平和資料館 草の家だより
 
No.75 発行 2002.8.1



イモにされた骨

 高知市街の南に太平洋を一望できる鷲尾山がある。

 子どもの頃遠足でよく登った山である。

 黒潮の流れが青く輝き少年の夢をかきたてた。

 筆山の山頂付近から丘陵地帯をトラバースしていくのだが大岩をこえて十分足らずのところに北中山という地点がある。

 通称コレラ墓といわれ、明治以後何度か襲ったコレラによる死者を埋葬したところらしい。

 1945年6月23日、惨を極めた沖縄戦が終結。誰の目にも敗戦必至と思われている頃、天皇は国体護持のためもう一戦たたかい戦果をあげてからと本土防衛に民草をもてあそんでいた。

 そんな7月4日、米軍の誇る空の要塞B29 125機がサイパンから高知市を襲った。

 無防備の都市に20万発の焼夷弾の雨がふった。

 弾道は花火のように夜空をこがし市街は一瞬に火の海と化した。

 焼夷弾は火たたきで消せる。防空壕に入っておれば安全というのは真っ赤な嘘であった。

 焼夷弾の直撃にあった者、防空壕で蒸し焼きにされた者、防火用水に首をつっこんだまま息たえた者。

 鎮火後、くすぶる煙の中を殺された遺体はトビ口で鏡川畔に並べられたが、黒焦げになった遺体は誰のものともわからず一家全滅で引き取り手もない遺体が百体あまり夏の直射日光にさらされ、うじ虫がわき蠅がぶんぶん群がっていた。

 数日後これらの遺体は火葬にふされ北中山に埋葬された。

 万死に一生を得て高知駅にたどりついた日本軍兵士の目に映ったのは一面の焼野原であった。

 ここも戦場だったのだと飢えでさまよった南方のジャングルの道は故郷に通じていたのだと若い兵士はさとった。

 父や母、妹はどこへ消えてしまったのか市当局に調査を依頼したが糖に釘。

 心の空日は埋めようもなく数十年が過ぎた。

 そんなとき、空襲犠牲者を埋葬した北中山のコレラの墓付近を嘆きの森と名付け追悼集会をするという記事が目に止った。

 嘆きの森はクマザサのおおうナラ林であった。

 追悼集会では市民団体から経過報告があり嘆きの森と書いた立派な看板がたてられた。

 ところが数日後その看板は撤去され、代りに「この土地は戦後すぐに高知市から払下げをうけイモ畑にしていた私有地です」と書かれた札が立っていた。

 私たちが市有地と思っていたところは民有地だったのである。

 土地の所有者が怒るのも無理のないことではあるが、共同墓地であった市有地が民有地になっているとは考えてもいなかったのである。

 誤算であった。

 現在の所有者と思われる人を尋ね、経過をきいてみると戦後すぐ食糧増産のかけ声の下、市が民間に市有地を払下げることになり山林を分割してくじ引きで購入したというのである。

 日本という国は不思議な国である。

 細菌兵器や毒ガスを使い、朝鮮や中国の女性を性奴隷としてつれ歩き、焼きつくし奪いつくし殺しつくすという三光作戦でアジアの民二千万人余を殺した事実を、自虐的であるとして教科書からけし、自国民3百10万人余を死に至らしめた責任者を処罰しない国。

 東京空襲11万4千人、大阪空襲1万2千人、神戸空襲8千4百人等日本中の都市という都市が無差別爆撃された。広島長崎に世界初の原爆が投下された。

 それら空襲を命令した将軍に戦後航空自衛隊を育てた功績者として最高位の勲章を与えた国。

 非核三原則を国是としながらアメリカの核の傘が守ってくれていると信じている国。

 アジアへの蔑視と侵略の先導者の肖像を最高紙幣に印刷してはじない国。

 A級戦犯を英霊として祀る靖国神社への公式参拝は違憲との最高裁判決を破って「平和と繁栄は戦没者の犠牲の上にある」と変人と自称する一国の総理が参拝する国。

 国の交戦権を禁じた憲法をもつ国が世界第三位の軍事力をもつ国。

 朝鮮戦争やベトナム戦争で死の商人が暗躍し経済大国になり上ったが、アジアの国々からイエローヤンキーと嫌われている国。

 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏見を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と憲法前文に明記しながら、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略の罪を犯した個人を裁く国際刑事裁判所の設立条約に署名も批准もしない国。

