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水産高校実習船インド洋殺人事件

1985年(昭和60年)8月29日、秋田県男鹿(おが)市の県立船川水産高校3年生28人が授業の一環として船の操縦や漁の基礎を学ぶ海上訓練を受けるため、実習船「船川丸」(496トン)に乗り込み、航海に出た。洋上実習は約3ヶ月間の予定であった。

航海に出てから約1ヶ月後の9月21日、インド洋沖で実習生のひとり3年生の安田邦夫(17歳)が行方不明になった。付近にいた漁船にも手伝ってもらい、8日間に渡って捜索したが、行方は分からず、死亡したものと断定した。

実習生の間ではすでに殺人事件という噂が広まりつつあった。まず、同級生のA(当時17歳)が安田が行方不明になる前に別の生徒数人に対し、安田の殺害を持ちかけていたことが分かった。同じく同級生のB(当時17歳)も捜索活動中から友人たちに疑惑の目で見られていた。教官たちも2人を疑っていた。だが、実習生たちを動揺させないように深く追及せず、また、2人が自殺することがないよう密かに見張っていた。

「・・・僕がA君と一緒に海に突き落としました」

秋田への帰港直前、Bが教官に告白し、「事件」であったことが分かった。

10月14日午後、予定を早く切り上げて、船川丸が帰港。秋田海保により、AとBの2人が緊急逮捕された。調べでAは「航海が長く、ガールフレンドにも会えずイライラしていた。何か事故でも起こせば早く帰れると思った」と動機を語った。これにより、いまの高校生は短絡的だ≠ニ話題になった。

安田は成績がよく、学級委員長やテニス部の主将を務める優等生だが、Aは成績は下位で、ケンカ早くやや粗暴なところがあった。Bは気が弱く、Aの子分のような存在だった。事件のときもAはBに対し、「安田を呼んでこい。そうしないとお前を海に落とすぞ」と脅し、安田を甲板に誘い出していた。Aは安田に対しコンプレックスを感じており、日ごろからちょっかいを出したりしていたが、安田は気が強い一面があり、逆ににらみ付けることがあった。実習の揚げ縄作業中にもAは安田に対し、「魚は獲れているか?」と声をかけたのに、安田は無視することがあった。

200カイリ漁業規制以来、水産高校への進学志望者は激減したが、それに伴い、志願者は定員に満たず、公立高校としては例外的に2次募集までして生徒を集める状態が続いていた。Aも2次募集組のひとりだった。Aは普通高校への進学を希望していたが、受験に失敗していた。中学校では偏差値で受験校を決め、高校では頭数を揃えるためだけに入学生を受け入れる。そうした学校教育にも問題があった。

11月5日、秋田地検はAとBの2人を刑事処分相当との意見書を付けて秋田家裁に身柄を送致した。

その後、秋田地裁はAとBに対し、懲役4年以上7年以下(求刑懲役5〜10年)の不定期刑の実刑判決を言い渡した。少年事件としては異例の厳罰であった。

当時のマスコミは、「昔と違い、いまの若い子は耐えることを知らない」「過酷な実習内容にこそ原因がある」などと事件を総括した。

参考文献・・・
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)
『新潮45』(2007年2月号)

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