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1961年(昭和36年)12月7日、日本銀行秋田支店で廃札係にまわされる直前になってニセ千円札(肖像人物・聖徳太子)WR券が発見された。ニセ千円札「チ-37号」である。札を手にとった人が誰一人気づかないまま廃札寸前になるまで流通し続けたことになる。このニセ千円札「チ-37号」は犯罪史上、「最高傑作」とも「最高の芸術品」とも呼ばれている。日本銀行秋田支店の発券課員によると、ニセ札は本物よりほんの少し薄く、つるつるした感じでツヤがあったのでわかったというが、あまりに精巧な出来栄えに驚いてしまったという。1963年(昭和38年)10月19日、日本銀行福島支店でDN券が最後に発見されるまでの2年間で北は秋田から南は鹿児島まで全国22都府県で25種、合計343枚のニセ千円札が発見された。特に東京、千葉、埼玉などの関東に集中していた。そのニセ札は新聞で本物との違いが報道されるたびに修正が加えられ、ますます本物そっくりになっていった。
「チ-37号」の「チ(千)」はニセ札事件のときに千円札の場合につける警察のコードナンバー。「37」は発見順の通し番号で、「チ-37号」は37番目のニセ千円札事件を意味する。千円札は、1950年(昭和25年)1月7日から「聖徳太子」の図柄で登場したが、4月にはニセ札が現れた。これが「チ-1号」事件で、それ以降、次々にニセ札が現れた。1959年(昭和34年)7月、「聖徳太子」の顔が真っ黄色なため「黄ダン千円札」の異名で呼ばれ、東京で31枚発見されたのが26番目で「チ-26号」事件である。
ちなみに「和」(わ)とはニセ札一万円に対するコードナンバーのことで、十円札の場合は「伊」(い)、百円札の場合は「呂」(ろ)、五百円札の場合は「葉」(は)、千円札の場合は「チ」、五千円札の場合は「利」(り)と呼ばれている。これらのコードナンバーはいろは順から発音がまぎらわしくない字を選び、適当な漢字(千円札だけ例外で字が似ているカタカナの「チ」になった)を当てはめたもの。一円札が偽造された例はなく、二千円札については大規模なニセ札が確認されていないため、公表されていない。
警察庁科学警察研究所と大蔵省(現・財務省/以下同)印刷局研究所(現・国立印刷局研究所?)はこのニセ千円札を鑑定し、(1)使用紙はアート紙、(2)写真製版による凹凸版印刷、(3)インキは凸版用、(4)印刷は表が5版4色刷、裏が3版3色刷、(5)印刷機械は凸版校正用の手引きダルマ機と発表したが、使用機械に誤りがあったとされている。警視庁だけで197人、捜査費用10億円以上を投入して捜査に当たり、捜査対象者は14万6617人になった。
全国銀行協会は犯人逮捕につながる情報提供に100万円の懸賞金を付け、警視庁はニセ千円札1枚に3000円の謝礼金、犯人の有力情報提供者に1万円を出す方法をとったが、結局、有力な手掛かりは得らず、大蔵省は、模倣された千円札は1950年(昭和25年)1月7日発行の紙幣だったが、この事件を機に、1962年(昭和37年)8月13日、新千円札を発行することを発表。翌1963年(昭和38年)11月1日から肖像人物を伊藤博文の新千円札(発行停止・1986年1月4日)に切り替えて発行した。
ニセ千円札「チ-37号」が出回っている間、このニセ千円札を使用している人物が分かっている。最初の発見から9ヶ月後の1962年(昭和37年)9月10日、千葉県佐倉市の駄菓子屋で一人の男が千円札を出してチューインガム100円分買った。翌日、ニセ千円札と判明、「チ-37号」の新種だった。その男は35〜36歳、白っぽいハンチング帽子をかぶり、くたびれた半そでシャツを着て、小柄だが、がっちりした体形で顔は黒く、目元は細く見えたらしい。だが、駄菓子屋の主人の片方の目に障害があったことから人相がはっきりせずモンタージュ写真を作ることはなかった。
翌1963年(昭和38年)3月5日、静岡県清水市の青果店で一人の男が千円札を出してミカン100円分を買った。1時間後、ニセ札として清水署に届けられ「チ-37号」の新種と断定された。その男は30歳くらいで髪を七三に分け、背丈は155センチと小柄で霜降り柄のオーバーを着用、青白い丸顔だったという。
さらにその翌6日、隣の静岡市の青果店で干しシイタケ30円分を千円札で買っている。すぐにニセ千円札と分かり、近くの交番に通報した。その男は30歳くらいで黒っぽいハンチング帽に黒縁のメガネをかけていて色白の丸顔だったらしい。犯人は変装を試みている可能性があった。その後、静岡県警はモンタージュ写真を作成したが、犯人逮捕には至っていない。
犯人は印刷・製版関係の仕事をしている者と想定されたが、それをもとに作った印刷関係者のリストは警視庁だけで約5万人になった。他の県を合わせれば、膨大な人数になり、そこから犯人を割り出すのは無理があった。ほかには、犯人は行商人かセールスマンではないかという説が出てきた。ニセ札の発見は関東に集中していたが、神奈川県だけが少なかったことから住居を特定されるのを嫌って、住居がある神奈川県以外で使用したほうがいいと考えた可能性もあり、そうしたことから神奈川県居住者だとする説、タバコ屋から発見されたニセ札が少ないことからタバコを喫わない人物という説もあった。また、出回った千円札の数がそう多いとは言えず、犯人の目的は金儲けではなく、趣味だとする説も有力だった。
刑法148条1項(通貨偽造)では「行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、または変造した者は無期またはは3年以上の拘禁刑に処する」と定められている。また、刑法148条2項(偽造通貨行使)では「偽造または変造の貨幣、紙幣または銀行券を行使し、または行使の目的で人に交付し、もしくは輸入した者も前項と同様とする」とも定められている。
事件の発覚自体は日本銀行秋田支店での1961年(昭和36年)12月7日だったが、最初のニセ札が使用された日がその約1ヶ月前の11月4日と特定され、こちらが先であるため、この日が起点となる。当時の刑事訴訟法で紙幣偽造罪の公訴時効は12年と定められていたが、結局、事件発生から12年後の1973年(昭和48年)11月4日まで犯人を逮捕できず、公訴時効が成立している。2005年(平成17年)1月1日施行の改正刑事訴訟法250条により、無期の拘禁刑に当たる罪についての公訴時効は現在(2025)は15年になっている。
参考文献・・・
『迷宮入り事件と戦後犯罪』(王国社/鎌田忠良/1989)
『迷宮入り事件の謎 ミステリーより面白い』(雄鶏社/井出守/1994)
『犯罪の昭和史 3』(作品社/1984)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)
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