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金閣寺放火事件

金閣寺・・・足利3代将軍義満によって建立された北山文化の白眉といわれる建造物。もと西園寺家の中島・岩島を配した池泉回遊式庭園をもつ山荘で足利義満が譲り受け、応永元年(1394年)にここに別荘を築いて住んだ。主な建物は舎利殿、護摩堂、法水院や公卿間、天鏡閣等の仏教建築と住宅であった。応永15年(1408年)、足利義満の急死後、夢窓国師が開山し、法名から鹿苑寺(ろくおんじ)となった。この舎利殿が金閣寺と呼ばれる。金閣寺は鏡湖池畔に臨む方丈の3層の楼閣で初層の法水院は寝殿造り、2層の湖音洞は武家造りの仏閣風、3層の究意頂は禅宗仏殿風、2〜3層に金箔が貼られ、宝形造りの屋根に金銅製の鳳凰が輝いている。

1950年(昭和25年)7月2日午前2時50分ころ、金閣寺から火の手があがった。消防車10台が駆けつけたが、強風のため炎の勢いは増すばかりでなすすべがなかった。出火から1時間半ほどで骨組みの一部を残して全焼した。このとき、堂内に安置されていた運慶作の三尊仏、仏師春作地蔵尊、大元禅師、中国から渡来したといわれる達磨(だるま)大師、夢窓国師の各座像なども焼失した。

警察は捜査の結果、不自然な出火から放火と断定して犯人の割り出しにとりかかったが、出火の前後から行方をくらましていた金閣寺の徒弟である大谷大学1年生の林承賢(「承賢」は諱 [いみな] /本名・養賢/当時21歳)を指名手配した。

同日午後7時ころ、裏山で刃物で心臓などを刺し、カルモチンを飲んで苦しんでいる林が発見された。自殺未遂であった。

カルモチン・・・催眠鎮静効果のある化合物。自殺目的などで大量服用し、急性中毒を引き起こす場合があるが、致死性は低い。「カルモチン」は商品名で武田薬品工業から市販されていたが、現在は販売中止になっている。

林養賢は1929年(昭和4年)3月19日、舞鶴市成生(なりう)に生まれた。父親は舞鶴市の臨済宗成生寺の住職だったが、養賢が16歳のときに亡くなった。父親の遺言で叔父を保証人として鹿苑寺住職のもとに入門し、承賢という諱をもらった。臨済中から大谷予科に入学したが、戦後の食糧難の1945年(昭和20年)に一度、寺から脱走し、叔父のもとに逃げて、破門になったが、翌年、許されている。母親は5年間、一度も養賢に会わなかったが、それは鹿苑寺の住職から自立させるためと言われたからで、母親は気にしてはいなかった。

林は犯行の動機を訊かれ、「自分の醜さと比べて、金閣寺の美しさが呪わしくなり、反感を抑えきれずに放火した」と答えた。この事件は哲学的な動機と若い学生僧の犯行ということで話題を集めた。

林は幼い頃から吃音(きつおん)に悩んでいて、そのため仲間や上層の僧とうまくコミュニケーションがとれず、いつも金閣寺を眺めて暮らしていたという。当時の事件を報道した新聞には、「林はわたしのいうことなどきかず、同僚とも馴染まない孤独な性格の持ち主で、日頃から寺や世間に対して不満を抱いていたことは間違いない」(住職)などといったことが書かれている。

林は金閣について想う・・・。

≪ 無言のまま、ひっそりとそそり立つ金閣。もともと金閣は一人の将軍を中心とした多くの暗い心の持ち主たちが建てた不安の建築ではないか。不安が建てた幻のような金閣・・・戦乱と多くの屍とおびただしい血が金閣をますます美しくする。三層のバラバラな設計、不安を様式化した金閣はひとり静寂と孤独を楽しんでいる。金閣の頂(いただき)にある金銅の鳳凰が時もつくらず、羽ばたきもしないのに、いかなる鳥も飛ぶことができない永い時間の中を飛び続けている。金銅の鳳凰は金閣の上空をよぎる雀たちや鳥たちのように羽音を響かせたり、けたたましい啼き声をあげたりはしない。あの鳳凰も吃りの俺と同じように無言のままだ。しかし、どうだ。雀や鳥はいっとき空間を飛ぶだけなのにあの鳳凰は永遠に時間の中を飛んでいる。鳳凰はすでに鳥であることさえ忘れたように不動の姿で眼(まなこ)を怒らせ、羽根を高くかかげ、金色の脚を踏ん張っていればいいのだ。風の流れのように時間が羽根をうち、後方へと流れ去っていく。 ≫

だが、孤独を慰めてくれていた金閣寺も多くの観光客を魅了するその美しさが林には次第にうとましくなっていった。事件当日、寺中が寝静まった頃を見計らって金閣寺に火を放った。自分も金閣とともに燃え尽きるつもりだったが、強風にあおられ、激しく燃え盛る炎に包まれた金閣寺を見て恐ろしくなった林は裏山逃げて自殺を図ったのである。

林は7年の懲役判決を受けるが、控訴せず、刑が確定し、加古川刑務所に入所した。3年後の1953年(昭和28年)、結核と精神分裂病と診断され、八王子医療刑務所に移された。2年後の1955年(昭和30年)10月、京都刑務所に移り、恩赦により、10月30日に釈放され、直ちに京都府立洛南病院に措置入院したが、幻覚、幻聴に悩まされ、1956年(昭和31年)、3月7日、肺結核が悪化して死亡した。26歳だった。

「精神分裂病」という名称は “schizophrenia”(シゾフレニア)を訳したものだが、2002年(平成14年)の夏から「統合失調症」という名称に変更されている。

この事件をモデルに三島由紀夫が小説『金閣寺』(新潮文庫)を書いたが、この作品を原作として市川昆監督による映画『炎上』(DVD/出演・市川雷蔵&中代達矢&・・・/2004)が制作された。

他には、水上勉の『金閣炎上』(新潮文庫)『五番町夕霧楼』(新潮文庫)があり、『五番町夕霧楼』はこれを原作として田坂具隆監督による同名タイトル映画『五番町夕霧楼』(DVD/出演・佐久間良子&河原崎長三郎&・・・/2009)が制作された。

参考文献など・・・
『犯罪の昭和史 2』(作品社/1984)
『別冊歴史読本 戦後事件史データファイル』(新人物往来社/2005)
『検証 戦後50年 2 事件編』(サンドケー出版局/総監修・舛添要一/1995)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)
『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(河出書房新社/内海健/2020)

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