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中野富士見中学いじめ自殺事件

1986年(昭和61年)2月1日、岩手県盛岡市の国鉄(現・JR)盛岡駅に隣接するデパート「フェザン」の地下1階男子トイレで、東京都中野区立中野富士見中学校2年の鹿川裕史(しかがわひろふみ)君(13歳)が自殺した。

午後10時過ぎ、見回りのガードマンが死体を発見。鹿川君はビニール紐をトイレ内側の洋服掛けにかけ、首を吊り、床には鉛筆で書かれた遺書が残されていた。

[ 遺書 ]

家の人、そして友達へ 

突然姿を消して、申し訳ありません 
(原因について)くわしい事については・・・とか・・・とかにきけばわかると思う

俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ、ただ、俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃいみないじゃないか、だから、君達もバカな事をするのはやめてくれ、最後のお願いだ。

昭和六十一年二月一日

鹿川裕史

< 『現代殺人事件史』(河出書房新社/福田洋/1999) >

「・・・とか・・・とかに」 → 同校の非行少年グループのリーダー2人の名前が記されている。

前年の1985年(昭和60年)5・6月、中学2年に進級して間もない頃、クラスの中にツッパリグループが自然にできると、鹿川君は「使い走り」をさせられるようになっていた。

10月上旬、「ふざけ」が急速にエスカレートしていく。顔にマジックでヒゲを描かれ、廊下で躍らされる。服にマヨネーズをかけられる・・・・・・。

度が過ぎるときは、級友が止めに入ったが、当の本人はさして苦にもしていない様子であった。「家に帰るのが怖い」ともらし始めたのもその頃で、「いじめ」に遭っていることを告げると、厳格な父親(当時42歳)は、鹿川君を叱る一方、抗議のため、いじめた子どもの家庭に乗り込むこともあった。

11月14・15日、クラスメイトや教師までも加わった「葬式ごっこ」が行われた。黒板の前におかれた鹿川君の机の上には飴玉や夏ミカンが並べられ、花や線香も添えられていた。鹿川君の写真の横には「追悼」色紙がおかれ、そこには級友の寄せ書きや「やすらかに」といった担任を含む4人もの教師のメッセージや署名もあった。

1986年(昭和61年)1月8日、この日は始業式の日だったが、10人ほどのグループにひざ蹴りやパンチなどの暴行を加えられた鹿川君は、その後、欠席を繰り返すようになっていた。登校した日は校庭で歌を歌わせられたり、下駄箱の靴を便器の中に投げ込まれたりした。

1月30日、最後の登校日となった。その夜、鹿川君は家でごはんを食べ、コタツにくるまりながらテレビを見ていた。別に変わった様子もなかったという。

2月1日朝、鹿川君はいつも通り自宅を出る。母親(当時39歳)が鹿川君の姿を見たのはこれが最後だった。

1986年(昭和61年)3月、東京都教育委員会は、担任教師を諭旨退職にするなど、6人を処分した。

4月、警視庁と中野署は16人の生徒を傷害や暴力行為容疑で書類送検した。

6月、鹿川君の両親は東京都と中野区、リーダー格の2人の両親を相手に総額2200万円の損害賠償請求を東京地裁に起こした。

9月、東京家裁はリーダー格の2人に保護監察処分を言い渡した。

1991年(平成3年)3月27日、東京地裁の判決が出た。それによると、「『葬式ごっこ』はいじめではなく、むしろひとつのエピソードとみるべきもので、自殺と直結させて考えるべきではない。鹿川君の心理的・精神的反応を予見することは不可能だった」として、自殺については学校側や加害者側の責任を認めなかった。だが、自殺直前に加えられた暴行による、精神的苦痛に対する慰謝料は認めて、中野区など被告側に、弁護士費用100万円を合わせ、総額400万円の支払を命じた。

原告側はこの判決を不服として控訴した。

1994年(平成6年)5月20日、東京高裁は、「いじめはなかったとした1審判決を変更し、自殺の前年から『葬式ごっこ』を初めとするいじめは続いており、学校側にはいじめを防止できなかった責任がある」として、被告4人に対して、総額1150万円の支払を命じた。

しかし、ここでも、自殺の「予見可能性」はなかったとの判断で、いじめによる自殺については加害生徒側や学校側の賠償責任はないとした。

1986年(昭和61年)3月、法務省人権擁護局によると、いじめた側は、(1)力が弱い、動作が遅い、(2)なまいき、良い子ぶる、(3)仲間にはいらない、(4)肉体的欠陥、(5)人より優れている、(6)転校生・・・を理由に「いじめ」を行っている、という調査結果を発表した。

同年、臨時教育審議会では「いじめ」について、「『相違』を許容しない学校の体質、受験ストレスに加え、乳幼児期の親子相互作用の不安定、しつけや自己抑制力の不足、過保護、過干渉、放任家庭、面白いことを価値ありとする風潮など、さまざまな要因が複合している」というものだった。さらに、「個性の重視、カウンセリング体制の充実、教員の重点的な手当てなど、学校においてやるべきことは山ほどある。子どもの数が減りつつあるいま、そうした条件整備はやりやすいはずだ。同時に、個々の親を含めた大人社会全体の責任で、受験戦争の緩和のほか、例えば、子どもの遊びや直接体験の場を増やしていくことで、他人の痛みを知る心を培っていく必要がある。このことを自覚したい」と分析した。

社会福祉法人「いのちの電話」の斎藤友紀雄事務局長は、「『いじめ』は世界中で起きていますが、日本の場合、その一番大きな原因は、異質なものを認めないという精神文化に根ざしていると思います。偏差値教育や核家族化によって孤独を強いられた子どもたちは、必死に自分の居場所を求めるのですが、性格や能力が集団と調和しない子は、集団から排除されてしまう。つまり、村意識が働いて、村八分にされてしまうのです」と語る。

参考文献・・・
『現代殺人事件史』(河出書房新社/福田洋/1999)

『「命」の値段』(日本文芸社/内藤満/2000)

『「葬式ごっこ」 八年後の証言』(風雅書房/豊田充/1994)
『少年は死んだ 中野・富士見中“いじめ地獄”の真実』(毎日新聞社/門野晴子/1986)
『日録20世紀』(講談社/1998年4月21日号)

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