平和資料館 草の家だより No.83 発行 2004.6.20 |
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最大の危機は最大の機会でもある |
2004年6月14日、日本と韓国の異なる風景 6月14日、国会では米軍の戦争に自衛隊が協力することを定めた有事関連7法案と、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)船舶への適用を想定した特定船舶入港禁止特別措置法案が成立された。アメリカ追従をより強め、「平和国家」から「戦争をする国」へ進んでいく日本。 同じ日の午後、韓国の仁川(インチョン)国際空港には、2000年南北朝鮮の首脳会談4週年を記念する「6・15共同宣言記念大会」に参加するため、朝鮮から120余名の代表団が平壌から直行便で到着、歓迎にきた韓国の人々は朝鮮の代表団を暖かく迎えた。今年の6月15日からは、朝鮮戦争以来、軍事分界線で繰り広げられてきた南北間の激しい相互誹謗と宣伝活動を中止し、西海では武力衝突を防ぐため、南北間共通の信号で無線を使用することまで至った。 朝鮮の“脅威”をつくりあげ軍事国家への道を歩む日本、分断の壁を乗り越え和解・協力への道を歩む朝鮮半島。東アジアにある近くて近いところで、あまりにも大きな格差を感じられる。 憲法を守る意志すらない政府・与党 東アジアの平和よりアメリカ追従だけに執着する政府・与党は、“大義なしイラク侵略”をいち早く支持し、占領軍に間違いない自衛隊をイラクへ派兵してしまった。明白に憲法違反である自衛隊のイラク派兵に止まらず、今まで自ら憲法違反として判断し、「多国籍軍には参加できない」と解釈してきたことを、さらにねじ曲げ多国籍軍への参加まで踏み切ろうとする。なんの議論も説明もないまま。 この政府・与党には、果たして憲法を守ろうとする意志があるのだろうか?憲法にたいする論議が本格的に始まる以前から、曖昧な憲法解釈を繰り返し、多国籍軍への参加を既成事実化しようとするのに、憲法を改悪してしまったらどうなるだろうか?ゼンキンスさん一人の赦免すら得られない、追従に違いない日米同盟に、いつまで執着するつもりだろうか? いまこそ日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ平和の市民連帯を! 「最大の危機は最大の機会でもある」という言葉がある。いまの平和憲法の危機を逆に憲法の意義を積極的に訴える機会として生かす智恵と運動が切実に必要な時期が迫ってきた。 幸に去る10日、「日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを」との呼びかけで、日本の知性と良心を代表する文化人9人による、「九条の会」が発足した。「九条の会」が運動の大きな連帯をつくっていくことを心から願う。 会員の皆さん、あきらめずに平和憲法を生かす連帯の輪を一人ひとりが広げて行きましょう! もう一つ、7月11日の参議院選挙では、イラク侵略、自衛隊派兵に賛成する人には、絶対投票しないように周りの人々に声をかけましょう! 今日も病魔と闘っている西森館長が一日も早く元気になることを祈りながら・・・。 金英丸 |
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韓国への旅で見た歴史と私:若者の記録 |
高知大で山根和代先生の授業を受けている学生たちが、朝鮮半島の歴史を研究・発表することになって、私が1時間くらい朝鮮半島と日本の関係、朝鮮半島の分断などを説明する機会がありました。話の最後に私は「ぜひ韓国へ行って歴史の現場を自分の目で確かめ、韓国の人々が北朝鮮に対してどう思うのかを直接聞いて欲しい」と勧めました。大学が春休みに入る前、何人かの学生が草の家を訪ねてきて「春休みに韓国へ行きたいので案内してください」と助けを求めました。学生たちの決断と行動力に感動した私は、簡単な韓国語会話を教え、キップの手配、日程の調整などを手伝いました。韓国では忠州環境運動連合の朴一善(バク イル ソン)さんが高知の学生たちを暖かく迎えてくれました。 若者たちの韓国への旅、その記録を紹介します。 ―金英丸― |
