1989年11月民立民営の平和資料館・草の家を建設しました。 草の家は戦争と平和に関する資料の展示、保存だけでなく、平和や環境問題、平和の文化創造に関する多彩な活動の拠点ともなり、様々な人が訪れ、世界からも注目される独創性を持った平和博物館となりました。 世界平和博物館のネットワークも広がり、西森館長の独創的なアイディアが多くの国の平和活動に影響を与え、海外からたくさんの来客を迎えています。 西森館長は戦争における日本の加害責任を明らかにするため郷土部隊の日中戦争における罪業を調査する「中国平和の旅」を1991年から1998年まで6回行いました。それらの証言をブックレットとして出版したり、中国人戦争被害者の裁判の支援にも精力的に取り組みました。 憲法の森と槇村浩 西森館長の思想のもう一つの柱、それは自然と平和の有機的結合という視点です。環境破壊は現代のもう一つの戦争、目先のことにとらわれず千年先を考える思想として、西森館長は憲法9条を100万本の平和の木を植えるという構想として憲法の森作りにとりくみ、1995年3月19日高知県大豊町立川に憲法の森1号を誕生させました。 また憲法9条を世界に広めようと12カ国語に翻訳したカードを作り、各国元首はじめ、世界の友人達に送りました。 西森館長は郷土の先人にみる自由、民主主義、平和、抵抗の思想を研究、発掘し世に紹介する仕事でも大きな成果を残しました。ライフワークとも言える革命詩人槇村浩の詩集を出版、槇村の番組製作のため来高した韓国テレビ局のインタビューを西森館長は最後の病床で受けましたがそれは、あたかも平和のための遺言のようでした。 アメリカのイラク攻撃に抗して 2001年アフガニスタンへのアメリカの攻撃から、2003年イラクへの攻撃、それに追随する小泉政権の軍事路線に危機感を持って、西森館長はこの間、悪化する病魔と闘いながら、文章を書き、人々と語り、集会へ出かけ、街頭にも立って最後まで力をふり絞って戦争を批判し続けました。しかしそこには、不思議な穏やかさが漂っていて、お見舞いに行った者が館長から逆に希望をもらうような雰囲気すらありました。 平和をはこぶ新しい風を起こそう 西森館長には本当にまだまだ長生きして平和やよりよい世界のために活躍してほしかったです。でも、亡くなられた今もいつもどこかで静かに見守っていてくださるような気がしてなりません。館長の作った歌、「風になろう」のとおり、西森館長は風になって、私たちの周りを吹き抜け、地球のあちこちへ吹いていって平和を愛する人々の心を届けてくださっているような気がします。 |
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歴史と向き合う若者たちV
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「12・4全国同時証言集会―消せない記憶」を終えて 中村麻由子(高知大学人文学部3回生) きっかけは、今年の2月に行った、韓国へのスタディーツアーでした。国際問題に関する授業で知り合った金さんに、「自分たちの目で見てくるのが一番いい」と言われ、学科の友達数人と1週間韓国へ行くことを決めました。独立記念館や独立運動が行われた公園など、たくさんの場所を訪れましたが、一番印象に残っているのが「ナヌムの家」です。 それまで、日本軍性奴隷問題について何の知識もなく、関心もあまり持っていなかった私たちは、実際に元日本軍性奴隷の被害者を目の前にして、何も言葉が出てきませんでした。それから9ヵ月後、再びこの問題と向き合うチャンスが巡ってきました。 12月4日に全国で行われる集会を、高知でもやってみないかと金さんから提案されたのです。本番まであと2ヶ月、実行委員のメンバーもたった5人という状況で、私たちの取り組みはスタートしました。まず、10月30、31日の大学祭で、宣伝もかねて何かやろうということで、ハルモニたちが描いた絵のパネル展示をすることになりました。当日は予想を超える人が見に来てくれて、少し自信がついたイベントでした。私たちには、「これからの時代を担う私たち若い世代の人が、この問題をきちんと知り、自分たちの問題として捉えてほしい」という想いがあったのですが、それはこのイベントによってますます強まりました。 そして、新たに2人のメンバーも加わり、12月4日に向けて本格的に活動を開始しました。企画のメイン・イベントとして、ナヌムの家からペ・チュニ(裴春姫)ハルモニをお呼びすることになりました。高知では、元日本軍性奴隷としての「証言」ではなく「交流会」という形をとることを決めました。 これは、ペ・チュニハルモニが過去のことをあまり語りたがらないということと、私たち自身も彼女を「元日本軍性奴隷」としてだけではなく、ひとりのおばあちゃんとして接してもらいたい、それがこの問題を自分たちのこととして考えるということにつながるのではないかと思ったからです。そこからは、「最低限知ってほしいことを伝えるために、簡単なレクチャーもしよう」、「企画が終わったら草の家で、ハルモニを交えて交流会と打ち上げをしよう」など、色々なアイディアが出てきました。 