平和資料館 草の家だより
 
No.79 発行 2003.6.10



「有事法制が日本を守ってくれる」という「亡霊」

第4回平和博物館国際会議で

去る5月ベルギーで開かれた第4回平和博物館国際会議に参加した。山根先生の紹介で世界各国の参加者と交流する際、ありがたいことに多くの方より西森館長の健康を気遣う言葉をいただいた。また草の家の活動にも深い関心を示してくれ、世界の平和博物館ネットワークの中における「草の家」の役割と位置づけを実感することができた。

私は、今年の3月19日から高知で続くイラク侵略反対市民行動と東アジア平和市民連帯の重要性について発表した。過去の歴史的な記憶を現在の問題にどう結びつけるかという側面からも、今回のイラク侵略戦争は世界の平和運動にとり、現在私たちの抱えるとても大切な課題である。にもかかわらず、今回の会議で、この問題がしっかりと捉えられなかったことは残念であった。ただ、参加者と反戦活動の経験を話す中で強い連帯意識を感じることができ、また実際にヨーロッパの街のあちらこちらで、反戦の旗や「ブッシュを国際刑事裁判所へ」と書かれた横断幕などを目にすることができ、ヨーロッパにおける高い反戦の熱気を確認した瞬間となった。

国家の境界を越え、ヨーロッパ共同体へ

今回の会議に参加し一番印象に残ったのは、地域共同体に向かって進むヨーロッパの動きであった。列車や飛行機に乗り国境を越える際、何の検査もいらず、統一された通貨を使うため両替の必要さえなかった。ビザや入国審査、税関検査などの複雑な過程を済まなければならないアジアでの越境を思うと、とてもうらやましく思えた。ヨーロッパ連合の国々をまるで国内のように車や列車で自由に移動する若者たちを見て、国家の境界を越えることの意味を再び考えさせられた。今回の会議でも、イタリア、スペイン、フランス、オランダなどの参加者は自家用車でベルギーまで来た。人が国境を自由に越えられるということは、つまりは多様な文化や価値観なども自由に交流できるということだろう。そして、侵略の帝国、アメリカの暴走を阻止するためにも、地域共同体へと向かうヨーロッパの動きはこれからもっと加速するだろう。

「有事法制」と東アジアでの平和

地域共同体の和解と協力へ向かい進むヨーロッパと比べ、東アジアの現実はどうだろうか?

アメリカの戦争を支援するための戦争準備法が「有事」の名前で作られた。北朝鮮の脅威を言い訳に軍国主義化する日本の保守政治勢力の意図は、教育基本法改悪、平和憲法改悪の動きに明らかに現れている。現在、世界第1、2位の軍事力を保有する超強大国アメリカと日本が経済危機の北朝鮮を相手にする“恐喝と脅迫の綱引き”は東アジア地域に何より深刻な危機状況を生み出している。

最近、韓国の盧武鉉(ノ ム ヒョン)大統領と小泉首相が次々とアメリカを訪問した。両国の首脳は、アメリカの軍事主義の牽制と平和実現を望む東アジア市民の意志を無視し、屈辱的な対米追従外交を見せた。このことにより、アメリカの軍事的、政治的、精神的な植民地状態からの解放が、日本と韓国の両国に何よりも切迫な共通の課題だということを再確認した。

東アジアの平和を威嚇する日韓の軍事同盟に抵抗するには、東アジア平和共同体のための市民連帯をもっと強化すべきである。これは、「戦争」か「平和」の選択を強いられているわれわれの、「生存」に直結する問題でもある。

このような東アジアの市民連帯は、普遍的な歴史認識の共有という土台より出発すべきである。「創始改名」の妄言で問題となった極右政治人「アホ太郎」(麻生太郎)は、お詫びはしたものの、発言の撤回はしなかった。(彼が1979年まで社長に努めた麻生グループの母胎企業、麻生鉱業所は九州最大規模の朝鮮人強制労働鉱山である。1944年まで約8000人の朝鮮人が強制連行された)

