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シリコンバレー旅行記

2012年の冬に,シリコンバレーへ行ってきました.







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はじめに

2012年12月8日から14日まで,IEDMという電子デバイスの学会に出席するためにサンフランシスコへ行ってきました. サンフランシスコから少し南へ行ったところには,「シリコンバレー」と呼ばれる先端技術産業エリアがあります. シリコンバレーは現在も多くのエレクトロニクス・コンピュータ系の企業で繁栄していますが, そもそもはコンピュータ黎明期にHewlett Packard, Fairchild, Intel, Appleなどの有名企業が誕生した場所であり, まさに「古典回路」の宝庫です.これは見学に行かねばもったいない!…ということで,自分の発表そっちのけで沢山の名所を巡ってきました. (一応マジメに発表もしてきましたよ...?)

「1人で学会発表して来い.」というボスからの命令が下っていたので,基本的に一人旅でした. 海外旅行も英語も全くの不慣れだったので色々と必死でした^^; San Francisco周辺には治安がよろしくない場所もちらほらあるので,とにかく無難に,トラブルを最低限に抑えることを意識して行動しました. しかし心配とは裏腹に,非常に充実した施設の数々に圧倒され,そして素敵な出会いもあり, 初めてのシリコンバレー訪問では素晴らしい思い出がたくさんできました.

幸い,撮影した写真をWebページに載せてOKだよと各博物館の方が言っていたので,ここに一通りの内容をまとめておこうと思います.

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シリコンバレーの場所

シリコンバレーは,アメリカの西海岸,California州(カリフォルニア州)にあります. だいたいSan Francisco(サンフランシスコ)とSan Jose(サンノゼ)の間ぐらいです. 上の地図にはおおよそ同縮尺,同緯度の日本も載せてあります.アメリカでっかいですね... シリコンバレーは緯度的には福島〜茨城の中間くらいに位置しています.

次に,California州の部分の拡大図を見てみます.

「シリコンバレー」といっても,"Silicon Valley"という名前の都市があるわけではありません. これはあだ名のようなもので,いくつかの都市をまとめた地域を指す言葉です. Silicon "Valley"と呼ばれているものの,日本人が普通に思い浮かべる「谷」とはちょっと違います. 現地の人の感覚では,「山と山の間にある平地」のことを"Valley"という単語で表すそうです.

その「シリコンバレーを囲む山」というのは,東にあるSierra Nevada Mountains(シエラネバダ山脈)と西にあるSanta Cruz Mountains(サンタクルーズ山脈)です. 上の地図にそれぞれの山脈の場所を書き込んでみました.シエラネバダ山脈は距離的にかなり離れています. また,サンタクルーズ山脈に関しては「山脈」という名前がついているものの,ほとんど「丘」という感じです.山っぽくないです. そんなわけで,シリコンバレー自体には渓谷や急な山道はほとんどなく,平野がずーっと広がっている印象でした.

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シリコンバレー内の交通手段

今回はサンフランシスコ国際空港(SFO)から入国しました. サンフランシスコ市内に宿をとっていたので,サンフランシスコ市内からシリコンバレーへ行くという流れになります. (シリコンバレー観光のみが目的の場合はサンノゼに泊まるほうが便利かもしれません.)

サンフランシスコ市内とサンフランシスコ空港周辺を結ぶ"BART"(Bay Area Rapid Transit: ベイエリア高速鉄道)という電車があります. 空港からサンフランシスコ市内へ行く場合,タクシーを使うと$40前後かかりますが,電車で行けば$8くらいで済みます. お金が無かったので,このBARTには何回もお世話になりました.


BART(バート)

"Bay Area"(ベイエリア)というのはサンフランシスコを中心としたサンフランシスコ沿岸地域を指す言葉だそうです. BARTは北東のRichmond(リッチモンド)やOakland(オークランド)から,San Franciscoを通って南はSFOやMillbrae(ミルブレー)まで繋がっています.


Millbrae(ミルブレー)駅.のどかで良い雰囲気でした.

シリコンバレーはBARTの終点であるMillbrae駅よりもさらに南側にあるので,そこから先へは"Caltrain"(カルトレイン)という別の電車を利用します. Millbrae駅はBARTとCaltrainのTransit Center(乗換所)ということになっていて,簡単に乗り換えができます. 数年前に改装されたらしく,綺麗な駅でした.


Caltrain(カルトレイン).2階建てです.

Caltrainは北端のMillbraeから南端のSan Jose(もしくは,本数が限られますがGilroy)までを結ぶ電車です. このCaltrainの駅沿いの地域にシリコンバレーの「名所」がたくさんあります.


シリコンバレーは「ここからここまで」という明確な定義が難しいみたいですが, いちおうSan Mateo(サンマテオ)を北端とし,南端はだいたいSan Jose(サンノゼ)市内くらい・・・と言われているそうです. その地域内のCaltrainの停車駅で,今回訪れた場所は3,4箇所ぐらいでした. まずはStanford University(スタンフォード大学)があるPalo Alto(パロアルト)駅, Google(グーグル)本社やComputer History Museum(コンピュータ歴史博物館)があるMountain View(マウンテンビュー)駅, Apple(アップル)本社があるSunny Vale(サニーベール)駅, そしてIntel(インテル)本社があるSanta Clara(サンタクララ)駅・・・などなど,おおまかな場所を上の地図に赤丸で示しました.

