平和資料館 草の家だより
 
No.84 発行 2004.9.10



平和に心を奪われたいごっそう

―西森茂夫さんを偲ぶー

人はみな静かに生まれて来ました。ですから死ぬとき、世を去るときも静かであるのが自然であります。しかし、多くの人は葬式を賑やかにします。有名人は死んでも有名でありたいし、一般人は世間体に恥じない豪華さを競っていますが、これらは実に哀れというもなかなか愚かなことであります。イエスさんもナザレの里で静かに生まれたのに、「キリスト(救世主)」に祀り上げられてからは「クリスマス」などというバカ騒ぎをしています。クリスマスを最も悲しんでいるのはイエス自身であると思います。茂夫さんもこの地で静かに生まれました。そして、平和の実現のために心を奪われて八面六臂の活躍をしましたが、別れは静かであるのが相応しいと思います。
 北星大学付属高校(元男子高、新札幌高)の校長であった松田平太郎さんが茂夫さんのことを書いた文章を紹介すると「彼はいつも本を読んだりガリを切っていた」のでした。「いつも前に向かってやや猫背ぎみに歩いて行<男の後ろ姿」というのが茂夫さんに関する私の印象です。振り向いて語りかけることは真理と平和のことです。私が北星男子高校に勤め始めたころ、バス停で「イエスとマルクス」について論じているところへ坂西八郎さんが来て「驚いたね−」と言われたことを思い出します。「どうしてこの世に平和を実現するか」の課題に心も体も奪われた土佐のいごっそうでありました。家族にとっても、そのような「おやじの背中」であったことでしょう。

今日、棺に納まった「茂夫さん・お父さん・茂夫ちゃん」を囲んで妻・子供・兄弟姉妹として、交々の思いがあると思います。もう少し妻のことを、もう少し子どものことを、もう少し家や兄弟姉妹のことをという思いは少なくなかったと思います。しかし、肉体の活動を休止した今、例のように振り返って、それぞれの者に語りかけてくれているのではないでしょうか。そして、その時間は、残された私たちが望むだけの長さを保障されています。夫と、弟と、兄と、父と、改めて対話をして頂きたいと思います。復活とは肉体が再現されることではなく、記憶が過去に向かってではなく将来に向かって生きることだからです。

茂夫さんは平和運動家として思想家として詩人として巨大な人物でありました。世の人々はそのように葬儀を希望しているでしょう。その立場からの「偲ぶ会」は後日行われますが、今日は家族として、生まれた日のように静かに明日大地へ送り帰しましょう。世の人々は宗教的に考えて、死後は天国とか浄土へ行くと言いますが、茂夫さんも私たちもそのようには考えません。旧約聖書の詩篇が言っているように、《神は人を土に帰し、「人の子よ帰れ」》と言われるのです。これが事実なのです。そして自然科学者でもあった茂夫さんの信じるところでありました。「憲法の森」に散骨することを希望しておられましたが、大地から生み出された者が、大地へ帰るのです。これからは21世紀を導く「平和憲法の森」で精霊となって語りつづけてくれるのです。

2004.8.20. 橋本左内

イエスと歩む会(牧師)、草の家会員


西森茂夫さんを送る

 

西森さんとの別れのときがきました。出会いは1979年、高知で初めての空襲展を始める準備の時、いまは亡き内田長雄さんの旭町の邸宅でした。以来今日の日まで四半世紀余の日々でした。

この年は高知の平和教育・運動にとって画期的な年になりました。戦後34年目、戦争を知らない世代が三分の二になり、知らない世代世代が知らない世代に「どう平和を伝えていくのか」が課題となり、他方では、憲法改正、有事立法、日米ガイドラインが政治日程になりはじめた時期でした。地域の身近な戦争体験を語り、資料を掘りおこし、資料で語らしめる高知空襲展が模索され、「明日では遅い、今日から始めよう」とこの年7月4日、高知大空襲の日を期して始めた「高知空襲展」でした。高知市民図書館には5日間で9千人の市民が訪れ、私たちは大きな自信と教訓をえました。