 国権の最高機関である国会は政官業が癒着した化物の巣窟となって腐臭をぷんぷん発している国。

 ハンバーグで腹をこやしコーラで喉をうるおしている忙しい国。

 「日の丸君が代」を強要し、良心に基づく教育をさせない国。

 便利な携帯はいたるところにはりめぐらされ、ゆとりを奪い、自動車は孤独を忘れさせて思考のときを奪い。事故死は毎年1万人をこし、自殺者が毎年3万人をこす国。

 イモになった骨を食ったときから悲しむこと、思いやりを忘れて戦後57年。

 もうそろそろ戦後なんていうのをやめようという大臣もいるが沖縄を見よ。韓国の梅香里を見よ。人を殺すための爆撃機がゴー音を立てているではないか。

 チェルノブイリ、セミパラチンスクを見よ。環境ホルモンの恐怖も為体がしれない。

 劣化ウラン弾に苦しむイラクの子ども達のことを思え。

 今日も地雷で足を失う農民のことを想え。

 この春、かつての焼け跡に巨大な円型の建物ができた。戦争遺跡を壊し豪華な建物をたてた。名前は総合文化センター「かるぽーと」。

 文化の発信地という意味らしいが、悲しみを感じない文化なんて砂上楼閣ではないか。

 黒人霊歌がいつまでも心をうつのは黒人の悲しみの歴史がうたわれているからではないのか。

 イモにされた骨の悲しみが

 忘れられた骨が

 おらび続けているのを私たちは

 「嘆きの森」で聞いた。

2002. 7. 20 西森茂夫

「大空襲の犠牲者名簿づくり」「高知市やる気なし?」「400人分の提供申し出放置」「犠牲者2度殺すのか・・・市の姿勢に憤りの声」等の見出しで、紙面いっぱいの記事が報道されたが、その後市当局の反応はない。行政とは何か、私の怒りはおさまらない。


草の家の語り部活動

岡村正弘

語り部をするようになって早三年目になります。西森館長にやってくれないかと要請されて春野東小学校の舞台にたってふるえたことを今も鮮明に覚えています。あれからもう20校ほどで語ってきました。

 今年は須崎小,安芸市赤野小,七月に鴨田小,朝倉小,付属中で語り八月には介良中、香我美中が予定になっています。

 小学校での語りは40分程度で,内容は昭和20年7月4日の高知大空襲のとき小学二年生の私がどんな恐ろしい体験をしたかを中心に話します。一夜の空襲で母と妹を失い2年後には父も過労で病死しました。

 結論として三つのことを訴えています。

 戦争では子供が一番先に犠牲になるので平和でないと幸せに生きてゆけない。だから平和が大切です。

 戦争が終わって50年以上経つけれど日本は一度も戦争をしていません。それは戦争を反省してもう二度と戦争をしない国になろうと平和憲法をつくり平和を守ってきたからです。

 私は戦争で母と妹をうしない父も死んで小さい時に大変苦労しました。兄弟三人で助け合い沢山の人にお世話になり助けてもらって今日があります。君たちの家庭でも予期せぬ不幸がいつ起こるかわかりません。みんな助け合っていこう。

 平和が大切,平和憲法が大切,助け合いが大切です。と訴えて話をおわります。

 中学生には持ち時間が60分と長いので高知大空襲の体験のほかに戦争の加害責任についてかたります。

 「草の家」で行った「韓国平和の旅」,「中国平和の旅」での体験をはなします。日本軍が犯した蛮行,特に細菌戦でどんな恐ろしい被害が発生したかを語ります。

 東京の地方裁判所で731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟が行われています。日本国民として君たちはどうおもいますか。と問題を提起します。

 強制連行で過酷な労働を強いられた中国人,朝鮮人が強制労働訴訟を幾つも起こしています。時効だといって切り捨てるのか、時効といわずに被害者の請求を認めるのか君たちはどう思いますか。