Caltrainの駅から今回訪問した各「名所」まで,だいたい車で10〜20分くらい離れています. そのため,最寄の駅まではCaltrainを使って行き,そこから先はTaxiを利用する・・・という形が分かりやすくてお金も節約できる方法だと思います. Taxiの運転手さんによっては名前だけを伝えても知らないケースがあるので,Addressをメモした紙を用意しておくと楽でした. (iPhoneで普通に地図を見ながら運転していました.うーん...)

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Computer History Museum(コンピュータ歴史博物館)


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まずはMountain View駅に近いComputer History Museum(コンピュータ歴史博物館)に行きました. 本当はMountain View駅からTaxiを使うか,徒歩で行く覚悟をしていたのですが, その前に付き添いで訪問したStanford Universityからタクシーを使って行くことになったため,楽に行くことができました. ただし,帰りは簡単にタクシーを拾えないと思います. 受付の方にタクシーを呼んでもらって帰りました.

このComputer History Museumは物凄いです! 「コンピュータ」の発展の歴史を追って展示物が揃えてあります. 機械式計算機(!?)に始まり,真空管,トランジスタ,集積回路,スパコン・・・と網羅されています. また,歴史的価値のある超有名な電子回路の「実機」が展示されています. 復元機(レプリカ)ではなく,実際にオフィスや研究所で使われていた物なんです. え,本物なの!?と終始テンション上がりっぱなしでした^^;

※このページで紹介している展示品は全体のごく一部です. Computer History Museumには合計1200点ほどの展示品があるそうで, ここで働いているVolunteerの解説員さんは全ての展示品に関して説明できるように訓練を受けるのだそうです.すごい!



 

"Slide Rule"

最初の展示物は"Slide Rule",いわゆる計算尺です. 「え,コンピュータ…?」と思われるかもしれませんが,そもそもcompute(コンピュート)という単語は「計算する」という意味なので, 電子回路に限らず「計算するための器具」は全て"computer"だと言えます...Slide Ruleは主に掛け算をする用途で使われていたもので, 棒状のものや円形のものなど色々な種類が展示されていました. このほかに,おなじみの「そろばん」も展示されていました.

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IBM, "403": Computing Accounting Machine - 1953年

次はIBMのComputing Accounting Machine(会計計算機): 403です. 1953年製造のものだそうです. 会計処理や名簿の集計などを行うために製造されました. 開発されたのは1940年代後半とのことですが,真空管ではなく,リレーで演算処理を行っているそうです. ガチャガチャと音を立てて動くんでしょうね,熱い!!

大量の集計などを一気に行うことができるとして大ヒットしたそうで, この手の計算機は"Tabulating machine"(タビュレーティング・マシーン)と呼ばれているそうです. 装置の側面に端子板が付いています.そこへケーブルを挿して配線を色々と変更することで, 所望の回路動作を得るそうです. これは"functional wiring"(ファンクショナル・ワイアリング)と呼ばれ, 今でいうところのプログラミングに相当します.ハードウェア的なプログラミングという感じでしょうか・・・. データを記憶する方法として"Punching Card"(パンチングカード)が採用されているそうです.

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Northrop Aircraft Corp., "MADDIDA": Magnetic Drum Digital Differential Analyzer - 1949年

おおお,なんだか凄まじいことになってます. これはNorthrop Aircraft Corporation(ノースロップ航空機会社)が製造した"MADDIDA"という計算機のプロトタイプだそうです. MADDIDAは"Magnetic Drum Digital Differential Analyzer"(磁気ドラム式ディジタル微分解析機)という名前の略称です. 積分法を使って微分方程式を解く計算機のようです.

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University of Pennsylvania, "ENIAC": Electronic Numerical Integrator And Computer - 1945年

うわー!ENIACだー!!でっかい!!!



"ENIAC"はElectronic Numerical Integrator And Computer(電子式数値積分機・計算機)の略称で, 世界最初の汎用コンピュータです. ENIACはペンシルベニア大学において,1943年から45年までの2年間を費やして開発されたそうです. "Integrator"(積分機)という名前は付いていますが,普通に加算・減算などの計算を行う計算機とのことです. 加算・減算ができれば乗算・除算も可能なので,当時としては驚異的なスピードで計算を行う「四則演算機」といったところだと思います.

説明文には"ENIAC glowed with an unprecedented 18,000 vaccume tubes." (ENIACは前代未聞の18,000本という真空管により,温かい光を放っていた) と書いてありました. 18,000本も真空管が使われているんですね... トランジスタの発明は1948年なので,当時は真空管が最先端技術ということになります. びっしりと真空管が並んでいます.かっこいい!

スイッチ盤には大量のロータリースイッチが付いていました. このロータリースイッチを1つ1つ設定して,「プログラミング」を行うそうです. ここに展示されていたのはもちろん本物ですが, ENIACはこの本棚みたいな回路ブロックがたくさん集まって構成されており, 展示されているのはその中のごく一部ということでした.