第2回展、80年の準備から君の旧家と草の家の現在地にあった物置小屋が私たちの「溜まり場」になりましたね。今回、妹さんから聞いた話では「お兄ちゃんは、子どものときから、いまの場所の空き地にみんなが集まれる集会所をつくる」ことが夢だったそうですね。また、「土地はみんなの物、公共物」と関係者の合意と同意を得られたことにこの際、改めて君と関係者の皆さんに感謝申し上げます。80年代はこの「夢」が実現する第一歩だったんですね。

82年には公的な資料保存を求めて自由民権記念館建設期成会をつくり、高知市に要望しましたが、「戦争関係の資料まではカバー出来ない」と知るや85年5月、民立民営の「平和資料館『草の家』をつくる会」を結成し、結果的には89年11月に草の家、市制百周年の90年4月に自由民権記念館をオープンすることができました。今ではユネスコは二つの館を例示し、世界の平和ミュージアムのモデルとなりました。

これまで展示は君と「二人三脚」で企画を一年がかりで構想してきました。この二年は「西森さんだったらどう考えるだろうか」、「君が居てくれたら」と何度思ったことでしょう。

この夏は異常な暑さと相次ぐ台風で、君の容態を気にしながら、遼子さん、妹さんにお伺いするのみでした。7月4日、君が執念を燃やし訴えつづけた高知空襲犠牲者の「平和の塔」が完成しました。私は君と「同行二人」のつもりで挨拶しました。さようなら。

病魔とのたたかいおえて夏の雲 ほほえむ遺影明日を夢みる。

梅原憲作(草の家顧問、高知・空襲戦災を記録する会 会長)


「2004年 ピースウェイブin高知」成功裏に終了!

「2004年 ピースウェイブin高知」へのご参加、ご協力、ご支援有り難うございます。

『戦争NO! 平和の文化創造を!』をテーマに行った「第22回平和七夕まつり」、「第26回戦争と平和を考える資料展―高知空襲展」、「第21回平和美術展」、「第21回反核平和コンサート」、「第21回平和映画祭」など今年の取り組みは、おかげ様で成功裏に終了いたしました。心からお礼申し上げます。

「戦争と平和を考える資料展」と「アジアの人々と連帯する市民の集い」に寄せられた感想の一部を紹介します。

 

l         と き:7月2日(金)〜7月8日(木)

l         ところ:自由民権記念館展示室

l         観覧者:403名

l         内容:高知空襲展、中国侵略展、イラク・パレスチナ侵略写真展、高知とビキニ展、

写真は直視できないものが多かった。若い時期に軍隊で暴力を浸みこまされた人達が、それを価値観とし、手段として生きたために、そのまた周囲がどんなに大変な思いをしたことか。暴力・力で何も発展的に解決しないことを人はもっと気づく必要がある。―50才、女―

高知空襲展をはじめて見まして、そのひどさ、残酷さに驚きました。何としても、どういう名目であろうと、戦争は避けなければなりません。―70才、男―

ニュースで流れていることだけでは分からなかった事がたくさんの写真で知ってしまった。イラクで、パレスチナでたくさんの子供達が亡くなったり、ベッドの上で何もできずにいるのを見ると苦しくなる。早く笑顔でいられる国になってほしいと願う。―26才、女―

私の子供(小6・小2)を連れて来ました。小2の子が、“昔は戦争で国が貧しかったのに、今はどうして豊なのか?”等を日々口にしているので、連れてきました。この子達の祖父母も戦争を体験していなく、語り継いでいく人が身の回りから減ってきはじめました。このような場所をこれからも多く設けて、悲惨な事実を子供たちに積極的に知らせていかなければと思います。胸がしめつけられる思いがしました。絶対戦争はダメです。―35才、女―

今日戦争に関することの資料を見て、戦争がすごく悲しいことだとよく分かった。日本はもう戦争はしないけど、ほかの国はたくさん戦争をしているから、戦争がない平和な世界になったらいいと思った。 ―11才、男―