しかし、企画の大まかな骨組みも決まり、色々な方に宣伝してもらい、チケット売りに奔走していた矢先、残念な知らせが入りました。ハルモニが風邪をひかれて、高知に来ることができなさそうだというものでした。ナヌムの家から連絡を受けた私は、大きなショックを受け、どうしたらいいのか全く考えられないほど動揺しました。そこで、急いで実行委員を集めて話し合ったのですが、みんな「ここで落ち込むんじゃなくて、ハルモニがいなくても実現できる形を考えよう」と、とても前向きだったので、私は次の行動へのやる気とパワーを得ることができました。そして、インドネシアの元日本軍性奴隷被害女性のドキュメンタリー映画の上映と、性奴隷問題の歴史の流れと現在の取り組みについてのスライドショーをメインに、私たちの企画は完成しました。と言っても、準備は当日ギリギリになってやっと終わり、しかも当日はあいにくの雨と、開演を迎えるまで私は不安でいっぱいでした。しかし、予想していた数より倍ぐらいの人が来場し、終了後のアンケートには「来てよかった」、「次も参加したい」など、嬉しい感想がたくさん書かれていました。反省点はたくさんあるけれど、やりとげて良かった、という想いに胸がいっぱいになりました。 たくさんの人に協力してもらい、自分たちだけの力ではとうていできなかった取り組みでしたが、こうして多くの人に何かを感じ取ってもらえる企画を成功させたということは、私たちにとってとても意味のあるものでした。全国同時開催のイベントは終わっても、私たちの中に芽生えた強い想いは、これからも消えることはないと思います。今回協力してくださった方々、一緒にやりとげた実行委員のみんな、当日来場してくださった方々、本当にありがとうございました。 日本軍性奴隷問題に向き合うこと 杉村直哉(高知大学教育学部1回生) 12月4日、高知でインドネシアの元日本軍性奴隷被害女性を描いた映画「マルディエムー彼女の人生に起きたこと」の上映と日本軍性奴隷問題に関するスライドショー、交流会という形で12・4全国同時証言集会を開催しました。私はこの企画を準備しながら多くのことを学びました。 今年の夏に韓国のナヌムの家に行ったはしたものの、日本軍性奴隷問題についてほとんど何も知らなかった私は、はじめ企画をたてることからつまずきました。やはり知らないと伝えることはできないと思い、まず日本軍性奴隷問題とは何なのか勉強しました。社会の問題にたいして主体的に取り組むといったことがこれまでほとんどなかったので、日本軍性奴隷問題に向き合っていくのは大変難しかったです。勉強していくうちに、まったくといっていいほど歴史について知らなかったことに気づきました。日本の学校教育が歴史について何も教えてこなかったと感じたのは、私が勉強しているときよりも、むしろ大学で友達と日本軍性奴隷問題について話をしたときでした。 日本軍性奴隷問題についてまず自分ですることは、日本軍性奴隷にされた女性の証言に耳を傾けることが第一だと思いました。証言を読んで想像してみましたが、想像できることの限界を感じました。勉強していくうちに読んだ資料に、「ドキュメンタリー映画や証言集などで過去の出来事を追体験することはできるけれどもそこで再現可能なのはせいぜい視聴覚レベルであり、事件当時のすえるような匂いや、うだるような暑さ、しびれるような寒さ、汗や血のぬるぬるとする感覚や、気が遠くなるほどの時間の長さ、震えの止まらない指先、凍りつくような恐怖などまで追体験することはできない」と書かれており、まさにその通りであると思いました。 しかし、だからといって想像することをやめてしまうのではなく、そう易々と想像できるようなことではないくらい悲惨な、非人間的なことであったと捉えています。 今回の企画を終えて、自分が日本軍性奴隷問題についてわかったという実感は湧かないですが、人間の尊厳とはどのようなものか少し理解できたことや実行委員会のなかでの意見の違いによる葛藤など人間味あふれる経験ができたこと、問題に対して認識を深めれば、問題に対する見方や考えが変わってくるということなどがわかり、この企画をやってよかったです。これからも今回のような企画もしながら、自分の住んでいる社会について友達と共に学んでいきたいと思います。 仲間と共に 植田二郎(草の家会員) 一ヶ月前、私は草の家の305号室の扉を開けた。私はハングルを覚えたいという気持ちと、実家からすこし離れ、生活環境を変えてみようと思い、皆さんご存知の金英丸さんの部屋へ転がり込んだのだ。 草の家へ来てから、講演を聞きに行ったり(眠ることもあり)、色んな人と話す機会も増えてきた。そんなある日、12月4日全国同時に日本軍性奴隷問題を取り上げる集会が高知でもあるということで、私も興味を持ち参加させてもらうことになった。 なにも分からない私は、「慰安婦」という言葉の意味を知るところから始めた。よく使われている「従軍慰安婦」は自発的に軍に従ったという意味合いが含まれているため適切ではない。でも日本の新聞やメディアでは一般的に使われているということにまず驚いた。色んな資料を読む中、被害者であるおばあちゃん達の証言集やドキュメンタリー映画は私の心に響いた。 実行委員の中で役割を決める事になり、勉強もでき企画も一緒に進められるパンフレット組に入ることにした。