  主権在民,君たちは主権者であります。人ごとでなく、遠い昔の話でなく,今,自分自身の問題として考えよう。と訴えています。

 鴨部小には1000人を超える児童がいるので二日に分けて話しました。朝倉小600人,付属中500人どこも体育館いっぱいの参加者です。暑いさなか、40分、60分集中して聞いてもらうのは真剣勝負のたたかいです。大変やりがいのある仕事です。

 平和集会をした学校から後日お礼の挨拶と感想や感想文がとどきます。

 体験談はやはり心に迫るものがある。つらい体験をお話くださって心にジ-ンときました。

暑いなか静かにきけた。岡村さんのお話は,子供にも,教師にも学ぶところが多かった。

 沢山の感想文を感動をおぼえながら読んでいます。子供にも,教師にも私の語りが素直に受け止められて感銘をあたえているのを感じるとこの上ない幸せとやりがいを感じます。

 「草の家」の語り部としてこれからも頑張りたいとおもいます。 

2002. 7. 25


日米安保を抜けだす道―現状認識と具体的構想

 アメリカはアフガンへの攻撃を続けている。その米軍に自衛隊はインド洋まで行って、私達の税金を使って給油を続けている。日本は米軍支援という形で戦争をしているのだが、国民の間には戦争をしているという緊迫感はほとんどない。小泉首相のクーデター的憲法ハイジャック、日米安保条約への従属ファショ、戦争の性格が変わったことが原因と考えられる。

 アメリカはテロ対策と称して、フィリピンで千人規模の海兵隊による米軍作戦を展開している。この海兵隊は沖縄で訓練され派遣されたものである。沖縄の施政権が日本に返還され30年たつが、日本は「基地のない沖縄」という県民の願いを実現するどころが、名護市辺野古沖のサンゴ礁に最新の米軍基地をつくりアジア出撃拠点を永久化しようとしている。これでも日本は平和な国家といえるだろうか。

 イラクでは1991年の湾岸戦争が続いているのである。米軍が使った劣化ウラン弾使用量は堆定300トンから800トン、広島に落された原爆の1万4千倍から3万6千倍の放射能原子がばらまかれ(矢力崎克馬琉球大学教授)、ガンや奇型児が急増している。(「週間金曜日」本多勝一レポートでは、使用されたウラン弾は大小約95万個(約320トン)と書かれている) この戦争に日本は130億ドルも支援したが、新たな核戦争とも言える内容を日本政府も知っているはずである。こういう既成事実が裁かれてないため、日本の非核3原則もあやういのである。新たに発足した国際刑事裁判所はこの非人道的兵器を使った責任者を裁かねばならない。

 「在日米軍」(岩波新書、02.5.20刊)で梅林宏道氏は日米安保の桎梏からぬけでる一歩として日本、韓国、北朝鮮が非核地帯を構成し、それを米国、中国、ロシアという核保有国が支持するという構想を提案している。具体的で実現性のある構想として注目してほしい。(N)


  会員の皆さんへお知らせとお願い

@ 827()午後130分、細菌戦裁判の判決があり、6時半よりシニアワーク東京(飯田橋駅)で報告集会を開きます。原告の中国人細菌戦被害者も多数来日されます。草の家としても現地調査に参加するなど深くかかわってきましたが、東京地方裁判所が細菌戦による重大な人権侵害を認定し、被害者に対し謝罪と賠償を命じる判決を下すことを求めます。

A 会員の池道正さん作の「非武装非同盟中立の日本を求める会」の呼びかけを近く草の家のホームページに掲載します。趣旨に賛同される方はご連絡下さい。

B 集いの急な連絡などはEメールで行うと便利ですのでEメールアドレスのある方はお知らせ下さい。

C 昨年、草の家を訪問、交流したメアリーシルクさんらがロゲンラツプ平和ミュージアム説立への支援を呼びかけています。このミュージアムができれば核実験によるロゲンラツプの被災者に未来への希望と困難を乗り越える勇気を与えるものになるでしょう。

