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栃木リンチ殺人事件

1999年(平成11年)12月5日、栃木県芳賀郡市貝町にある山林で日産自動車栃木工場に勤める須藤正和(19歳)が死体で発見された。同日、殺人と死体遺棄容疑で逮捕されたのは、無職でリーダー格のA(当時19歳)、正和と同じ日産自動車栃木工場に勤めていたが、交通事故を起こして休職中のB(当時19歳)、無職のC(当時19歳)の3人と前日の12月4日に自首して同じ容疑で逮捕された高校生のD(当時16歳)の4人の少年だった。

9月下旬から4人は正和を殺害するまでの約2ヶ月間(正確にはDだけが11月26日から参加)、宇都宮市内のラブホテルや都内の渋谷のホテルを転々としながら正和を監禁し、丸坊主にしたうえ、眉をそり落とし、顔や腹を殴る蹴るの暴行から「熱湯コマーシャル」「火炎放射器」などと犯人らが名付けた凄惨なリンチへとエスカレートさせていった。さらに、サラ金や友人、知人から借金させ、合計728万3000円を脅し取っていた。

正和の父親は9月下旬に正和が突然、行方をくらまし友人などから借金を重ねていることを知ることになるが、何かの事件に巻き込まれたのだと思い、石橋署に捜査の依頼をしたが、署員は「息子さんは仲間と自発的に同行しているようで事件性は見られないから捜査するわけにいかない」と言って放置した。

11月25日、取引銀行から父親に電話がかかってきた。防犯カメラに被害者が映っている、顔じゅうにヤケドし、3、4人の男に取り囲まれて金を下ろしにきた、という内容だった。正和の母親は石橋署に電話をかけ、そのことで相談したが、電話に出た署員は「もしかすると刑事事件になるかもしれないなあ」と言うだけだった。

11月30日、正和の両親はBの母親とCの父親の4人で石橋署に出向いた。いつも応対する署員が出てきて、「なんなんだ、須藤さん、この騒ぎは。日産からも大勢、人を寄越したりして。一体、今日は何の用で来たんだ」と言った。父親は怒鳴りたい気持ちを抑えつつ、取引銀行からの電話の内容を伝え、ビデオテープを取り寄せてもらうように必死に頼み込んだが、署員は面倒くさそうに、「あのね、銀行のビデオテープを取り寄せるには事件が発生していることを証明し、裁判所の許可を取らなければならないんですよ」と言い放った。

そのとき、父親の携帯電話のベルが鳴った。正和からだった。父親は署員に電話機を差し出し直接、事情を聞いてくれるよう頼んだ。署員が電話に出ると、「あんまり心配かけるんじゃない、早く帰って来い」と言った。正和が「あんたは誰ですか」と訊くと、署員は「石橋だ、石橋警察だ」と答えた。その直後、署員は「あれ、電話が切れちゃったよ」と言って父親に電話機を返した。

父親はこのときの署員の不用意な会話が正和の死を招いたと考えた。口封じのために正和が絞殺されたのではないかと。後日、その殺害は2日後の12月2日だったことが判明する。リーダー格のAの父親は事件発生時は栃木県警氏家署の交通課の係長であったが、そのため捜査をためらったという見方もあった。

12月2日午後2時40分ころ、栃木県芳賀郡市貝町の山林内で、Aらは前もって正和の銀行口座から下した金で買っておいた作業着、軍手、スコップなどを使って、穴を掘ったりセメントをこねたりしたあと、AがBに対し、「ちゃっちゃとやってこい」と正和を殺害するよう命じ、Bは正和に命じて全裸にさせ、首にネクタイを巻きつけた上で、Cと2人でその両端を力いっぱい引っ張って窒息死させ、死体を穴の中に投げ込んでセメントを流した。

その後、Aらは15年の時効期間を逃げ切ろうなどと話し合い、駐車場で追悼花火と称して花火遊びをした。

15年の時効期間・・・死刑になる殺人などの公訴時効は2005年(平成17年)1月1日施行の改正刑事訴訟法により「15年」から「25年」に改正。さらに、2010年(平成22年)4月27日施行の改正刑事訴訟法により殺人、強盗殺人は公訴時効が廃止されたため、公訴時効が完成することがなくなった。

12月4日、16歳の高校生のDが警視庁三田署に自首した。これで事件が発覚した。Dは少年院送致の保護処分となった。

12月20日、東京家裁がA、B、Cの3人を逆送。宇都宮地検が殺人および死体遺棄容疑で起訴した。

2000年(平成12年)4月、Aの父親が県警本部の通信指令課に異動になる。

宇都宮地裁での公判で、Aは自分の行為は死刑になってもおかしくないとか死刑を覚悟していると述べながら、「須藤君の分まで頑張って生きたいというのが本当の気持ち」と遺族の心情を逆なでするようなことを供述した。

6月1日、宇都宮地裁は求刑通り、Aに無期懲役を言い渡した。Aは控訴した。

7月11日、Aの父親の警部補は退職願いを提出し受理された。

7月18日、宇都宮地裁は求刑通り、Bに無期懲役、Cに懲役5〜10年の不定期刑を言い渡した。

7月27日、県警本部長や石橋署の署長、両親に「警察は事件にならないと動かない」などと応対したとされる石橋署の生活安全課長など関係者9人の処分を発表した。だが、その中でもっとも重い処分が石橋署の生活安全課長の停職14日間というあまりにも軽い処分であった。