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"Core Memory" - 1950年代〜1970年代後半

"Core Memory"(コアメモリ)は,半導体メモリが登場するまでかなり長い間使われていたもので, 縦・横に張り巡らされたリード線の交点に,リング状の磁性体を配置した構造になっています. 縦・横のマトリクスで指定されセルに電流を流し,磁性体を磁化させることで書き込みを行います. 一応電源を切っても磁化された状態は保持されるので不揮発性メモリなのですが, 読み出しを行えば磁化は解かれてしまい,かつ,電源ONのノイズでもデータが飛んでしまうため, 今でいうところのDRAMのような使い方が主流だったようです.

左の写真は1955年の物で,よく見るとエナメル線(?)の交点に黒い磁性体が付いているのが分かります. 右の写真は1978年のもので,ビッシリとコアが配置されたコアメモリが何枚も取り付けられています. メモリ容量は32 K wordあるそうです(1 wordは8 bit?16 bit?). とりあえず,今でいう(言わないか)256 KbitくらいのDRAMがこのサイズだった という感じですね. 制御用ロジックも一緒に組み込まれていて,なんともかっこいいです.

このコアメモリは,1969年ごろにIntelが初めてバイポーラ・トランジスタの集積回路として, SRAMの"3101"を開発して以降,次第に使用されなくなっていきます...

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MIT, "Whirlwind" - 1951年

"Whirlwind"(ホワールウインド)は,MITで開発されたもので,当初は空軍パイロットを訓練するための フライトシミュレータ向けの計算機として開発がスタートしたそうです. しかし,完成後は"SAGE": Semi Automatic Ground Environment(セージ,半自動防空管制組織)という, 敵国の爆撃機を追撃するためのシステムに使用されたとのことです.

能動素子は左写真右側のラックに刺さっているのが見える真空管です. この計算機は16bitらしいのですが,複数bitを並列処理する計算機としては世界初のものらしいです. それにしても,ディスクリートの部品が大きいですね. 抵抗,キャパシタなど,現在のチップ部品が載っている基板なんかよりよっぽど「コンピュータ」っぽいです. 手作り感があって,かっこいいですね!

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MIT, "AGC": Apollo Guidance Computer - 1966年

"AGC",「アポロ誘導コンピュータ」ですよ!!

1969年のアポロ11号による月面着陸の際,実際に用いられたコンピュータです. 左写真の本体をよく見ると,"ALARM MODULE"(アラーム・モジュール), "SENSE AMPLIFIER MODULE"(センスアンプ・モジュール)など, モジュールごとに名前が書いてあるのが分かります. また,右写真の"DSKY"と呼ばれる操作端末では, 「動詞」に対応するコード(オペコードのような感じでしょうか)を 数字キーを用いて入力するのだそうです.

このアポロ誘導コンピュータの時代には既にトランジスタが発明され, 集積回路(IC)の開発も行われていました. そして,このアポロ誘導コンピュータはICを用いてポータブル化された 世界最初のコンピュータらしいのです. ここで用いられているICはシリコンバレー最初の半導体メーカーとも言われる Fairchild(フェアチャイルド)社で作られたそうです. これまでの巨大な物も含め,計算機は東海岸のMITで派手に開発されていました. そこに,西海岸のメーカーであるFairchildが絡んできて,いよいよシリコンバレーの 萌芽が伺えるという感じです.

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University of Illinois, "ILLIAC IV" - 1975年

"ILLIAC IV"(イリアック・フォー)は当時のスパコンで,イリノイ大学,DARPA(Defence Advanced Research Projects Agency: 国防高等研究計画局), そしてコンピュータ企業であるBurroughs Corporation(バローズ)によって作られました. 64bitだそうです. 配線が大変なことになってますね... 左写真の左上には"FAIRCHILD"ロゴの入ったメモリが. "LSI BIPOLAR MEMORY"と書いてあります. 当時,MOSFETの動作はまだまだ遅く,集積回路の主流はバイポーラトランジスタでした. TTLの時代の物ですね.

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MITS, "ALTAIR 8800" - 1975年

あああ・・・ALTAIR(アルテア)の実機ですよ!

ALTAIRはMITS(Micro Instrumentation and Telemetry Systems)が開発した, 世界初の「個人向けコンピュータ」,まさしく「パソコン」です. しかも,このALTAIRはキットだったそうです.自分で組み立てるわけですね. 当時のコンピュータは大きな本棚くらいの大きな箱で値段もものすごく高かったので, 個人でコンピュータを所有するのは不可能でした. それを叶えたのがこのALTAIR 8800ということになります. 左側の写真は,当時のALTAIR 8800の広告です.大きく印刷されて展示されていました.

CPUはインテルの8080を積んでいますが, トグルスイッチで2進数を入力したり LEDを光らせるくらいしかできない物だったようで, まさに「マイコン入門機」みたいなものだったんですね!! 現在だって初めてマイコン触る時はLED光らせるのとスイッチ入力から学ぶのが定番ですし.

当時は便利なPCが無い("コレ"が当時のPCです)ので,C言語でチョロチョロっとコーディングして, コンパイラでバイナリ生成なんて不可能です. とにかく,全てのプログラムはスイッチを使って書き込んでいたわけですね, 当然マシン語で. 熱い!!下手に便利なマイコンを使うより,このような教材でCPUを使い始めたほうが 絶対良い経験になると思います.

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Netronics Research and Development, "COSMAC ELF" - 1976年

これ,一番大好きなやつです.