「拉致ファシズム」を助長し、日本の核武装を主張する阿部晋三官房副長官、北朝鮮に対する「自衛的先制攻撃」を公言する有事法制成立の主犯石破茂防衛庁長官、拉致家族の奪還のため「対北朝鮮戦争」を扇動する石原慎太郎東京都知事のような極右政治勢力は、今「大東亜共栄圏の復活」を夢見ている。

ドイツのミュンヘンで訪ねたナチの虐殺現場、ユダヤ人収容所「ダッハウ」(Dachau)の正門には「労働は自由への道」(ARBEIT MACHT FREI)と書かれてあった。60余年前、多くのユダヤ人は「労働は自由への道」という言葉を読みながら「死の道」へと歩き進んでいったのだろう。今、「有事法制が日本を守ってくれる」という「亡霊」が日本社会を漂い始めている。

金英丸

会員の皆さん、国際会議参加費をため、ご協力して下さり、本当にありがとうございました(コマッスムニダ)。


第四回平和博物館国際会議に参加して 

山根和代

 第四回平和博物館国際会議が、ベルギーのオステンドで5月5日から5日間、開催されました。アメリカ、イギリスを中心としたイラク攻撃と新型肺炎の影響のために参加者が予定より少なく、17カ国から60人が出席しました。日本から参加したのは、「草の家」、「第五福竜丸展示館」、「太平洋戦史館」の代表者と平和研究者のみでした。(8名参加)

国際会議では、「戦争の記憶から、平和教育へ」というテーマで、交流を行いました。今回初めてキム・ヨンファンさんと参加しましたが、英語で様々な国の方と活発に交流をされ、大変心強く思いました。私は、全国の平和博物館にアンケート調査を行い、その中で「草の家」が重要な役割を果たしていることを英文でまとめました。発表時間7分という非常に限られた時間でしたが、発表原稿は英文で、次のホームページで読むことができます。

www.peacemuseums.org

その中で、「キムさんが『草の家』で活躍されるようになって、若者の参加が増え、すばらしいことだ」と書いたところ、アメリカの方が「あなたは、キムさんにお金をもらって、そのように書いたのですか?」と質問されました。キムさんは、すまし顔で「ええ、100万ドルを払いましたよ」と冗談を言ったので、大笑いしました。キムさんは、日本語や英語だけでなく、フランス語もわかり、ユーモアのセンスも抜群で、改めてすばらしい青年だと思いました。

以前「草の家」の活動をモデルに、イタリアのミラノで平和博物館活動を行っておられるピエーラさんと、そのおつれあいのジアンカルロスさんに再会しました。ブリュッセルにあるヨーロッパ議会へ行く前に、どのような要請をしようかと話し合いました。ピエーラさんが以前「草の家」に来られた時、鳥居昭美先生の「憲法の森」の版画をいただいたそうで、「日本の憲法第9条のように、戦争を放棄する条文を、ヨーロッパ議会の憲章に入れたらどうでしょう?」と提案されました。(鳥居先生の版画の力は、すごいですね。)イタリアの憲法第11条にも、同じような内容があるとのことで、数名の議員に会って提案しました。その他、ブリュッセルに平和博物館を創ること、現存の平和博物館への援助の要請もし、今後検討するという回答でした。

またスペインのラバルドウイショでも、「草の家」をモデルに平和博物館が作られましたが、そこから初めて国際会議に2名(マリアさんとローラさん)参加されていました。そこのホームページには、以前岡村夫妻が「草の家」を代表して広島・長崎の被爆者のパネル写真を贈呈されたことが、スペイン語で紹介されています。

さらにパキスタンのカラチ大学教授のシカンダー・メーディ(Prof. Sikander Mehdi)氏に、「草の家」の活動について話すと、インドとパキスタンの国境に平和博物館を創りたいと考え始め、国際会議で発表をされる予定でした。しかしヴィザが間に合わず、参加できませんでしたが、今後の御活躍が楽しみです。詳しくは、今後「草の家」での報告会-6月28日(土)14時-で、お話させていただきます。