イラク国民、とりわけ子供たちはどうなっているか?戦争は過去のこととしてすませない。 ―78才、男―

日本は中国等にきちんとあやまったのでしょうか?そして、許されているのか!!残念ながら自分の胸でかかえるしかないのが、くやしいです。とにかく弱い者が苦しむ世の中、なんかおかしい・・・戦犯はそこかしこ(アメリカでも)たくさんいます。戦争をやめさす方法、誰が教えて下さい。                             ―39才、女―


「第10回アジアの人々と連帯する市民の集い」
〜東アジアの歴史と平和を考えるシンポジウムより〜

“若者に戦争責任はあるのか?”
対話によって縮まる距離
ー中国・インドネシア・韓国・在日・日本の若者が歴史と平和の問題を熱く討論― 

竹内綾(高知大学人文学部)

「私たちが歴史から学んだことは、人間がいかに何も学ばないかということだ」

この印象的な引用句から始まった『第10回アジアの人々と連帯する市民の集い』では、中国・韓国・インドネシア、そして在日コリアンと日本の若者が一同に集い、本音で語り合った素晴らしいシンポジウムとなりました。

第一部では、日本の戦争責任や各国の歴史教育を考えるというテーマのもと、アジアに暮らす私たちの歴史認識の差に焦点を絞って討論しました。また第二部では、私たちに何ができるのか、それぞれがアジアの一員としてどういう関係を築いていくのか、ということをテーマに共通の目標と可能性を十分に探ることができました。

シンポジウムの中で一番印象的だったのは、私たちの世代の持つ戦争責任への見解でした。「政府レベルではっきり責任をとるべき」という意見はもちろん、「戦争の過ちを繰り返さないよう、一人ひとりが平和の担い手となることこそが私たちの戦争責任」という共通の認識が、すでに私たちの間に芽生えているということに気付かされました。

それに反して、日本とその他アジアの国々との歴史教育や、それに伴う歴史認識に大きく隔たりがあると感じたことも、このシンポジウムの成果でした。

「インドネシアはどこの国の植民地だったか知っていますか。」という問いを出したのは、パネリストの一人、インドネシアからの留学生であるファティヤさん。オランダが思い浮かぶ人はいても、日本と答えられる人は多くはないと思います。それというのも日本ではそんなことは習わないからです。しかしインドネシアでは、小学校から高校までずっと社会の時間に勉強するそうです。彼女は日本に来て初めて、日本人がインドネシアへの侵略の歴史を全く知らないことを知り傷ついたと話しました。

続いて日本人パネリストの中から、自分たちの受けてきた歴史教育を振り返る発言が多く出ました。その中で、記号を学ぶようにして歴史を学んできたとの意見が出て、アジアの他の国々との差を感じました。「私たちはお互いのことを本当の意味で知り合っていない」という韓国人留学生パネリストのチョウさんの主張も、そのような差からきているのではないかと思います。 

歴史は学ばなければならないものだから勉強する。戦争は反対すべきものだから反対する。これらの認識も実は、私たちが受けてきた歴史教育と同じくらい表面的なものなのではないか・・・シンポジウム以来、こんな疑問が私の心にくすぶっています。日本人として本音でアジアの人々と語り合える機会を持ち学んだことは、戦争には被害者側・加害者側とひとくくりにできない苦しみがあるということです。そして、後の世代にも長く苦しみを残すものだということです。『なぜ』戦争に反対するのか、『なぜ』歴史を学ぶのか、これこそが私たちの考えるべきことだと思います。


東アジアの歴史と私:若者の記録U

会えて良かった!