これは,ALTAIRと同様,自作のパーソナル・コンピュータのキットということになっています. "Popular Electronics magazine"というホビー雑誌にて製作記事が連載され, その設計を元にNetronics社がキットを販売したという流れのようです.

CPUはRCA社(Radio Corporation of America)が開発したCMOSプロセスの"CDP1802"という 大ヒットした8bit CPUを使用しています. CDP1802はCPU単品のみではなく,IOなどの周辺機能LSIを含んだファミリが充実しており, RCA社はそのファミリを"COSMAC"(Complementary Symmetry Monolithic Array Computer)シリーズとして販売していました. そこから"COSMAC"の名前が取られたようです.

この回路,コンピュータを構成する1つ1つのLSIを自分でユニバーサル基板に配置して配線する・・・ というのが素敵です. 僕はブラックボックスが嫌なので,現在のマイコンの「メモリもCPUもIOもぜーんぶワン・チップに収まってる!」 というのがあまり好きではありません... もちろん産業目的で使うのは非常に合理的で良いのですが, 趣味で,もしくは学習目的で,完全にブラックボックスなマイコンばかり使う・・・というのは, もったいないなあと思ってしまいます. 以前作った "Z80マザーボード" もそんな気持ちで作っていました. これが販売されていた当時は「コレしか無い」という時代で, 今のように高機能で便利な1チップマイコンなんて売っていませんでしたが, こういったシンプルな構成のコンピュータを自作していた時代の人たちのほうが, ひょっとするとコンピュータ・アーキテクチャを深く理解している人が多かったのかもしれません.

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Apple, "Apple-1" - 1976年

言わずと知れた"Apple I"です.

近頃有名なSteve Jobs(スティーブ・ジョブズ)氏と,その相方の Steve Wozniak(スティーブ・ウォズニアック)氏が作ったAppleの第1号機です. 設計はほとんどWozniak氏が行ったもので, 右写真を見ると筐体上部に筆記体で"Woz"(ウォズ)とサインがしてある様子が確認できます.

CPUはメジャーなIntel社製のものではなく,MOSテクノロジー社のMOS 6502というCPUを搭載していたそうです. まだ会社を起こしたばかりの時のもので,Jobs氏の家のガレージにて, Jobs氏とWozniak氏の家族・友人の合計4人だけで最初の数十台を組み上げたとのことです. とはいえ,他の手作り感あふれるコンピュータと比べると,「外観が綺麗」な感じがします. 草創期からAppleは"Design"にこだわっていたんでしょうか...

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Ohio Scientific, "Model 600" - 1978年

Ohio Scientific(オハイオ・サイエンティフィック)社の,"Model 600"というホビー向けコンピュータです. これはホビー用と言っても完全に組み上げられた状態で販売されていたそうです. Clockは1 MHz,メモリは4 K,バス幅は8 bit...と,平和な時代のコンピュータです.

なんというか,このコンピュータはすごくカッコイイですね! ICいっぱいついてて,良い感じです. これは"シングルボードコンピュータ"ということで,今となっては当然かもしれませんが, 1枚の基板でキーボード入力からCRT出力まで全てできるそうです.

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番外編 "プログラミング言語の木"

コンピュータの展示ではありませんが, 大きな壁一面に,これまで開発されてきたプログラミング言語の系譜が書かれていました. 一番最初の言語は"FORTRAN"(フォートラン)で, 一番新しい言語としては"C#"や"D"なんかが挙げられていました.

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Intel Museum(Intel本社内)


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Intel本社にも行ってきました!

一応シリコン半導体系の研究室に所属していますし, 日常生活でもインテルのCPUには散々お世話になっているので,やっぱり憧れの場所です... インテル本社ビル(ROBERT N. NOYCE BUILDING: ロバート・ノイス・ビルディング)の 1階が"Intel Museum"として無料公開されています. 規模はそこまで大きい訳ではありませんでしたが1つ1つの展示は濃く, じっくり見学しようと思うとけっこう時間がかかると思います. 特に,自分も研究室でSi基板上のMOSプロセスを経験していたので, いわゆる半導体プロセスにおける"あるある"みたいなものを感じることができて楽しかったです.

インテル本社まで行くにはサンフランシスコ市内からMillbrae駅までBARTを使い, Millbrae駅から先はCaltrainを使いました. インテル本社の場所はCaltrainの駅の"Lawrence"(ローレンス)駅か,もしくは "Santa Clara"(サンタクララ)駅が近いと思います. 最寄駅からIntel本社まではTaxiを使いました. 距離的にはLawrence駅の方が近いのですが, ちょっと大きめのSanta Clara駅の方がタクシーを拾いやすいと思います. 今回は行きはSanta Clara駅でタクシーを拾ってIntel本社へ行き, 帰りはIntel本社からLawrence駅へ走ってもらいました. Intel周辺でもタクシーを捕まえるのは難しいので, 行きのタクシーの運転手さんに電話番号を教えてもらい, 見学終了後に電話して迎えに来てもらいました. 親切な運転手さんで助かりました.




 

The beginning

もともとFairchild(フェアチャイルド)社に在籍していた Gordon E. Moore(ゴードン・ムーア)さんと,Robert N. Noyce(ロバート・ノイス)さん, 続いて参加したAndrew S. Grove(アンドルー・グルーブ)さんが1968年にIntelを起こしました. 1年後の1969年までに106人の従業員が加わり,その時に撮影されたのが上の写真だそうです. いやー,かっこいいっすね!!

