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鳥取連続不審死事件

【 事件発生 】

死亡時期順 交際相手など
(死亡年齢)
職業 死亡日 死亡状況 起訴事件
A(42歳) 読売新聞鳥取支局の記者 2004年(平成16年)
5月13日
鳥取市のJR因美線線路内で段ボールに入って横たわり、
列車に轢かれて死亡。警察は自殺と断定。 
 
B(27歳) 警備員 2007年(平成19年)
8月
鳥取市沖で溺れ、9日後に病院で死亡。   
C(41歳) 警察官 2008年(平成20年)
2月
鳥取県内の山中で首を吊った状態で発見される。警察は自殺と断定。   
矢部和実(47歳) トラック運転手 2009年
(平成21年)
4月11日 鳥取県北栄町の沖合の海底で全裸の水死体で発見される。 
円山秀樹(57歳) 電器店経営 10月7日 鳥取市の摩尼川でうつ伏せの状態の水死体で発見される。
田口和美(58歳) 無職 10月27日 美由紀と同じアパートの別棟に住んでいたが、アパート内で死亡。   


[ 1 ] 2004年(平成16年)5月13日午後9時、鳥取市郊外のJR因美線の線路内で、読売新聞記者のA(42歳)が段ボール箱に入って横たわった状態で列車に轢かれて死亡した。Aは鳥取市内にあるスナックでホステスをしている上田(うえた)美由紀と交際しており、Aは<美由紀に会って本当の愛を知った>との走り書きを残していた。鳥取県警は自殺と断定した。Aは美由紀に貢ぐなどして多額の借金を抱えていたという。

[ 2 ] 2007年(平成19年)8月 美由紀と同棲していた警備員のB(27歳)が美由紀に誘われて貝採りに出かけた鳥取市の海水浴場の沖合で溺れ、その9日後、死亡した。警察は薬物検査を行わず、事故と判断。Bの親族はBが同居中に美由紀からDVを受けていたと語る。

[ 3 ] 2008年(平成20年)2月、鳥取県内の山中で島根県警の刑事であるC(41歳)が首を吊った状態で発見された。Aと同じく自殺として処理されている。妻子のいたCは情報収集のために立ち寄った店で美由紀と知り合い、交際に発展していた。

[ 4 ] 2009年(平成21年)4月11日、美由紀の知人のトラック運転手の矢部和実(47歳)が鳥取県北栄町の沖合の海底で全裸の水死体となって発見された。通常の溺死では普通みられない肺からの砂が検出された。遺体から睡眠導入剤が検出された。美由紀は矢部から270万円借りていた。

[ 5 ] 2009年(平成21年)10月7日、電器店経営の円山秀樹(57歳)が摩尼(まに)川でうつ伏せの状態の水死体で発見された。美由紀に総額123万円余(最終的には鳥取地裁判決で53万円余のみ認定された)家電製品を販売していて、その集金に出かけた翌日に変わり果てた姿で発見された。円山の遺体には暴行を受けたような痕跡があり、遺体から睡眠導入剤が検出された。

[ 6 ] 2009年(平成21年)10月27日、美由紀と同じアパートの別棟に住んでいた無職の田口和美(58歳)がアパートで変死。ひとり暮らしの田口は2009年(平成21年)9月、美由紀から借りた車を運転して追突事故を起こした。その頃から田口は急激に体調を悪化させ、美由紀が田口の自宅に食事を運ぶようになっていた。遺体から睡眠導入剤が検出された。

2009年(平成21年)11月2日、上田美由紀(当時35歳)がトラック運転手の矢部和実の事件に関与しているとみて別件の詐欺容疑で美由紀とともに美由紀と同棲していた相田(仮名)が逮捕された。以後、他の詐欺事件や住居侵入窃盗の容疑を含めて計5回に渡る再逮捕を繰り返し、2010年(平成22年)1月28日、電器店経営の円山秀樹の事件で強盗殺人容疑で逮捕。3月3日、トラック運転手の矢部和実の事件で強盗殺人容疑で逮捕。その後、これらの事案で起訴された。

詐欺容疑で美由紀とともに逮捕された相田とは2007年(平成19年)12月に美由紀と知り合っている。当時44歳だった相田は大手自動車販売会社の営業マンとして働いており、結婚して10代後半の娘が2人いたが、翌2008年(平成20年)4月に入ると妻や2人の愛娘がいる家を飛び出して5人の子持ちだった美由紀と同棲を始め、ほぼ同じ時期に20年以上勤めた自動車販売会社も辞めてしまっている。