最後になりましたが、国際会議参加費として多大な募金をして下さいまして、本当に有難うございました。心から、お礼申し上げます。

 

STOP! 有事法制5.23大集会」に参加して

和田比呂絵

私は、今回東京で行われた‘Stop!有事法制5.23大集会’に代表として参加した。そもそも私が、このような活動に参加するきっかけになったのは、帯屋町で毎日2回行われたイラク戦争反対集会に参加するようになってから。当初は、本当にはずかしくて、やめてしまおうかと、何度も思ったこともあった。が、昨年旅で訪れたインドやタイの貧しい人の顔が、どうしてもイラクの人と重なり、私は看護士であるため、不規則であったが、夜勤明けでも参加し続けた。

武力攻撃が終わり、参加者と話し合い、週2回の街頭アピールにし、加えて勉強会をしていく内に、有事法制の意味に気付き、有事法制反対をメインに街頭でアピールしていくことになった。それで今回、東京で大集会が行われるというので参加してきた。

1日目は、まず2名の参議院議員さんに全国集会の呼びかけをした後、会議室で、各グループの報告。国会議員会館前でパレードをしたあと、参加者3万人!!の集会に参加した。歩いて、明治公園から青山―赤坂―国会前―日比谷公園(約5キロ)へとメッセージが書かれた12mの模造紙を持ったまま!2時間、街頭デモ行進をした。警察からは、ずっと監視されていた。自民党本部前では規制があり、各グループの旗を降ろすこと、メガホンで叫ばない事等あり、反発の声があったりして、初めて参加の私は、随分戸惑った。それとは、うって変わって、国会議事堂前では、社民党、日本共産党の議員さん達が私達を出迎え、激励してくれました。私は、全くと言っていいほど、政治の事はわからない。なのに、どうして、同じ市民の為に頑張てるはずの政党の自民党や社民党、日本共産党なのに、こんなにも差があるのかと疑問に感じた。

2日目は、北は新潟、南は湯布院からの諸グループの交流集会では、米軍基地、北朝鮮問題と有事法制について、議論を深めた。

会議中、こんな発言があった。‘’若い人は、イラク戦争の時は、パレードしたりワーっと盛り上がって反対したのに、有事法制となると全く関心を示さない‘’。本当にそう思うの??と、私はその人に聞き返したい気持ちでいっぱいだった。ただ、楽しいこと、‘正義’と掲げる行動に参加し、自己満足している訳ではない。有事法制を知らないだけ。じゃあ平和活動している自分達だけが、すごくて正しいことをしている人なのか?それでは、本当の平和は訪れないと思う。自分と違う人を許せなくて、どうやって違う文化の人、国の人を理解するのか?イラクの人は許せて、同じ日本人は許せないっておかしい。

平和は、まずいる自分の隣の人から、理解し、許すこと。マザーテレサが残した言葉。かくいう私もその内の1人かもしれない。だから、自分に言い続けます。まずは、理解しようと、努力すること。



 韓国「ナヌムの家」訪問と、コンサートのご報告 

岸本寿男

韓国の「ナヌムの家」を2003年3月30日に訪問し、念願のコンサートをして来ましたのでその様子をご報告したいと思います。ご存知の方もおられるかと思いますが、まず「ナヌムの家」に訪問することと、そこで元従軍慰安婦のおばあさん、ハルモニ達に尺八の演奏をおきかせするということになったいきさつを簡単にお話します。

きっかけは、4年前にこの施設でボランティアスタッフをされていた米倉真由美さんが草の家を訪問したことに始まります。その際、私のCD「SKY & WIND」を購入して持ち帰り、ハルモニたちに聴かせていたところ、とても気持ちが休まるといい、できたら一度生の音が聴きたいという声が出てきたとのことでした。