Mooreさんは半導体工学(集積回路工学?)を学べば必ず出てくる"Moore's law"(ムーアの法則) でおなじみですし,Groveさんの論文 "Surface Effects on p-n Junctions: Characteristics of Surface Space-Charge Regions Under Non-Equilibrium Conditions"は MOS界面における反転層形成などについて説明されている, MOSトランジスタ物理をやる人なら必ず読んだことがある論文だと思います. とにかくヤバイっす,この人たち!

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"3101": Schottky bipolar memory

Intel最初の製品は,"3101"という名前のSRAMでした.容量は64bit(4bit * 16番地) だったそうです.Intel発足から9ヶ月後に発売されたそうです. ショットキー・バリア・ダイオードとバイポーラ・トランジスタによって構成されていました. この3101をDIPパッケージに入れる前の,ウェハ丸ごとの展示もありました. 当時はウェハの大きさも2"と小さく,歩留まりも悪くて苦労したんでしょうね・・・.

このバイポーラ・トランジスタで構成された3101は,すぐに他メーカーに模倣されて アドバンテージを失ってしまいます. しかし,当初からIntelはこの3101をMOSFETで構築するための研究・開発を行っていたのでした.

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"1101": SRAM

インテルを本当に有名したのが,このMOSFETで構成されたSRAMの"1101"です. 1970年に発売されたもので,容量は256 bitです.3101の4倍ですね... この1101は全てpMOSFETで構成されています. これは,使いやすい特性のnMOSFETを作るのが難しかったことが原因らしいです.

NチャネルMSOFETといえば,ゲートに正の電圧を印加した時にドレインからソースへ 電流が流れる・・・というスイッチしては分かりやすい極性をもったMOSFETです (PチャネルMOSFETは極性が逆になります). 更に,電子と正孔の移動度の違いから,NチャネルMOSFETの方が動作速度が速いという利点もあります. しかし,当時は「ゲート電圧を印加しない時でもチャネルに電流が流れてしまう」という性質の, "ディプレッション型"NチャネルMOSFETしか作ることができなかったようです. NチャネルMOSFETをOFFにするためにはゲートに敢えて逆バイアスを印加してやらねいとダメ だったんですね・・・. 今のNチャネルMOSFETは"エンハンスメント型"で,この問題は無くなっています. まあ,そんな訳で当時の集積回路には回路素子として使いやすかったPチャネルMOSFETだけで 構成されたのだと言われています. ("トランジスタ入門"の記事でこの辺の話も詳しく掘り下げたいと思っています...)

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"1103": DRAM

"1103"は1970年に発売された,Intel初のDRAMです. 容量は1 kbitと,DRAMらしく(当時としては)超大容量になっています. 展示では左写真のように,それまで用いられていた"Core memory" (コンピュータ歴史博物館でも展示されていました)が主流でした. それに取って代わる形で,半導体集積回路であるDRAMが登場したことになります. そんなわけで,この1103には"Core Killer"(コア・キラー)というあだ名があったそうです. Intel Museumの展示では,なぜか1103のチップではなく,内部のウェハがガラスのブロックに 埋め込まれていて虫眼鏡で観察する感じになってました.

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"4004": 4bit CPU

Intel最初のCPU,"4004"ですよ!

バス幅は4bit,プロセスは例によって全てpMOSです. もともとは日本のBUSICOM社が発注した電卓のためのCPUでした. そんなわけで,日本人のDr.嶋正利さんが論理設計に携わっています. 4004の横には,その4004が搭載された電卓の141-PFも展示されていました(右写真). 4この電卓のために開発されたファミリIC, ROMの4001,RAMの4002,IOの4003,そしてCPUの4004の4つ全てが展示されていました (右写真の左下にあるガラスの柱の中).

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"8080": 8bit CPU

"8080"は1974年に発売された8bit CPUです. これのCPUは大ヒットし,とにかく色々なところに使われました. 8080が使用されたホビー向けコンピュータのALTAIRも一緒に展示されていました. この8080と命令語上位互換で作られて更にヒットしたのがZ80(ザイログ社)です.

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歴代CPU: Core i7まで

i286,i386,i486からPentiumシリーズ,Coreシリーズ・・・と今に至るまでの流れが説明されていました.

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Fabrication(ファブリケーション)に関するエリアへ・・・

ここまでの話はIntelが開発してきたチップの歴史や,それが搭載された機器などについての紹介でした. Intel Museumの奥へ進んでいくと,ちょっと違った趣になってきます. ここから先は,"Fabrication"(ファブリケーション),いわゆる「ファブ」の話になります. ファブというのは,トランジスタやICを作製すること,もしくはそれに用いる技術を全体的に指す言葉です. "process"(プロセス)とか言ったりもします. 工場とかのイメージです. IntelはCPUなどの集積回路の設計に関しても世界トップクラスですが, この「ファブ」に関してもずば抜けていて, 非常に性能の良いトランジスタを「作る」秘訣をたくさん持っている会社です. ただ,かなりガチな秘密主義で有名な会社でもあり,当然ですが細かいノウハウは教えてくれません.