相田が起こした詐欺や住居侵入窃盗の事件に次のようなものがある。

2008年(平成20年)11月、相田は知り合いだった鳥取市内の中古車ディーラーから購入した中古車をそのまま別の中古車店に転売し購入元のディーラーからの代金請求を無視し続けた。転売して得たカネはすべて生活費に使っている。

翌2009年(平成21年)4月、相田は鳥取市内の農機具販売店からトラクターや田植え機などを購入し、これらも代金を払わないまま転売した。以後、何度も同様の取り込み詐欺を繰り返しており、美由紀が共謀したものもあった。

6月24日、相田は美由紀と共謀し、美由紀が働くスナックのママの自宅に忍び込み、財布を盗んだ。

2010年(平成22年)9月22日、鳥取地裁で相田が起訴事実を全面的に認めたため検察側が懲役3年6ヶ月を求刑して即日結審。10月20日、鳥取地裁が相田に対し懲役3年の刑を言い渡した。相田は控訴せず、刑が確定した。

【 本人歴 】

1973年(昭和48年)12月21日、上田美由紀は鳥取県倉吉市に生まれた。土木作業員の父親と専業主婦の母親、5歳年上の兄の4人家族。父親は口うるさく言わない無口な人だったが、母親からは殴られたり怒鳴られたりしていた。

小学生の頃から、近所の家に勝手に上がり込み、物を盗んだり壊したりするような子どもで素行不良が目立った。ボス的存在で、同級生をパシリでこき使ったりした。また、嘘つきでも有名だった。地元では「あの家に近寄るな」と言われる家族だった。

米子市の高校を中退後、大阪で結婚情報センターの事務員として勤務したが、長続きせず退職。その後、知り合った自衛隊員の男性と10代後半で結婚し、1993年(平成5年)1月に長男、1996年(平成8年)7月に長女を出産した。だが、金銭トラブルを起こしたため離婚した。

離婚後は子どもを連れて実家に帰ることになったが、1997年(平成9年)11月に地元で知り合った会社員の男性と再婚をすることになり、1998年(平成10年)に次男、2003年(平成15年)に次女を出産した。だが、2人目の結婚相手とも別居し、今度は別の男と内縁関係になり、2004年(平成16年)5月に三女を出産したが、内縁関係にあった男とも別れることになった。

子どもは計5人となり、家族6人で家賃2万5000円のアパートで暮らしていたが、基本的に家事をせず、室内にはゴミの山が散乱していた。また、肉親への情が薄く、子どもたちの食事もコンビニで買ってきたおにぎりなどで済ますことが多かった。

その後、美由紀の周りで6人の男性の不審死が続く、、、。

【 その後 】

2012年(平成24年)9月25日、鳥取地裁で上田美由紀の初公判が開かれた。一般傍聴席23席に対し傍聴希望者は1115人になった。当選倍率は48倍を超えた。

12月4日、鳥取地裁で上田美由紀に対し、「悪質さは顕著で、被告にとって酌むべき事情を考慮しても極刑をもって臨むほかない」として求刑通り死刑を言い渡した。弁護側は2件の強盗殺人の無罪を主張していたが、野口卓志裁判長は「犯行時間帯に現場に被害者と一緒におり、殺害の機会があったのは被告だけだ」と述べ、犯行を認定した。

2014年(平成26年)3月20日 広島高裁松江支部で控訴棄却。

2017年(平成29年)7月27日、最高裁で上告棄却で死刑確定。

2023年(令和5年)1月14日、広島拘置所に収監されている上田美由紀が救急搬送先の病院で窒息死と確認された。自殺を示す兆候はなく、食事を喉に詰まらせたことによる事故死とみられている。上田は10日昼にも喉に食事を詰まらせて意識を失い、救急搬送されたが、外部の病院で「明らかな異常は認められない」と診断され、同日中に広島拘置所に戻されていた。49歳だった。

参考文献・・・
『誘蛾灯 二つの連続不審死事件』(講談社+α文庫/青木理/2016)
『毎日新聞』(2012年12月4日付/2014年3月20日付/2017年7月27日付)
『産経新聞』(2023年1月15日付)

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