吉岡稔(高知大学人文学部)

「一度お会いしませんか?」

『渡り川』というドキュメンタリー映画の中で、在日朝鮮人の金さんが言っていた通りでした。東アジア共同ワークショップに参加し、実際に在日朝鮮人の人たちと話をしてみないと、分からなかったことが多くありました。その中でも、「差別していた私」に気付けたことが最も大きな収穫でした。

ワークッショップ前に在日朝鮮人の歴史や、日本の侵略戦争について2、3冊の本を読み、ある程度理解したつもりでいました。いざ参加して、韓国からの参加者とはすんなりうち解けることができました。それは以前から韓国人の友人がいるし、言葉が通じないにしてもジェスチャーや簡単な英語を使い、韓流ブームということもあって、映画やドラマの話題で話を切り出し易かったからだと思います。

逆に、在日朝鮮人の人にはなかなか話しかけられませんでした。同じ土地に住んでいて、共通の話題も豊富にあるはずなのに。日本語で深く話しができるはずなのに。「もし何か下手なことを言うと、感情を煽ったり、傷つけたりしてしまうかもしれない」という不安があり、『どうしたらいいのか分からない』状態でした。

大した話をできずにいた初日の夜、大阪のある朝鮮学校の教室に布団を敷いた寝床の上で、雑談をしていた在日朝鮮人の参加者に向かって、金英丸さんが突然私の肩を押して言いました。

「この人ねぇ、卒業論文で在日の名前について書くんだって。だから一緒に話してみてよ。」

私は唖然としました。「何てこと言いだすんだよ、金さん。『卒論のために話を?面白半分に研究対象として自分たちのことを知りたいのか、こいつは!』って思われるかもしれないじゃないか。」と内心思いながら、けれど後戻りすることもできず尋ねました。

「祐宗(うぢょん)は通名あるの?」

「あぁ、前は使ってたよ。」

彼の顔は真剣だったけれど、怒りや恨みという印象は受けませんでした。状況によって民族名と通名を使い分けていたこと。大阪・京都は在日が多いから、他の地域よりも比較的民族名を名乗りやすいのではないのかという意見。日本国籍をとった在日朝鮮人の日本名の名付け方など話は盛り上がり、布団の上の人の輪も次第に大きくなっていきました。それを機に意見や質問を遠慮なく出せるようになりました。

ワークショップという集いの中で、金英丸さんに背中を押されながらも本音を言うことになったので、私は一歩前進できました。

どうしたらいいかわからないから何もしない。知っているのに何もしようとしない。それは差別を容認し、助長しているのではないでしょうか。自分が差別を受けていないから。差別を受けている家族、友人、知人がいないから。何もしなくても平気で暮らせるのではないでしょうか。在日朝鮮人は差別されています。差別しているのは、私が属している日本という国家、社会です。ワークショップで出会った友達に不快な思いをさせたくありません。これは私と私の友達の問題です。だから何とかしたい!会えて良かったです!


草の家日誌

l         /19 平和のための博物館・市民ネットワーク全国交流会:日本学術会議平和問題研究連絡委員会・立命館大学共催公開国際シンポジウム「アジアにおける平和博物館の交流と協力」、山根和代・金英丸参加、京都立命館国際ピースミュージアム

l         /21 第6回草の家平和講座:窪田充治さん講演、「フィールドワーク高知の戦争遺跡」

l         /22 伊野南中学校、国際理解・平和学習:金英丸パネル出演

l         /26 2004年ピースウェイブスタートの集い:「イラク侵略と劣化ウラン弾」、森瀧春子氏(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表)講演と写真展、高知城ホール、平和を考える市民セミナーと共催

l         /26 平和七夕まつりつりあげ作業

l         /27〜8/1 第22回平和七夕まつり、京町・新京橋

l         /2〜8 第26回 戦争と平和を考える資料展:1高知空襲展、2イラク・パレスチナ侵略写真展3中国侵略展、4高知とビキニ展、入場者:403名、自由民権記念館

l         /3 第10回アジアの人々と連帯する市民の集い、「東アジアの歴史と平和を考えるシンポジウム」、自由民権記念館ホール

l         /3 第8回 ピースウォークinこうち、主催:高知生協、中央公園

l         /4 高知空襲犠牲者追悼記念碑除幕式:犠牲者約390人分の名簿を納める

l         /4 高知空襲犠牲者追悼集会:嘆きの森

l         /6 第21回反核平和コンサート、県民文化ホール(グリーン)、岡村正弘副館長来賓挨拶

l         /7 中村下田中学校2年生来館:岡村正弘さんの語り部、窪田充治さんの戦争遺跡案内、資料展見学

l         /11 参議院選挙

l         /12 第21回平和映画祭:「アフガン零年・OSAMA」、主催:シネマLTG、県民文化ホール(グリーン)