「ナヌムの家」のハルモニたちと出会って 中山裕美子(高知大学人文学部3回生) |
この旅の目的 北朝鮮と韓国の歴史について調べていくにつれて、日本と両国との関係は避けては通ることの出来ない道のように思われた。北朝鮮を「怖い」「不気味」と述べる日本人こそが、この北朝鮮を不気味な国に仕立て上げてしまったのかもしれない。この問題について考えること、そこに問題があることにすら気付かずに育った20年間。私は、「被爆国日本」の中に生きていた。自分たちこそ戦争の被害者であるといわんばかりに、広島の原爆ドームを見て回った。やられたものは、そのことを忘れない。やったものは、その罪を忘れてしまう。日本という国はまさにその原理がいきづいている国なのだと思う。戦時中日本人は朝鮮をはじめ東南アジアの人々に対し償いきれないほどの罪を犯してきた。しかし私たちはそのことを歴史で学んできただろうか?事実すら教えられないままに私たちは大人になり、考える機会すら十分に与えられないままにメディアに踊らされている。しかもそれを疑うことすらないままに。2004年3月9日私たち5人はいろんな思いを胸に日本を後にした。同世代の韓国人は北朝鮮、そして日本についてどう考えているのか。戦時中日本軍によって連行された元従軍慰安婦のおばあちゃん(ハルモニ)たちは?日本がしてきたことを韓国人はどのように見て、それをどのような形に残しているのか。そして、それを知ったうえで一日本人として韓国人と向き合いこれからの日韓関係に携わっていくことが私個人の今回の旅の目的だった。 ナヌムの家 関空から約1時間。私たち5人は韓国の仁川空港に到着した。すぐに金英丸さんに紹介してもらっていた韓国に住む日本人の方に連絡をとり、ソウル市内へ向かうバスへと乗った。日本と何ら変わらない市内の様子に私は少し拍子抜けしたのを覚えている。違ったことといえば道沿いの屋台の多さと、言語くらいである。彼の案内でその日泊まる旅館を探し、次の日に備えた。次の日はこの旅の一つ目の目的であったナヌムの家に行く日だった。昼に日本大使館前で毎週行われているという水曜デモに参加するため私たちは早めに宿を出た。正直とても奇妙な感じだった。大使館に向かい合い、元従軍慰安婦だったハルモニたちの列に加わり、分からないながらに一生懸命声に耳を傾けた。涙を流す者もいた。昔のこととはいえ、自分の国の人がしたことでこんなにも長い間、こんなにも傷ついているということがショックだった。戦時中のことだから、といって片付く問題ではないと思った。その時私たちが感じていた違和感や罪悪感は少しでも大使館のなかにいる人たちも感じているのだろうかと思い顔を上げると、大使館側には韓国の徴兵された若者たちが万が一のために大使館を守っていた。複雑な思いの渦巻くまま、5人はハルモニたちの共同生活の場であるナヌムの家に向かった。 そこで私たちはビデオを観て、資料館を回り日本が認めていない真実を学ぶこととなった。その後はハルモニたちに何か聞けるといいなと思っていた当初とは違い、話しかけることすらためらってしまったのが本当のところである。彼女たちは私たちをどう感じているだろう。当時無理矢理覚えた日本語で話しかけるのは傷つけてしまうのではないかと言って韓国語を話せるわけではないし。突然目の当たりにした想像以上の混乱に私はその場にいることすらいけないことのように感じてしまったほどである。日本に帰ってきて約3ヶ月。やっと前に進めだせた気がする。私は私のままで彼女らに接していいのだということが、私自身の出した答えである。私は今年の夏、もう一度この地を訪れ、ボランティアスタッフという形で彼女らと時間を共有してこようと考えている。 |