パンフレット組は直哉、鈴、私の三人で仕事が終わったあと夜10時頃に集まることにした。 直哉は、国家責任、戦後補償と賠償や「女性国際戦犯法廷」について調べた。鈴はパンフレットのレイアウトや紹介文を書いたり、資料を集めてくれたりした。私は日本軍性奴隷問題のQ&Aや年表を作った。3人で勉強していると面白いことがある、自分が勉強していない所を情報交換して色々学べるのだ。開催まで一週間を切ると、資料とパソコンの前にいる時間が多くなり、緊張と興奮の中、私たちは朝まで作業を進めた。 私は性奴隷問題を学んでいく中で、今現在の社会が「性」に対してどんな認識をもっているのかを考えた。女性の性を商品化している傾向が強く、会社、学校、職場や社会生活の中でも女性への性暴力、性差別が深刻な問題になっている。人間の尊厳として考えるべき女性の性が軽く扱われ商品化、娯楽化されているのは、現在でも続いている女性に対する性暴力の一つなのだ。 いまの社会では自分や身近な人に、その問題が起こる可能性がある。想像してみよう。もし自分や友達、家族が性暴力を受けたら・・・性暴力の問題はただの社会問題ではなく、私たちの身近なところでいつでも起こる可能性があるのではないか。私は今回の活動を通して、社会問題を自分の問題と切り離して見るのではなく、身近な問題から社会を見ることが大事だと感じた。 12月4日の集会を終えて、1つの課題「性奴隷問題」を深く追求していく中で多くのものを得た。仲間と語り合い、共に考え、歴史の真実と向き合う気持ちは、これからも忘れないでいたい。 |
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草の家日誌 |
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9/10 「西森館長偲ぶ会」実行委員会 l
9/11 「NO MORE WAR !9.11集会 こうち」:ドキュメンタリー映画「テロリストは誰?」上映会、ピースライブ、“語りましょう!戦争を、平和を、希望を!” l
9/19 ピースライブ:「ラ・ラ・ラ音楽祭」 l
9/20 平和を考える市民セミナー創立3周年記念講演:野田正彰さん「他者の苦痛に共感を:今、戦争と平和を考える」、高知城ホール l
9/20 第9回草の家平和講座:猪野睦さん講演「昭和初期の反戦運動」 l
9/21 「西森館長偲ぶ会」シナリオ作業部会 l
9/24 「9・11
In Plane Site」高知上映会、山田和尚さん講演 l
9/27 「西森館長偲ぶ会」実行委員会 l
9/28 伊野南中学校3年生徒会見学 l
10/1 「西森館長偲ぶ会」会場下見 l
10/2 小夏の映画会 l
10/4 「西森館長偲ぶ会」リハーサル、事務局会議 l
10/8 一宮東小学校4年生51名見学、岡村正弘副館長の語り部 l
10/10 「草の家館長西森茂夫さんを偲ぶ会」、こうち男女共同参画センター「ソーレ」、約400名参加 l
10/12 四国朝鮮初中級学校へ韓国の本寄贈(約100冊):韓国忠州環境運動連合朴一善さん、岡村正弘副館長他4人 l
10/18 民族文化映像研究所上映会、姫田忠義さんとの座談会 l
10/18 第10回草の家平和講座:鳥居昭美さん講演「平和教育と美育」 l
10/19 土佐山田町山田小学校4年生80名見学、岡村正弘副館長の語り部 l
10/22 「西森館長偲ぶ会」お疲れ会 l
10/23 理事会 l
10/25 バイオミュージックコンサート実行委員会 l
10/30 「第6回バイオミュージックコンサート」、竹林寺、約230人参加 l
11/7 ピースライブ:「源流の歌」、梼原町 l
11/11 草の家創立15周年記念の集い:「西森館長偲ぶ会」のビデオ上映、紺屋茂兵衛さんの演奏、詩集「花いばら」の朗読、草の家の明日を語ろう! l 11/15 第11回草の家平和講座:岡村正弘さん講演「私と高知空襲の語り部活動」 l
11/20 小夏の映画会 l
11/25 北高2年生20名見学、岡村正弘副館長の語り部 l
11/27〜28 平和のための博物館・市民ネットワーク第4回全国交流会、東京第五福竜丸展示館:山根和代さん・金英丸さん参加(報告) l
12/4 「12・4全国同時証言集会:消せない記憶―日本軍“慰安婦”被害女性を招いて」:「マルディエムー彼女の人生に起きたこと」上映、日本軍性奴隷問題に関するスライドショー、交流会、約100名参加、主催-Flowers
Of Peace (高知大学生)、かるぽーと l
12/10 平和を考える市民セミナー12月例会:池田香代子さん講演「やさしいことばで日本国憲法」、県民文化ホール l
12/11 「自衛隊イラク派兵差止訴訟」高知原告団の会 l
12/17 拡大理事会:「草の家の今後の運営について」山下正寿さんから提言、討論 l
12/18 「DAYS JAPAN」の世界を見る会 l
12/20 草の家平和講座修了式 l
第1〜3週金曜日(5時〜7時)、第4週日曜日(2〜4時)、帯屋町で“自衛隊撤退”を訴え市民行動、ピースライブを続けている。 |
2005年
新年交流会 1月15日(土) 午後2:00 草の家ホール |