D 今年の戦争と平和を考える資料展で衝撃を与えた森住卓の写真「イラク湾岸戦争の子どもたち」を英語版フォトアピールにするためカンパを呼びかけています。

賛同金: 1口500円、

郵便振替番号: 01340-8-71944

名称: 劣化ウラン弾の禁止をめざす会

ご協力をよろしくお願いします。


 寄贈本ビデオ(ありがとうございました)

l         しらべる戦争遺跡の辞典―柏書房

l         土佐地域文化第5号:鏡川特集

    ―土佐地域文化研究会編

l         高知市立自由民権記念館紀要No.10

    ―高知市立自由民権記念館

l         心のコートを脱ぎすてて

    ―増田れい子、岩波書店

l         二十一世紀へのバトン塩田庄兵衛の八十年

  ―非売品

l         特攻―岩井忠正、岩井忠熊、新日本出版社

l         春の麦:須田朱八郎とその妻の記録

    ―須田若枝、非売品

l         杉原千畝―渡辺勝正、書学館

l         我が国の軍縮外交

    ―外務省軍費管理科学審議官組織編

l         平和文化研究第24

    ―長崎総合科学大学長崎平和文化研究会編

l         高知県立歴史民俗資料館開館10周年記念誌

l         高知県立歴史民俗資料館年報 11

l         高知県立歴史民俗資料館研究紀要 11

    ―高知県立歴史民俗資料館

l         ハンナのかばん

  :アウシュビッツからのメッセージ―ポプラ社

l         足元からみる民俗(10)調査報告集第20

    ―仙台市歴史民俗資料館

l         いしずえ会に心をよせ合って

    :三多摩いしずえ会30年の歩み

l         全国戦災史実調査報告書:生活必需品の配給等に関する記録―日本戦災遺族会

l         戦没船写真集:戦没した船と海員の資料館

    ―全日本海員組合

l         高岩仁さんよりビデオ寄贈

    ―江戸時代の朝鮮通信使

    ―教科書裁判

    ―殴る側の大国となった日本と新ガイドライン

(渡辺治:一橋大学教授)

 

 
24回 戦争と平和を考える資料展アンケート結果

展示感想

応答者

 とても良かった

40

54.79

良かった

29

39.73

あまり良くなかった

 3

 4.11

良くなかった

 0

 0.00

無応答

 1

 1.37

73

100.00

l         と き: 7月2日(火)〜7月7日(日)

l         ところ: 自由民権記念館展示室

l         観覧者: 250

l         応答者:  73

 

展示感想

応答者

 とても良かった

40

54.79

良かった

29

39.73

あまり良くなかった

 3

 4.11

良くなかった

 0

 0.00

無応答

 1

 1.37

73

100.00

有事法制

応答者

有事法制 賛成

8

11.0

有事法制 反対

53

72.6

無応答

12

16.4

73

100.0

 

見せねばいけない資料展と印象深かった。(男)

我々は戦争という苦しみをしらず・・・。人に平気で「死ね」なんて言える程平和です。つくづく戦争は人の体と心をキズつける悪い事だって・・・思いました。(14才、男)

今も尚、今回の資料展のような社会環境にある国があることを悲しく思う。何かしなければならない。ひとまず英語をもっと勉強する。写真の人達は強く、外見も美しかった。(特に目が)(16才、女)

イラクの子共達は、とても、ムゴイですね。自分があんな病気になっていたら、笑うこともできないのに、写真では笑っている子達が多くて、なぜ、笑っていられるのか、分かりません。奇形種の子供が、ホルマリンづけにされているのは、とても、かわいそうだった。旧ソ連の核実験で、人が何もない様につかわれていることが、私はとても苦しいと思った。高知だけではなく広島、長崎のも展示してくれればうれしいい。そしたらまたいろいろなことも分かるかも知れない。(有事法制)日本は一度ものすごい被害を広島、長崎にうけているのに、それをまたくりかえす気か?と言いたいです。私達の世代では戦争というものを身近で感じたことはないから、原爆等のことは良く分からないけど学校で習っていて、すごく多くの人の命がうばわれていることが分かって、もう二度と戦争をしない方がいいと思う。それに日本には憲法 第9条に平和主義(戦争放棄)とでているにのでは?(15才、女)

空襲の被害を受けた高知市内の写真も悲惨だったけれど、他国の子供達の写真も衝撃的だった。病院もハエが飛んでいた。とてもひどい様子。それをほっておく国は、こんな子供たちを見て何も感じないのだろうか。有事法制には絶対に反対。友達は父親が自衛隊なので賛成しているけれど、どうして賛成するのか分からない。(13才、女)