韓国が教えてくれたこと 渡邉鈴予(高知大学人文学部3回生) 私たちは今回スタディーツアーと称して韓国に行くことを決めました。その中で少しでも感じたことをみなさんに知ってもらいたく今回のレポートを書こうと思います。 韓国に滞在して3日目、私たちは金英丸さんの友人、朴一善さんに会いに行くため、ソウルからバスで約2時間のところにある「忠州」を訪れました。韓国に来て初めての長距離バスで、乗り降りに韓国語を全く話せなかった私たちは不安を抱きながらも無事忠州にたどり着くことができました。忠州で私たちを出迎えてくれたのは、いつも笑顔が絶えない朴さんでした。私はその笑顔を見て肩の力がすっと下りたのを今でも覚えています。 忠州はソウルからは南東に位置し、とてものどかなところでした。私がどこかで望んでいた韓国の昔ながらの趣のある、そんな場所でした。 私たちはこの朴さんの実家に2泊泊めていただくことができました。まず感動したのは、韓国の本当の家庭料理が食べられたことでした。出された食事は韓国料理の定番のものから、初めて食べるものまで様々で、何から何までとてもおいしく健康に良さそうなものばかりでした。 それからこの忠州という場所で私たちは、普通の旅行ではできない経験をたくさんさせてもらうことができました。 まず私が印象に残っていることをいくつかお話しようと思います。まず私たちはこの忠州で韓国固有の武道である「テッキョン」を体験することができました。初めはテッキョンをやっているところを見せていただく許可をもらうだけのはずだったのに、「さぁ胴着に着替えて」と言われたときは驚き、そして初めての体験にわくわくしました。みっちり1時間半くらい先生がついて教えてくださいましたが、正直かなりハードなものでした。そしてテッキョンの後は韓国の伝統楽器の演奏練習があったのでそれもついでに見させていただきました。韓国のテッキョンにしろ、楽器にしろ、日本の文化とどこか似ている点を感じました。 次に私たちは韓国に来る前から予定していた、韓国の大学生との交流会へと足を運びました。向かったのは「建国大学」でした。ここは昔からある大きな大学で、大学生は私たちをとても歓迎してくれました。 韓国の大学に行った理由は、韓国の学生が北朝鮮のことをどう思っているのか、また今の世の中で何を感じ考えているのかを聞きに行くためでした。日本にいる私たちとは何が違うのかとても関心がありました。私たちは多くのことを話しました。日韓の歴史問題のことや、今の政治について話し合いました。そして思ったのが、韓国の人は自国であった歴史をよく知っているということです。それに韓国の政治や世論についても関心があり、一人ひとり意見をしっかり持っている学生が多かったように思えました。それに比べ私は韓国と日本の間にあった歴史は表面上(戦争の名前など)しか知らず、韓国の大学生が一生懸命に日本が昔韓国にしてきたことなどを説明してくれているのに、そんな事実が本当にあったことさえも知らず、またそれを受け止めるのに時間がかかり、もどかしさを感じました。 そのとき私は、なぜそんな事実を知らないのだろうと疑問に思いました。それは日本で歴史を教わらなかったからだと言われました。教科書からその内容が消されているのだと聞き私はショックを受けました。知らないといけないことを知る大切さ、無知は恥ずかしいことではないけれど、場合によっては人を傷つけてしまうこともあるのだと思いました。しかしそこで教えてもらったことは、私にとっては全てが勉強であり、とてもいい話が聞けたと感謝しています。 それから私たちは建国大学を後にし、次の日に向かったのが「天安」にある「独立記念館」でした。 まず敷地の広大さには驚きました。巨大なモニュメントがあちらこちらにあり、なにか大きなものが中に待ち構えているようなそんな気がしたのを覚えています。 独立記念館に入ると、韓国の歴史が書かれたパネルや写真があり、少しだけ日本語で説明があったのでそれを読んでできる限り理解をしようとしました。入館して半分ほど進んだところに、昔戦争時代、日本軍が韓国人にどれだけひどいことをしてきたかが実際に体験できるコーナーがあり近づいてみましたが、あまりの冷酷さ、無惨さに足が立ちすくみ進むことができませんでした。拷問を受けている韓国人の横でさも楽しそうにあざ笑っている日本軍兵。そんなおぞましい光景を見ると、私は戦争について何も知らなかったのだと心底感じました。そんな私の横で朴さんが一緒に見ているのを思うと、いたたまれなくなりました。今こそ日韓交流が盛んになってはきていますが、私の周りにいた韓国人の方を見ると、平常心ではいられなくなって、胸が張り裂けそうでした。 それでもやっと独立記念館の半分以上を3時間かけて見終え、私たちは朴さんとお別れするときを迎えました。 今回、韓国を旅してきてたくさんの方々に助けられ協力してもらい、ここまで多くのことを経験することができました。私は今回の旅を振り返り、韓国を韓国側と日本側からもっと見てみたいと思い、韓国語を学び始めました。きっかけは多かれ少なかれ、私にこれからしなければいけないことは何なのかを教えてくれた韓国の旅と出会えた人々に感謝したいと思います。 |