トランジスタなどを作る時,材料はいわゆる「半導体材料」ってやつを使うことになります. この半導体材料をうまく加工してやったり,電気伝導率を調整してやったり・・・という作業で, 化学の実験みたいな内容になります. 自分でもよく分かりませんが,僕の専門はだいたいこの辺が近いです. 大学院では昼も夜も実験室に籠り続けて延々とビーカーやら硫酸やらと戯れていました (そんな楽しい話じゃない).

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シリコン(Si): トランジスタやICの原料

"Silicon"(シリコン)は原子番号14のSi,ケイ素ってやつですね. 左写真は99.9999999%まで純度を高めたシリコンだそうです. 純度が高いことを除けば,ただの石っころです. 見た目は金属っぽいですが,金属じゃないです. 重さや質感はガラスっぽく,金属より軽い感じです. SiO2(ガラス)は身の回りにたくさんあると思いますが, これはSiの酸化物なのでSiの感触はおおよそガラスに似ていると思ってください.

シリコンの塊を一度溶かして,結晶方位を揃えてやりながら 再度冷やして固めると棒みたいなのができます. これを「インゴット」と呼びます.インゴットは普通は円柱みたいな感じになってます. 右写真は現在一番大きいサイズの300 mmウェハ用のシリコン・インゴットです. 太い!!直径300 mmのインゴットなんて初めて見ました.

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Silicon Wafer(シリコン・ウェハ)

シリコン・インゴットを薄くスライスすると, 円盤状の「シリコン・ウェハ」ができます. 右写真は鏡面処理("Polished wafer"と書いてあります)でピカピカに磨いた後のシリコン・ウェハです. この上にトランジスタが作られます.

ウェハの直径は大きいほど良いとされています. ウェハ上には1cm角くらいのチップが何個も同時に作製されます. 後からウェハを小さく切り分けて,1つ1つのチップをICのパッケージの中へ詰め込みます. そのとき,丸ウェハから四角いチップを切り出すので,ウェハの直径が大きいほど 切り出せる四角いチップは多くなります. そんなわけで,昔から直径の大きなウェハを作る挑戦が続けられていて, 右写真のパネルでは時代と共にウェハ直径が大きくなっている様子が紹介されていました.

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ICチップ作製の流れ

シリコン・ウェハ上にトランジスタや配線を作る時の流れについて説明されていました. これは一応子供でも分かる(?)ように非常に単純化されたものだそうです. 本当はもっとヤバイです. 終電を逃します.大学から帰れないです...(ボソボソ)

とりあえずPhotolithography(フォトリソグラフィ), 通称フォトリソについてだけ, なんとなく説明してみます.(右写真では,右→中→左の順に工程が進んでいます.) フォトリソは「トランジスタの形」,「配線の形」などのパターンを作る時に用いられる技術です. 最初に,感光性のドロっとした「レジスト」という薬品を塗ります. このレジストをウェハの上に垂らして,ウェハ自体を回転させてまんべんなく塗ります(右写真・右). 右写真の中の"Applying Photoresist"ってやつです. レジストは光を当てると脆くなり,薬品で簡単に取れるようになります. そこで,作りたいトランジスタの形のパターンを転写するために, 「マスク」というトランジスタの形が書かれた枠(ワク)を用意し, その上から光を当ててやります(右写真・中).これを「露光」といいます. 右写真の中の"Exposing Photoresist"ってやつです. そのあと,ウェハ全体を薬品に入れて,光があたった部分のレジストだけを溶かしてやります. これによってシリコン・ウェハの上にレジストのパターンが形成されます(右写真・左).

レジストはその名前の通り,強い酸などに耐える薬品です. これをウェハの上に塗ってパターンを作っておくと,レジストが無い部分だけウェハが削られ, レジストがある部分は保護されてウェハは溶けません. このウェハを削って実際のパターンを作る工程は次工程の「エッチング」ってやつなんですが, フォトリソはエッチングの為の前準備という感じになります.

フォトリソの精度は作製できるデバイスの寸法にダイレクトに影響するので, どんどん細かいパターンまで露光できるように進化し続けています. フォトリソは黄色い部屋の中でやります.1日中超エレの地下にいると黄色いのにマヒしてきてウワーってなります (うちわネタ).

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4004 CPUのマスク

上のフォトリソの所ででてきた「マスク」ってやつの模型です. 本物はこんなに巨大じゃありませんが・・・. このマスクはIntel最初のCPU,4004のものだそうです. 1つ1つのレイヤーごとに違う色で光っていて, 1つの集積回路を作製するために何層も違う材料を重ねたり, 層ごとに細かい加工を行うんだ,ということを説明する展示になっています. 一番下のレイヤーから,"Field Implant"(基板イオン注入), "Buried Contacts"(埋め込みコンタクト,ポリシリ形成), "Transistor Interconnects"(トランジスタ間配線), "Contacts"(コンタクトホール形成), "Metal Leads & Bond Pads"(メタル配線&ボンディング用パッド) となっています. あくまでフォトリソが5回というだけなので,工程自体は各フォトリソの間にもたくさんあります. 現在のCPUでは40回程度のリソが必要とのことでした...気が遠くなるような話です.