中学校や小学校で、戦争のことを知ってもらったり、展覧会などをもっともっとすればいいと思う。(14才、女)

戦時国家の再来を許してはならない。確かなる立場をもった展示内容に素晴らしさを感じました。日本が背負ってきた歴史、そして現在の国際関係上の立場を考えても悲しくも争いが絶えない世界をどうするかを考えなければならない。暴力ではなく、それができるのは日本でしかない。(22才、男)

写真はショックで言葉も出ません。戦争は死ぬのも地獄生きるのも地獄、そしてその地獄を味わうのはいつも何の罪も無い弱い一般市民です。無差別に人を苦しめてその先に本当の幸せがあるのだろうかと思ってしまいます。(29才、女)


草の家日誌

l         4. 9. 火. 草の家研究生金英丸来高。

l         4. 13. 土. 草の家2002年度総会。

l         4. 16. 火. 高知大学大学院人文科学研究科研究生にとって授業参加。

l         4. 19. . 高知短大平和学授業参加。

l         5. 2. 木. 草の家ハングル教室―あそぼうハングル!―が始まる。

l         5. 9. 木. 高知新聞夕刊に金英丸インタビュー報道。

l         5. 18. 土. 草の家青年フォーラム: 世界青年の船を乗った中垣尚子さんとの話。

l         5. 19. 日. 高知大国際交流クラブ交流会参加:中国延辺朝鮮族など留学生との出会い。

l         5. 26. 日. ピースライブ。於帯三ロード。

l         6. 6. 木―6. 8. 土. 国際戦争平和博物館百年記念国際歴史シンポジウム参加(スイス):山根和代

l          6. 15. 土. ピースウェイブスタートの集い:高岩仁講演。於人権開発センターホール。

l         6. 21. 金. 林秀卿さんと語る南北の平和と統一。於自由民権記念館ホール。

l         6. 22. 土. ピースライブのタベ。於草の家。

l         6. 24. 月―6. 28. 金. 金英丸ビザ変更のため韓国行。留学ビザ取得(2003. 6. 30まで)。

l         6. 29. 土. 平和七夕まつり、つり上げ作業。

l         6. 29. 土―7. 7. . 国際平和研究学会第19回国際会議参加(韓国):山根和代

l         6. 30. 日. 高校生平和祭。実行委員会及び本行事参加、高校生との交流。

l         6. 30. 日. 戦争と平和を考える資料展設営作業。百万羽の折り鶴があつまる。

l         6. 30. 日. 平和七夕まつり第20回記念集会参加。

l         7. 3. 水. 反核平和コンサート。金英丸来賓挨拶。スクラム演奏参加。

l         7. 2. 月―7. 7. 日. 戦争と平和を考える資料展。戦時中の資料、高知空襲、森住卓(セミパラチンスクとイラク)写真展示

l         7. 2. 火.―7. 23. 火. 西森館長入院。

l         7. 4. 木. 「嘆きの森」で高知空襲犠牲者追悼集会。

l         7. 8. 月. 青柳中学校平和集会金英丸講演。

l         7. 8. 月. 文化後援会:金英丸、韓国の民主化運動について話をする。

l         7. 12. 金. 県教組女性部韓国ツアー説明会。

l         7. 13. 土. 草の家小劇場。大崎二郎詩朗読と「赤とうがらし」の歌ごえ。

l         7. 14. 日. アジアの人々と連帯する市民の集い。中国帰国婦人を囲んで。

l         7. 20. 土. 憲法の森草刈り。23名参加。

l         7. 23. 水. カクマ・キャンプ―南部スーダン難民の生活世界講演:栗本英世

l         7. 27. 土―7. 28. 日. 第32回空襲戦災を記録する会全国連絡会議参加(福井県):岡村正弘、岡村花子、梅原憲作、植田幸作

l         7. 29. . 平和美術展設営作業

l         7. 30. 火.―8. 4. 日. 第19回平和美術展。 於かるぽーと。

l         7. 31. 水. 平和七夕まつり、撤収作業。

l         7. 31. 水. 市教祖青年部交流会講演:韓国と日本の歴史認識と韓国の徴兵制

l         この他有事法制反対の県民集会に4回参加。