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「資料」 憲法しんぶん速報版 第88 号 2004年6月10 日、発行=憲法会議、Tel
03-3261-9007、Fax 03-3261-5453 有識者9人による「9条の会」発足、憲法改悪反対運動の大きな連帯へ |
「日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ」、「一人ひとりができる、あらゆる努力を」とのよびかけが、10日、日本の良識を代表する有識者9人によっておこなわれました。大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、鶴見俊輔の5氏が記者会見、憲法改悪に反対する大きなネットワークをつくる決意を明らかにしました。 記者会見では、別項のアピールが発表されるとともに、このアピールに名を連ねた9名による「9条の会」を発足させたことが報告されました。 「会」を代表して冒頭に発言した加藤周一氏は、日本国憲法9条の改悪が現実の問題となっているいま、これまでさまざまな分野、地方でバラバラにおこなわれてきた運動の大きな連帯をつくっていく必要があり、その推進的役割を果たしたいと語りました。つづいて、参加した他の4氏が、9条をまもることにかける思いを熱気をこめて語りました。 |
「9条の会」アピール 日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。 ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。 しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。 二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。 憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。 私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。 2004年6月10日 井上 ひさし(作家)、梅原
猛(哲学者) 大江 健三郎(作家)、奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家)、加藤 周一(評論家) 澤地 久枝(作家)、鶴見 俊輔(哲学者) 三木 睦子(国連婦人会) |
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2004年度 草の家総会 報告 |
去る5月15日、2004年度草の家総会が開かれました。総会では、「アジアをつなぐ若者たち」のビデオ上映、活動報告、活動方針の決議、決算報告、予算承認、役員選出などが行われました。平年に比べ、参加者は少なかったのですが、いまの情勢や草の家の未来について活発な議論を持ちました。 事務局体制に関しては、西森遼子さんが西森館長の看護に全力を尽くすため事務局長を辞め、金英丸さんが新しい事務局長となりました。会計の事務は引き続き西森遼子さんにお願いしました。西森遼子さん、長い間、ありがとうございました。その他、理事の河野弘江さんが週3回事務局の仕事を手伝うことになりました。河野さん、役員の皆さん、今年もよろしくお願いします。 運営上の課題としては、経済的な問題が出てきました。会員の拡大、会費の納入、収益事業の活性化、カンパのお願いなどにもご協力お願い申し上げます。 |