l         /17 第11回草の家小劇場:「草の根平和構築の可能性:内戦終結後のスーダンから考える」、栗本英世さん(大阪大学大学院教授)講演

l         /17 大阪から千頭正和会員一行来館

l         /17 第21回平和映画祭:「鏡の女たち」、岡田茉莉子さん、吉田喜重監督とのトークショー、主催:四国文映社、高新文化ホール

l         /18 憲法の森草刈り

l         /19 第7回草の家平和講座:池道正さん講演、「憲法九条による日本の安全保障・危機管理」

l         /19〜23 韓国京仁放送撮影陣、反戦詩人「槇村浩」の取材のため来館

l         /20〜24 第10回平和演劇祭:劇団民藝公演「巨匠」、主催:高知市民劇場、かるぽーと(大ホール)

l         /27〜8/1 第21回平和美術展、県立美術館

l         /24〜25 第34回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議参加:岡村正弘、岡村花子、植田幸作、梅原憲作(報告)、神奈川県横浜市

l         /27 バイオミュージックコンサート第一回実行委員会

l         /8〜12 「2004夏東アジア共同ワークショップ」参加:杉村直哉、吉岡稔、和田比呂絵、植田二郎、中山裕美子、藤枝武志、渡邉鈴予、ファティア、金英丸

l         /14 吾北中学校3年生来館

l         /15 第5回平和のための子どもの集い:「小川基さんとアイヌ音楽を」

l         /16 第8回草の家平和講座:弥永万三郎さん講演、「日米安保とアメリカの世界戦略」

l         /17 伊野南中学校3年生来館

l         /18〜23 幡多高校生平和ゼミナール「ビキニ水爆実験調査団」韓国訪問、金英丸案内・通訳

l         /21 西森茂夫館長逝去、午後8時、升形国吉病院

l         /21〜22 戦争遺跡保存ネットワーク全国大会参加・報告:窪田充治・出原恵三、千葉県館山市

l         /24 西森茂夫館長葬儀

l         /24・27 「偲ぶ会」実行委員会

l         /29 第21回平和映画祭:「箱根風雲録」、主催:小夏の映画会、県立文学館ホール

l         /2 事務局会議

l         /2 静岡第一テレビ撮影陣、ビキニ取材のため来館

l         /3 槙村浩祭:墓前祭(午前)、詩の朗読、韓国京仁放送8・15光復節特集ドキュメンタリー「平和主義者の肖像」上映、猪野睦さんの講演「アジアのなかの槙村浩」

l         /4 高知県男女共同参画社会づくり条例制定記念シンポジウム:金英丸パネル出演、県民文化ホール(グリーン)

l        第1〜3週金曜日(5時〜7時)、第4週日曜日(2〜4時)、帯屋町で“自衛隊撤退”を訴え市民行動、ピースライブを続けている。


<平和の語り部・講演・戦跡ガイド活動>

 岡村正弘さん(高知空襲の語り部)

/25北川中、6/27「美しいキリシマ」映画会・美術館ホール、6/29高岡第一小、7/5初月小、7/7下田中・草の家、7/8伊野小、7/9旭中、8/6野市小

 窪田充治さん(戦跡ガイド、平和学習)

/31香長小、6/2南国市母親大会、6/28香長小平和集会、7/2介良小、7/7下田中、7/18高知県母親大会、7/22土長・香美地区教職員、7/27韓国放送大学研修団、8/5岡豊小、8/6介良中

 川村高子さん(空襲の語り部)

/5春野西小、8/6久礼田小

 金英丸さん(平和学習、韓国・朝鮮の歴史と文化)

/23安田中、6/25一宮東小、6/25高知市民の大学、7/1・8高知大平和学、7/10看護を良くする会、7/12文化後援会、7/29安芸教組青年部、8/5安田町中山中、8/6室戸羽中、8/16室戸東中、8/28土佐山田町保育所職員研修、8/28CO-OP若者の勉強会