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各種材料の電気伝導性

集積回路に使われる材料のConductivity(電気伝導性)を比べてみようという展示です. (とは言っても「木」とか「砂」とかは使わないですけど...) やや物性っぽい話になってます. タッチパネルでマテリアルを選ぶと,右写真のようにテスターが表示されます. 指でテスト・リードを試料まで動かしてやると,電気が流れる・流れないの表示が出ます. 写真では"Ionized Silicon"で試しているところです. 純度の高いシリコンは絶縁体だけど,インプラして不純物が入った時は導体のように振る舞う・・・ と書いてありました.

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Moore's Law(ムーアの法則)

ムーアさん チーーーッス!!(爆)

この大きなパネル,ムーアさんの笑顔がドンッと書かれています... ムーアの法則に関してやたらと長い説明がされていました. まあ,重要なんですけど. 「同じ面積に集積可能なトランジスタ数は2年で2倍」 ってやつです. 厳密には18ヵ月で2倍だとか言われているみたいです. この法則は各年代ごとに最先端のチップに集積できる,もしくはされるべきトランジスタ数の 目安としてずっと重宝されてきました. 今は"More Moore, more than Moore"とか言ってみんな頑張ってます.

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Robert N. Noice(ロバート・ノイス)

こちらはもう一人のインテル創始者,ロバート・ノイスさんの説明です. ノイスさんは「初めて集積回路を作った人」(の一人)ということになっています. プレーナ技術ってやつです. 経営者としてもとても優秀だったそうです. 一番最初の集積回路の写真も展示されていました(右写真). 1つ1つの素子が目で十分わかるくらい大きいサイズです. TIのジャック・キルビーさんと"同時期に思いついた"ということになっています...

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番外編 記念撮影コーナー

記念撮影コーナーがありました. これは...クリーンスーツ! 今やICの中のトランジスタはナノメートル・オーダーなので, 目に見えないホコリでもトランジスタから見れば巨大なゴミです. 半導体を作る部屋(クリーンルーム)では, クリーンスーツと呼ばれる全身を包む服を着て,体からホコリが出るのを防ぎます. なにやらハイタッチしているようなポーズで,実に楽しげです. 実際,クリーンルームの中では手にこぼしたら骨が溶けるような薬品とか, 微量でも吸いこんだら即死する気体とか,いろいろ危ない薬品を扱うので 僕はここまでハイテンションな感じでクリーンルームに居たことはありません... よく見かける手袋,マスク,足用のカバーも展示されていました,というかお客さんが 普通に着れるようになっていました.あれをつけて1日中作業していると蒸れます. 注意しましょう.

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Stanford University (スタンフォード大学)


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スタンフォード大学の中に入ってきました.スタンフォード大学へ行くには Caltrainの"Palo Alto"(パロアルト)駅から10〜20分くらい歩きます. ただ,普通に遠いのでTaxiを使うのがおすすめです. キャンパスがとにかく広い!さらにびっくりする程きれいな所でした. さすが世界屈指の名門校という感じです.


スタンフォードの中にある"Millennium Church"(ミレニアムチャーチ)です. 何か催しがあるようで,たくさんの人が並んでいました. このミレニアムチャーチでは,Steve Jobsさんが他界した際に"お別れ会"が行われたそうです.



敷地が広いため,高層ビルのようなものは必要ないのだそうです. また,景観を壊さないように建物の様式や配色に気を配っているそうです. スタンフォード大学は私大で,学費は1年あたり5万ドル程度とのことでした. 日本の国立大学の10倍くらいです. かなり裕福か,ものすごく優秀で奨学金をもらわないと在籍することは難しいみたいです.

スタンフォード大学はHewlett-Packard(ヒューレット・パッカード)の HewlettさんやPackardさん, Google創始者のLarry Page(ラリー・ペイジ)さんとSergey Brin(セルゲイ・ブリン)さんなど, シリコンバレーの頭脳を輩出してきた大学です. 各buildingにはゆかりのある著名人の名前がついていました.


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C.H.M.の解説員さんとドライブ(シリコンバレー史跡巡り)


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Computer History Museumへ行った時に「うおー,すげー・・・」などと言っていると, 背後から「日本人の方ですか?」と声をかけられました. 現地に住んでいる日本人の方がComputer History Museumでボランティアをやられていたのです. 後日シリコンバレーを案内して頂けることになり,学会が終わった後すぐにシリコンバレーへ向かいました. タクシーを使わないと回れないような名所をたくさん案内していただき, シリコンバレーの文化,その他にもたくさん素晴らしい話を聞かせていただきました. 常に感動しっぱなしでした,本当にありがとうございました!!



 

Hewlett-Packard

Hewlett-Packard(ヒューレット・パッカード)は,1939年にWilliam R. Hewlett(ウィリアム・ヒューレット)さんと David Packard(デビッド・パッカード)さんによって創業されました. トランジスタの発明が1948年なので,まだ真空管の時代ということになります. 当時2人はスタンフォード大学の学生で,同じくスタンフォード大学の教授である Frederick Terman(フレデリック・ターマン)さんが2人にモノづくりをやらないか?と持ちかけました. ターマン教授は「$538を開発資金としてあげるから,アパートのガレージを使ってとにかく好きな物を作りなさい.」 と言ったそうです.(この$538というのはかなり有名?らしくて,案内して頂いた方も数字を暗記していました.) もちろん2人は優秀だったんでしょうけど,とにかく,うらやましいですね! それで成功しちゃうんだからカッコイイです!! その時に2人が作業したガレージというのが,上の写真です. スタンフォードに近いパロアルトの静かな住宅街の中にあります.