2004年度平和資料館・草の家 活動方針と計画 |
1.イラク侵略の不当性を明らかにし、占領に加担している自衛隊の派兵を一日も早く止めさせる力になる。 :ブッシュ大統領のイラク侵略における犯罪性、劣化ウラン弾の被害を明らかにしつつ、国際的な反戦の動きを知らせ、連帯の行動をおこす。 |
2004年度 役員 ◆顧問:鳥居昭美、梅原憲作 ◆館長:西森茂夫 ◆副館長・岡村正弘、玉置啓子 |
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草の家日誌 |
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4/3 全視協、三瓶和寿さん来館 l
4/4 こうちまんがフェスティバル2004、「まんがDEから騒ぎ・外国人トークショー」:金英丸パネル出演、かるぽーと l
4/4 高商連青年部学習会:金英丸講演、香美郡民商会館 l
4/6 潮江絵本を楽しむ会:金英丸、韓国の昔話しと絵本 l
4/8 事務局会議 l
4/10 西土佐村平和学習:金英丸講演 l
4/19 第4回草の家平和講座:玉置啓子さん講演、「中国民衆と中国人民抗日戦争記念館」 l
4/20 ピースウェイブ実行委員会 l
4/23 2004年第1回理事会 l
4/24〜26 オーストラリアの平和学研究家マリー・アン・ハンセンさん一行来館、会員と交流会(24日) l
4/25 憲法の森草刈り l
4/26 平和を考える市民セミナー総会:竹内綾さん講演「パレスチナに暮らす人々」、草の家 l
4/30 法学館憲法研究所、大川仁さん来館 l
4/30 介良小学校:韓国の歌授業、金英丸指導 l
5/11 潮江絵本を楽しむ会:金英丸、韓国の昔話しと絵本2 l
5/13 事務局会議 l
5/15 草の家定期総会 l
5/16 日朝協会高知県支部総会:金英丸講演「分断の壁を超えてゆく朝鮮半島、そして東アジアの平和と市民連帯」、高知城ホール l
5/17 第5回草の家平和講座:植田省三さん講演、「朗読を通して学ぶ戦争」 l
5/22 「播磨灘を守る会」一行40名来館、憲法の森と草の家 l
5/26 岡豊小学校平和の語り部:岡村正弘さん l
5/28 平和を考える市民セミナー5月例会:天野弘幹さん講演「その罪だれが償うか:“流転”の著者が語る731部隊の真実」 l
6/2 吾北中学校国際理解学習:金英丸講演 l
6/4 第22回日朝連帯青年女性集会:金英丸講演「これでいいのか、日本と朝鮮:韓国の平和運動家からみた、日本の今」、自由民権記念館 l
6/5 第26回安芸郡市教職員の集い:平和教育分科会、金英丸講演「東アジアの市民連帯:“非正常”の冷戦から“正常”の平和・和解へ、田野町ふれあいセンター l
6/6 全国統一反戦行動「自衛隊のイラク派兵に反対する意思表示を!」、2時〜4時、帯屋町 l
6/8 ピースウェイブ実行委員会 l
6/13〜14 「森の子どもの村」おばば来館 l
第1〜3週金曜日(5時〜7時)、第4週日曜日(2〜4時)、帯屋町で“自衛隊撤退”を訴え市民行動、ピースライブを続けている。 |
会費納入と活動カンパ、「2004年ピースウェイブ」支援のお願い
会員の皆さん、お元気ですか。いつも暖かいご支援有難うございます。 5月に「草の家」定期総会で新しい役員が決まりました。館長の病状はきびしくて活動できる状況ではありませんが、皆で力を合わせ協力してやって行くことになりました。よろしくお願いします。 イラクの自衛隊のこと、朝鮮問題、年金、介護、憲法等、問題山積です。草の家の運動も益々大切になっています。金英丸が事務局長で大学生や若い人が参加するようになり、新しい活動分野が広がっています。皆さんのご参加を期待しています。 6月26日から「2004年ピースウエイブ」が始まります。活動資金もいります。 会費納入と資金カンパをよろしくお願いします。 会費用とピースウエイブ用2種類の振込み用紙を同封します。直接草の家に届けていただいても結構です。 ―副館長 岡村正弘― |