[ 事件 index / 無限回廊 top page ]
1975年(昭和50年)2月13日、名門私立女子大学の津田塾大学の入試が行なわれた。受験生の中に、どう見ても女子高生には見えない異様な人物がいた。身長165センチ、レンガ色のパンタロンに白いタートルネックのセーター、派手な縞の七分コート。ここまでは普通だったが、フケすぎていた。顔色も悪い。
“彼女”がかなり人目をひいたのは確かだった。用務員のおばさんたちも「今年は変なのが来てるねえ」と噂し合ったほどだった。
“彼女”の隣の席の受験生は試験が終わった直後、監督官に訴えた。
「隣の席の人なんですけど・・・・・・あの人、男じゃないかしら」
翌日も他学科の入試があり、“彼女”も願書を出している。待ち構えることにした。
翌14日になり、試験開始と同時に試験委員の教授たちが偵察に出た。“彼女”の横をさりげなく通り過ぎる。やっぱりおかしい。手が骨ばっていて、ヒゲの剃り跡のようなものもある。のどぼとけはセーターに隠れていて見えない。髪の毛もカツラじゃないか。
試験の休み時間には、人のいない方へと歩いていった。昼休みには他の受験生がいなくなった頃、一人で食堂で食事していたという。
教授たちの観察によるセックスチェックはすべて「男」と出た。しかも「父親くらいの年齢じゃないか」という意見もあってみんな笑った。しかし、決め手がなかった。受験票の写真が本人と一致している以上、対応は慎重にしなくてはならない。うっかりすると人権問題にもなりかねない。学長まで出てきて、この問題をどう処置すべきか急きょ会議が開かれた。そこで、出身高校に電話で確認することに決まった。東海地方の公立。県下有数の進学校である。教頭先生が出た。
「お宅の生徒さんなんですけど、どこか変わったところがあるでしょうか? そのー、フケて見えるとか・・・」
「いいえ、変わったところはありませんが、受験勉強で徹夜が続いていますからね。疲れが出て、フケて見えるかもしれません」
これでは埒があかない。学長以下が集まり、相談した結果、“彼女”と同じ高校から受験している生徒を呼んだ。受験票の写真を見た2人は目を丸くして断言した。
「こんな顔じゃないです」
「やっぱり、そうだったか!」
試験が終わって、“彼女”がその場に残された。試験委員が緊張して訊いた。
「あなたは○○さんですか?」
「はい、そうです」
“彼女”は女っぽい裏声で答えた。
「生年月日は?」
「・・・・・・」
「あなたの生年月日をおっしゃってみてください」
「すみませんでした・・・・・・」
“彼女”はあっさりと「替え玉」であることを白状した。
「一体あなたはどなたですか?」
「父親です」
“彼”に戻った50歳くらいの父親は「申し訳ない。なんとかご内聞に・・・・・・」と平謝りした。
父親は実は娘が通っている高校の英語教師だった。父親は勤め先の学校に辞表を出し、娘は卒業保留になった。父親が受験した入試科目の英、国、数はいずれも水準以上で、合格圏内だったが、当然ながら失格となった。
娘は高校でもトップクラスで、本人が受験しても間違いなく合格できたはずだったと関係者が語った。
地震・雷・火事・オヤジ、、、地震・雷・家事するオヤジ、、、地震・雷・女装するオヤジ、、、
参考文献・・・
『犯罪の昭和史 3』(作品社/1984)
『戦後欲望史 転換の七、八〇年代篇』(講談社/赤塚行雄/1985)
[ 事件 index / 無限回廊 top page ]