そのことを聞いた西森館長から、その年の草の家主催のバイオミュージックコンサートで訪問コンサート実現に向けての提案がなされて、具体化への動きが始まりました。募金も集まり、いよいよ実現しようという矢先に、残念ながら先方の事情などで、延期となり、その後日本人ボランティアスタッフも2年ほど不在の状態などが重なり、なかなか実現しませんでした。

今回の訪問は、たまたま仕事で韓国ソウルにある国立予防衛生研究所での医学講演の依頼があったので、このチャンスを是非生かしたいと思い、出発の1週間前でしたが西森館長に連絡したところ、韓国からの交換留学生キムさんを通じ、ナヌムの家に連絡をとっていただきました。早速今年から日本人ボランティアスタッフとして働いている矢嶋さんから電話があり、今回伺うこととなったわけです。

当日は以前から韓国国立予防衛生研究所先生方にこの計画をお話していたこともあり、研究所の方々が車で送迎してくれました。しかも日本人がわざわざ行くというのに自分達が行かないわけにはいかないと、休日にもかかわらず6名も同行してくれました。

3月30日の8時半にソウルのホテルから車で出発。1時間半程度走ると、静かな山間の田畑に囲まれてナヌムの家が建っていました。矢嶋さんやソウル在住の日本人ボランティアの方2人、それとハルモニの一人がすぐに出てきて歓迎してくれました。矢嶋さんは映像ジャーナリストで、今年からスタッフとして働いているとのことです。まずは彼から「ナヌムの家」の概略の説明を受け、ホールでハルモニのビデオを見せてもらった後、他のボランティアの方とともに資料館を案内していただきました。ショッキングな内容に心が痛みましたが、やはり直接自分の目で見て知る、感じるということが大切なことだと再認識しました。とても意義深い経験でした。

資料館を見た後、再びホールに移動するとちょうど11時ころになっていてハルモニたちも次々と集まってきて、コンサートをはじめることとなりました。はじめに「やっとこれました」と言うと、ハルモニのひとりが「もう来てくれないのかと思ったよ」という言葉があり、ほんとに待っててくれたんだと感激しました。

最初の曲は韓国では誰もが知っているという曲「ハノベンヨン」(500年の恨)を演奏しました。これは私の友人でもある研究所の先生が是非演奏して欲しいと楽譜をメールで送っていてくれたものです。皆さんが一緒にハミングする声が聴こえました。その後は私のオリジナル「スプリング・シー」「SKY & WIND」や石の笛で「もののけ姫」を吹いたりして、後半は韓国の歌「アリラン」「釜山港に帰れ」日本の歌では「五木の子守唄」「中国地方の子守唄」「春よこい」「春がきた」「赤とんぼ」などをハルモニたちも日本語が堪能な方も多く、一緒に歌ってくれました。最後は「上を向いて歩こう」でたのしく1時間のコンサートを終えました。

実ははじめる前、昔の日本の曲はどうかなとチョット気になっていましたが、昔の忌まわしい記憶と、懐かしい歌とは直接つながっていないんだということがわかりほっとしました。歌は懐かしい楽しい思い出とつながってるんですね。とても和やかで、音楽の癒しの力を再認識できた貴重な体験でした。

コンサートの後は、一緒に昼食を頂き、その後でも珈琲を飲みながら、尺八で昔の日本の歌を歌ったりと、すっかり打ち解けた雰囲気でした。最後に記念写真を外で撮って、名残を惜しみながらナヌムの家を後にしました。車が遠ざかるまで大きく手を振ってくれたハルモニの姿がいまも目に焼き付いています。

以上、簡単なレポートでしたが、今回私にとってこのような忘れがたい体験をさせていただけたことを、関わっていただいたすべての皆さんに感謝いたします。また今年の10月に高知でバイオミュージックコンサートを予定していますので、その際にもご報告させて頂きたいと思っています。


「津賀ダム」朝鮮人強制連行犠牲者のお墓を訪ねて 

佐藤耕平(高知大学4年)