記念碑にはBirthplace of "Silicon Valley"と書かれていて, シリコンバレー最古の企業の1つだということでした. 最初の製品は"Audio Oscillator"であると書かれています. 「オーディオ発信機」という名前のこの製品は, 音声装置をテストするための装置だそうです.

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Fairchild創業時のビル

トランジスタを発明したチームの一人である William B. Schockley(ウィリアム・ショックレー)さんは, もともと東海岸側にあるベル研究所にいました. ショックレーさんはその後西海岸へやってきて, Mountain Viewにある"ショックレー研究所"の所長に就任します. ここでショックレーさん達は当時まだゲルマニウム・トランジスタが主流の中で シリコンを用いたトランジスタ作製について研究していました. その部下の中に,Intelを起こしたムーアさんやノイスさんが居ました.

ムーアさんやノイスさんは,ショックレー研究所をやめたあとに自分たちの会社をつくります. その時にスポンサーになったのがSherman Fairchild(シャーマン・フェアチャイルド) という方でした.その名前を取って,会社名を"Fairchild Semiconductor" (フェアチャイルド・セミコンダクター)と名乗りました. 1957年の創業です. その時の社屋が,上の写真です. 2階建ての,小さなアパートといった感じでした.

記念碑には,"First Commercially Practicable Integrated Circuit" と書いてあります. Fairchildはシリコン半導体を用いて,世界発の集積回路を商品化しました. その当時すでにあったプリント基板の技術を応用して, チップ上のトランジスタ同士を配線することに成功しています. これはノイスさんのアイディアだそうです.

その後会社が大きくなってから,Fairchildさんの経営方針に対してノイスさん・ムーアさんは対立し, Fairchildを退社してIntelを起こす流れになります... この場所の周りは特に大きなビル街というわけでもなく 社屋自体もこぢんまりとしていました. 初の集積回路を開発していた会社も最初は小さいところから始まったんだなあ・・・ と感慨に浸ってしまいました.

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Apple本社,Steve Jobsさんの家

Apple本社ビルを見てきました. 入口そばのApple Storeより奥へは行けませんでした. Intelのような博物館もありません. 右写真はSteve Jobsさん,Steve Wozniakさんらが1976年ごろにApple Iを作製したガレージです. のどかな住宅街の中にありました.普通のお家で,今でも人が住んでいます.

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番外編 AMES Exploration Center

NASAのAMES(エイムズ)研究センターという施設へ連れて行っていただきました. この施設はMountain View寄りのSunny Vale(サニーベール)市内にあります. 1939年に設置された研究センターで,シリコンバレーの企業への融資・提携などにより 技術の革新を支えたそうです. ISS内部の展示や本物の宇宙服,月の石などが展示されていました. とにかく敷地が広くて実際に入ることができたのはその一部でしたが, すぐ近くに滑走路があって間近で飛行機を見ることができたりと, いろいろすごかったです.

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感想

実のところ,いろいろと事情があって今回の学会で発表するのはすごく嫌でした (その話は大学院を卒業する頃に書きたいと思います). 1人で海外へ行くなんて初めてでしたし,その不安も合わせてとにかく 「なんで俺がアメリカに行かなきゃいけないんだ!」という感じになっていました^^; ただ,逃げ出すのもまた嫌だったので,何か別のモチベーションを見つけることを考えました. それがComputer History MuseumやIntel本社などへ行くという,シリコンバレー観光でした. 行きたい場所の住所を調べて, San Franciscoから行く方法を念入りに調べました. それでもやっぱり,日本を出国するときは決して楽しい気分ではありませんでした.

それが,いざComputer History MuseumやIntel Museumへ行ってみると, 「本当に来てよかったあ!」と心の底から思うことができました. 一気にテンションが上がりました,あんなにはしゃいだのは大学院に入ってから初めてじゃないかと思います. 大量の「アツい」電子回路に圧倒されたり,ずっと憧れていた場所へ実際に足を運んでみて, 自分の中で枯れかけていた(というか完全に枯れてました^^;)情熱が蘇るのを感じました. とにかく,元気になったんです.びっくりするほどに.

そして,Computer History Museumでの案内や,シリコンバレーの史跡巡りでお世話になった解説員さんとの 出会いは,本当に思いがけないものでした. 一人旅を覚悟していたので,まず一緒に案内して回っていただけるだけでも非常に心強かったです. 車でしか回れないような各名所を見せて頂けたのは言うまでもなく嬉しかったです. それにとどまらず, 道中ではシリコンバレーが発展していく過程での各人物の思想やシリコンバレーの風土に関するお話をしていただき, 実はそれが一番印象深く残っていたりします.

みんな「アツかった」んですよね. 僕はクールぶってるのが嫌いです.熱血大好きです. 要領悪いですけど,モノ作るなら必死こいてやりたいと常々思っています. それが,なんだか最近は色々と残念なことが続いて完全に勢いを失っていました. でも,「あんなスゲーもん作る人たちは,アツくなかったらやってらんなかっただろーなあ」 と思いました.とても,鼓舞されました. その上,解説員さんのトークはとても優しくて,そっと元気を注入してくれました. この場を借りて,あらためてお礼申し上げます.

なんだか,久々に電子工作したくなってきましたね・・・.



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