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京大生老婆殺し事件

1947年(昭和22年)5月23日午後2時半ころ、京都大学文学部哲学科1年生で元海軍中尉の田沢栖雄(当時27歳)が東京都北区西ヶ原1丁目の内閣印刷局工場長である石川綾一方に同宿している同じく印刷局の労務部長の渡辺隆(当時44歳)を訪ねていった。だが、不在だったため玄関で待っていたが、しばらくして、その家の衣類が目について盗もうとしたところ、留守番をしていた松村あき(61歳)に見つかり、騒がれたため、兵児帯で首を絞めて殺した。

敗戦後は物のない時代で、衣類は貴重であり、お金になった。大切にしていた衣類をタンスから出しては農家にもっていき、米や芋を分けてもらい、飢えをしのいでいるような時代だったから老婆も衣類を盗まれまいと必死だった。だが、そうした食糧難の時代だったから、田沢への同情もあった。

東京地裁での初公判で裁判長の質問に対し、田沢は次のように答えた。

「裁判長、認識と実践、知識と実行は必ずしも一致しません。自分の行為を意識しない瞬間もあるのです。前後不覚というか、無我夢中というか、たとえば目がまわるほど腹のすいているときなど、飯の中にねずみのフンが入っていても気づかずに食ってしまうように・・・・・・つまり、そうするということと、そうさせられるということと、そうなってしまったということとは、結果からみれば同じようですが、その心理過程には大きな違いがあります。私の場合はそうなってしまった例です。人を殺せば悪い、首を絞めれば死ぬというふたつのことはハッキリ分かっていながら、殺そうとする意志も、殺したという意識もなく、ただ残っているのは、『ケ、ケイ・・・・・・サツは、ショウ・・・・・・ボウショ・・・・・・ち、近い・・・・・・ちかい』という断末魔の叫びだけです(以後、省略)」

田沢栖雄は地方の素封家の次男に生まれ、地元の中学を優秀な成績で卒業してから、日本大学専門部経済科に学んだ。やがて軍隊に入り、海軍士官になったが、敗戦で復員してから、改めて京都大学文学部哲学科に入った。

犯人がインテリの京大生ということで様々な知識人が興味を示し、論評された事件でもあったが、ロシアの作家のドストエフスキーの小説『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフのような「非凡人は法律を超越できる」といった理論をもっていたとは思われず、衝動的に殺人を犯してしまい、法廷で小難しい屁理屈を並べ立て、ある種の殺人哲学を語ったことで世間の注目を集めた。

『罪と罰』・・・ロシアの作家のドストエフスキーの長編小説で1866年に出版された。頭脳明晰だが、貧しい元大学生のラスコーリニコフが、「ひとつの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利をもつ」という独自の犯罪理論を元に強盗殺人した上で、その奪ったお金を善行に使おうと計画を立てる。やがて、金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害してお金を奪うが、殺害現場に偶然、居合わせたその妹まで殺害してしまう。この予定外の殺人にラスコーリニコフの罪の意識が増長し、発狂していく。だが、ラスコーリニコフは自分よりも悲惨な生活を送る娼婦のソーニャが家族のために自己を犠牲にして生きる姿に心をうたれ、最後に自首するまでの葛藤を通して人間に回復していく様子が描かれた作品。

『罪と罰〈上〉』(岩波文庫/1999) / 『罪と罰〈中〉』(岩波文庫/1999) / 『罪と罰〈下〉』(岩波文庫/2000)

『罪と罰』(DVD/監督・ディミトリー・スベェトザロフ/出演・ウラジミール・コシェヴォイ他/2011)

その後、裁判で田沢栖雄にどのような判決が下されたか不明。

参考文献・・・
『戦後欲望史 混乱の四、五〇年代篇』(講談社文庫/赤塚行雄/1985)

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