幡多は高知市に暮らしている私にとっては、緑がきれいな美しい土地だった。その日は天気もよく、仲間たちとの小旅行に心が弾んだ。今回は、幡多高校生ゼミナールに同行しての訪問であり、戦前や戦時中に「強制連行」され亡くなった朝鮮の人たちのお墓参りをし、さらに彼らによって建設されたという津賀ダムを見学するというもの。高知にも「強制連行」と深く関わる遺跡がある事実を、私はこれまで知らなかった。他のどこでも見たことはなかったし、持ちあわせの知識もとても薄っぺらなものだったので、これを機に何かしら学びとれたらよいという気持ちで参加させてもらったのだった。

大正町には入り、さっそく「当時」を知る宮本さんに案内してもらった。ちょっとした山登りだ。私は列の後ろの方を歩いていて、前の人たちが立ち止まって何かやっていると思ったら、そこが「金本菊子」さんのお墓だった。文字を彫った石のお墓。当時たった5歳だった女性のお墓だ。何かやっていたのは、イノシシがそのお墓を突き倒してしまうので、宮本さんが毎回それを立て直すのだという。それからいくつかの、ただの石のように見えるお墓にも案内してもらった。その後、もう一人の案内人の中平さんをたよって、別の場所でも今度は名前もわからない大勢のお墓(津賀ダム朝鮮人犠牲者の墓標)を見た。みんな一人ずつ手を合わせて、花などをお供えした。厳粛な雰囲気になる。高校生も、静かに先生らの話に耳を傾けていた。

けれど、例えば知らない女の子の、しかも生きていたとしたら私よりもはるかに年上の女性のお墓に手を合わせるというのは、とても不思議な感じだ。はるばる朝鮮半島からやってきて、おそらく幸せだったとはいえないだろうこの人たちに対して、私たちはどのような気持ちで向き合うべきなのだろうか。家族や友人の不幸のように悲しむことは、私には考えられない。

戦前、戦時中に日本に渡った朝鮮人は、それぞれ「募集」「官斡旋」「徴用」の三段階で来日しているという。それが文字通りの「強制連行」でなくとも、日本による侵略の過程で朝鮮の人々の仕事を奪い、彼らを母国から遠く隔ててしまったことは大きな悲劇であり、繰り返してはいけない。もう終わったことだけど、彼らのことを忘れてはいけない。

宮本さんは、自分が少女時代、朝鮮の女の子から朝鮮語を教えてもらったという話をしてくれた。人間は困難なときにでも希望を忘れずにいられるのだと思う。そして、津賀ダムをみたとき、人間はこんなに立派なものを築けるのだと思った。私たちの世代はきっと、もっと素晴らしい、美しいものを作り上げなくてはいけない。私にとって、お墓参りをすることの意味は、そんなことを考えさせられることにあった。 


『ダーク・ブルー』(監督 ヤン・スウ゛ィエラーク)

山本嘉博


 こういう映画を観ると、国家というものが如何に国民をないがしろにし、裏切るものであるのかということが骨身に泌みる。ナチス占領下のチェコから脱出して、祖国解放のために英国空軍パイロットとして戦った兵士たちがいたことも、彼らが戦後帰国して強制収容所に監禁され、強制労働に従事させられたことも、歴史的事実としてあるのだろう。だが、あまりにも理不尽だ。戦後の国家体制がたまたま東西対立において陣営を異にしていたことで、英国側のスパイの嫌疑を掛けられたのだとしても、旧ナチスのドイツ兵よりも劣位に置かれ、厳しい監視と虐待を受けていた。ピアノが弾けてダンディで、女にも強かった伊達男のマハティは、無残な死体となって、雨の中ようやく荷車で出所した。