2001年(平成13年)1月29日、東京高裁は1審でのAに対する無期懲役判決を支持して控訴を棄却した。2月13日、上告申立期限が切れて、Aの無期懲役が確定した。

4月23日、正和の両親は服役中のA、B、Cの3人と保護者ら計8人を相手取り、総額約1億5000万円の損害賠償を求める訴えを宇都宮地裁に起こした。

4月26日、被害者の両親である須藤光男と洋子の共著『わが子、正和よ』が草思社から刊行される。

『わが子、正和よ』

2003年(平成15年)3月31日、宇都宮地検は2000年(平成12年)12月、正和や事件とは関係のない愛知県の翻訳業の男性(当時54歳)が「正和さんが事件に巻き込まれたのが明白なのに、捜査を放置した署員の行為は罪にあたる」と栃木県警石橋署の担当署員を業務上過失致死容疑で告発したのに対し、「嫌疑不十分」で不起訴処分にした。地検は「必要な処置をとらなければ、正和が死亡するなどの重大な結果が起きると、署員が認識するのは困難だった」としている。須藤の両親の代理人を務める小野瀬芳男弁護士は「不起訴は警察寄りの判断で残念だが、(両親が県警などを相手に起こしている)民事訴訟に影響はない」としている。

2006年(平成18年)1月11日、宇都宮地裁(柴田秀裁判長)で服役中のA、B、Cの3人と保護者ら計8人を相手取り、計約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟は一部和解が成立した。和解条項では(1)加害者の1人は3000万円の損害賠償債務を認め、うち1000万円を限度に両親が連帯し支払う(2)別の加害者の母親は1000万円の和解金を支払う −などとしている。いずれも親としての監督責任を認め、遺族に謝罪する内容。正和の父親は「金額ではなく、親の責任を認めたので和解した」としている。

4月12日、宇都宮地裁で国家賠償法に基づいて県などに約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決があった。柴田秀裁判長は「被害者の生命、身体に対する危険が切迫していることは認識できた」と、捜査の怠慢を認めた上、「警察官が警察権を行使することによって加害行為の結果を回避することが可能だった」と、殺人事件との因果関係も認め、県と元少年に計1億1270万円(県の賠償限度額は9633万円)の支払いを命じた。殺人事件を巡り、警察に不適切な対応があったとして賠償を命じた判決としては、桶川女子大生ストーカー殺人事件や兵庫県太子町のストーカー殺人事件の例があるが、警察の対応と殺害との因果関係を認めたのは、神戸商船大(現・神戸大)大学院生殺害事件の訴訟に次いで2件目。

4月20日、原告側は加害者の両親の賠償責任を認めなかった宇都宮地裁判決を不服として控訴した。

4月25日、栃木県は県警の捜査怠慢と死亡の因果関係を認めた宇都宮地裁判決を不服として控訴した。

2007年(平成19年)3月28日、東京高裁で県警捜査の不手際で殺害が防げなかったとして、遺族が県などに計約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決があった。富越和厚裁判長は、県警の不適切な捜査は認めたが、「(捜査の)過失がなかったとしても殺害を阻止できたとはいえない」として、捜査怠慢と殺害の因果関係を否定。因果関係を認めて県などに約1億1200万円の賠償を命じた1審・宇都宮地裁判決を変更し、県に1100万円の支払いを命じた。

なぜ、警察は動かなかったのか。元警視庁警官で現在ジャーナリストとして活躍している黒木昭雄が取材を通して得られた事実を元に推理、著書『栃木リンチ殺人事件』(草思社/2001)にそのことについて詳しく書かれている。

黒木昭雄・・・1957年、東京生まれ。1976年4月、警視庁採用。1977年4月、本富士署配属。1986年7月、第2自動車警ら隊配属。1995年2月、東荻原署配属。1999年2月、巡査部長に昇進、警視庁退職。2010年11月2日、車の中で死亡している姿が発見される。自殺とみられている。主な著書・・・『臨界点』(講談社/2006) / 『いきなり誰かが襲ってきたら? 突然の暴力犯罪から身を守る方法』(草思社/2002) / 『警察はなぜ堕落したのか』(草思社/2000) / 『神戸大学院生リンチ殺人事件』(草思社/2006) / 『秋田連続児童殺害事件 警察はなぜ事件を隠蔽したのか』(草思社/2007)

参考文献など・・・
『栃木リンチ殺人事件 警察はなぜ動かなかったのか』(草思社/黒木昭雄/2001)
『十九歳の無念 須藤正和さんリンチ殺人事件』(角川書店/三枝玄太郎/2002)
『毎日新聞』(2000年6月1日付/2001年4月23日付/2003年3月31日付/2006年1月11日付/2006年4月12日付/2006年4月20日付/2006年4月25日付/2007年3月28日付/2010年4月27日付/2010年11月2日付)

関連サイト・・・
全国犯罪被害者の会 NAVS【あすの会】

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