彼らを拘束し、監視していたのは、国家権力の側のチェコ人たちで、させていたのはソ連だろう。そうした状況下では、自分の身を守るためには旧ナチス兵士に対する以上に厳しく接することで、自らに嫌疑が掛からぬようにしなければならない。看守がフランタたちに過剰に苛酷なのは多分そういうわけだ。そして、彼らにそういう態度を執らせるのが、個人に対して絶大な権力を持った存在すなわち国家なのだ。本来なら、祖国の英雄として処遇されてしかるべき兵士たちが、死と隣り合わせの苛酷な境遇に置かれる。そして、そこには、国家を守るためにやむを得ないことだという論理が常に使われる。

しかし、そのようにして守らなければならないとされる国家というのは、そもそも何なのだろう。少なくとも国土や人民を包含した国家ではなく、実のところは、ひとえに現行体制のことなのではなかろうか。そして、国家の名のもとに愛国心としての献身を声高に人民に要求するのは、常に現行体制において権力者として君臨している者たちなのだ。

この映画は、直接的にそれを描いているわけではないが、そういうことを示唆するという意味において、非常にラディカルな作品だ。第二次大戦の時代を描いて、戦時よりも戦後のほうが圧倒的に非人間的であるという対照を映画の構成として設え、確信的に印象づけている。反戦映画ではなくて、反国家映画なのだ。だからこそ、戦時下の時代を描いて、ひたすら恋愛や友情における愛と信頼、誤解や断念を綴り、正邪善悪を越えてこよなく人間的なのだ。そして、戦時と平時を問わず、いかに国家主義というものが非人間的で、生きた人間の命と運命を翻弄するものなのかを描いている。

それにしても、辛くも生き延びて1951年には収容所から解放された者たちが、その後の四十年間も名誉回復されることがなかったとは何ということだろう。ソビエト崩壊の時まで国家は、彼らを見捨て続けてきたわけだ。大国の顔色を窺わずにはいられないとき、国家というのは、ここまで自国民に対して酷薄なのかと、すっかり暗澹たる気分になった。

http://www4.inforyoma.or.jp/~mai7665/


 2003年 草の家 活動方針と計画

1.イラク戦争を一日も早く止めさせる力になること。

@ 3/19より開始した街頭での呼びかけの継続、運動の拡大をどうはかるか、スタッフの獲得

A イラク戦争の不当性を明らかにし、私たちの理論構築をしっかりさせる意見交流会を適宜行う。

B ブッシュ大統領のイラク戦争における犯罪性を明らかにしつつ、12月に予定されているアフガン戦犯法廷(東京)の成功のため力をつくす。

C 国際的な反戦の動きを知らせ、連帯の行動をおこす。

2.2003年ピースウェイブの諸行事の成功をめざす。若いスタッフの活動に期待。

3.憲法、教育基本法の改悪を許さず。有事法制の制定を阻止すること。

@ 今年の最大の政治課題に対して国民的な合意形成、統一運動に寄与する。

A 日韓の平和共存のために学習会を含め積極的にとりくみ、東北アジアの非核地帯化に努める。(4月17日平和を考える市民セミナー金光敏さん講演)

B 軍隊を持たない国コスタリカの理想主義と現実主義に学ぶ学習運動をおこす。

C 在日の米軍基地、在韓の米軍基地の実態を明らかにし、反基地闘争の連帯をめざす。

4.国際交流活動を活発にする。

@ 5月にベルギーで行われる第4回平和博物館国際会議に山根和代、金英丸を派遣する。

A 韓国平和の旅を企画する(6月19日〜23日)

B 4月12日イギリスのベリルさん一行を迎え交流する。

C 平和資料館の存在意義や役割について絶えず考え正しい歴史認識形成をめざし、世界の平和博物館の協力、機能アップをはかる。

5.「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目である」。(ヴァイツゼッカ)

@ 正しい歴史認識形成をめざし過去の負の遺産や抵抗の歴史を学ぶ。

A 戦後補償問題の解決のためとりくむ。

6.9月3日槇村浩没後65周年の記念事業を実施する。

7.憲法の森の育林、拡大。自然農の実践普及に努め、環境エネルギー問題の解決につくす。

8.語り部の養成と学校などからの要請に応じられるような態勢づくり、資料の貸し出しをより活発にする。貸し出しできる資料目録を学校に配布する。

9.草の家出版の書籍の普及に努める。2003年度出版計画は

@ 「高知の戦争遺跡」改訂版

A 池道正著「憲法九条による日本の安全保障―非武装非同盟永世中立への道」

2003年度役員
顧問・山原健二郎、鳥居昭美、梅原憲作 
館長・西森茂夫
 岡村正弘・玉置啓子
理事・西森遼子(事務局長)、
石川恵里、石本敬子、上光陽子、太田紘志、岡崎清恵
尾立鏡子、島村友子、鈴木野歩、玉置瑞枝、鳥居淑子、外山剛士、中内理津子、

仲原英哉、馴田正満、山根和代、山本万里子、山崎水紀夫


草の家日誌

l        /19 イラク攻撃反対緊急市民行動:毎日2回(12時―13時、18時―19時)、帯屋町(4/15まで28日間、毎日2回行動、4/18以降は金曜日18時―19時、日曜日1時―5時、週2回行動)

l        /25 2003年第2回理事会

l        /26 コスタリカ講演会:橋本左内さん講演「平和憲法を実行するコスタリカ/破る日本」

l        /5 2003年度草の家定期総会

l        4/5 県議立候補者に「イラク戦争、有事法制についての質問書」発送

l        /11 県議立候補者アンケート結果発表記者会見

l        /12 イギリスの平和運動家ベリルミルナーさんを囲む会

l        /17 平和を考える市民セミナー:金光敏(キム グァンミン)さん講演「北朝鮮の“脅威”と在日朝鮮人社会」

l        /21 市議立候補者に「有事法制、教育基本法、医療費についての質問書」発送

l        /24 市議立候補者アンケート結果発表

l        /29 「津賀ダム」フィールドワーク:幡多高校生平和ゼミナールと交流、朝鮮人強制連行強制労働犠牲者のお墓参り、証言聞き取り(22名参加)

l        /5〜5/9 第4回平和博物館国際会議(ベルギー)参加:山根和代、金英丸

l        /15 高知北高夜間部一年生来館:「高知市と戦争の歴史」岡村正弘副館長講演

l        /23 「STOP! 有事法制5.23大集会」(東京)に代表3名派遣:和田比呂絵、梶原完、鈴木野歩

l        /23 ピースウェイブ実行委員会

l        5/27 槇村浩墓地修復工事実行委員会

l        6/8 中芸地区母親大会で金英丸講演:「高知で考える朝鮮半島そして東アジアの平和」

金英丸支援基金

国際交流活動基金について

 金英丸は高知大の研究生として勉強してきましたが、ビザの関係より更に一年研究生になります。一年間授業料としてカンパをいただきましたが、かまわない方はもう一年カンパの時期をのばしていただくようお願いします。昨年度は483,000円あつまり、支出は524,600円でした。

国際交流活動基金は収入444,696円、支出は50,000円。残金は第4回平和博物館国際会議参加費につかいました。

草の家会員、「さるとび21」読者

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平和資料館 草の家は、民営の施設で会員の会費(年間3,000円、学生1,500)やカンパによって運営されています。草の家は様々な市民運動のセンターとして利用されています。会員になれば年4~5回の通信を郵送されるほか、いろいろな特典があります。あなたもぜひご入会下さい。

「さるとび21」という月刊誌を発行しています。草の家所蔵資料と高知の戦後史研究をテーマにした雑誌です。「さるとび21」紙面は、山原健二郎さんの「さるとび日記」、森下徹さんの「戦後高知の平和運動」、草の家蔵資料解説、田辺浩三さんの「戦後の平和と民主主義を考えさす映画」、西山竜平さんの「もぐら物語」、植田省三さんの「わが家の4人の子どもは、元気な登校拒否」等、多様な内容で構成されています。購読代は年間2,000円です。「さるとび21」の読者を募集中です。よろしくお願いします。