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「イエスの方舟」事件

1965年(昭和40年)3月、東京都昭島市に住むある家族から捜索願が出された。20歳になる娘が宗教団体の「イエスの方舟(はこぶね)」へ入信したため、家出してしまったというものだった。同じように入信した女性の家出が相次ぎ、1977年(昭和52年)までに7件の捜索願が出されていた。

「イエスの方舟」とは千石剛賢(せんごくたけよし)が主宰する無会派のキリスト教教団「聖書研究会極東キリスト教イエスの方舟」のことで、東京都国分寺市恋ヶ窪に建てたテント張りの住居兼会堂を拠点として府中市、小平市などの多摩地区を転々としながら布教活動を行っていた。やがて、家出した信者とともに共同生活をするようになった。

千石は兵庫県の出身で1960年(昭和35年)に上京。東京都国分寺に10人のメンバーと「極東キリスト集会」を設立。1970年(昭和45年)1月、「イエスの方舟」と改称した。

1977年(昭和52年)9月、警視庁防犯部少年一課は特別捜査班を編成したが、女性たちの入信と家出は自主的であるという理由から、強制的に家族のもとへ連れ戻すことはできなかった。

だが、家族は納得できず、娘たちの入信に怒る親たちは「イエスの方舟」に対する集団抗議行動を起こすようになり、直接、住居兼会堂に押しかけるようになった。

1978年(昭和53年)4月21日、「イエスの方舟」の26人(若い女性11人、中年女性8人、中年男性4人、青年1人、子ども2人)全員が国分寺での活動を中断し、住居兼会堂を引き払った。以後、2年以上に渡り、大阪、神戸、長野、赤石、岡山などを転々とする「逃亡生活」を余儀なくされた。

12月からは福岡市内のマンションを拠点として共同生活を営むようになり、1979年(昭和54年)3月からは共同生活の資金調達のため、若い女性信者9人が福岡市内にある「キャバレー赤坂」でホステスとして働いた。

突然の集団失踪に慌てた信者の家族は市長への陳情や警察への捜査の強化を訴えた。これにマスコミが食いつき、信者のほとんどが女性で共同生活をしながら放浪を続けるミニ教団は恰好のネタになった。

1979年(昭和54年)、『婦人公論』(中央公論社/現・中央公論新社)1月号に、<手記 千石イエスよ、わが娘をかえせ>という家出女性の母親の投稿が掲載されたことから、宗教法人の資格をもたないきわめて小規模の宗教教団の存在が社会的な注目を集めることになった。この投稿から「千石イエス」という呼び名が定着するが、千石本人はこのように名乗ったことが一度もない。さらに、1980年(昭和55年)2月からは『サンケイ新聞』(現・『産経新聞』)が<イエスの方舟を追う>というタイトルの連載を開始し、煽情的に事件を扱った。<わが娘を返してください−イエスの方舟 こうして神隠し=|教室までつきまとう><わかい女性10人失跡=|東京で五三年(一九七八)春から不明 謎の教祖と流浪か>といった見出しが使われ、千石を中心としたハーレムであるかのような記事を書いて、邪教扱いした。

だが、そんな中、「イエスの方舟」に好意的なマスコミもあった。信者の手記を受け入れ、そのままの形で掲載した週刊誌『サンデー毎日』(毎日新聞)だった。『サンデー毎日』は熱海にある同社の製本印刷会社の寮で会見することを「イエスの方舟」に呼びかけた。

千石は病状がすぐれなかったが、自分の命があるうちに問題を解決させたいという気持ちがあり、『サンデー毎日』の呼びかけに応じた。

1980年(昭和55年)7月3日、名誉棄損、暴行行為容疑で千石ら5人に逮捕状を取った警視庁防犯部は製本会社の寮に捜査員を派遣し、捜索願が出されていた7人を保護。幹部1人を逮捕、3人に任意同行を求め、身柄を警察に移したが、千石剛賢(当時57歳)はこの日、心臓発作を起こし、病院に収容されたため、逮捕されなかった。実際、身柄を拘束されたのは韓国籍の1人で、それも外国人登録法違反で罰金8000円で釈放された。

翌4日、信者たちは寮内で記者会見に応じた。保護された信者全員が自分の意志で入信したことを主張し、警察と家族に強制的に連れ戻されたと訴えた。さらに、教団に対するマスコミや世間の非難について反駁を示した。

このため、警視庁は捜査を任意に切り替え、逮捕を書類送検にとどめた。

1981年(昭和56年)5月29日、東京地検は千石と女性3人を不起訴処分とした。

信者たちは千石を親しみと敬意を込めて「オッチャン」と呼び、対外的には「責任者」と呼んでいた。「イエスの方舟」は多くの新興宗教にみられるような教祖様の威光、カリスマ性や神秘性とは無縁だった。

「イエスの方舟」事件はマスコミが作り上げた事件だった。信者の女性たちは中流生活の「幸せ」を強制する家族との違和感から家出を決意し、宗教的な共同生活を選択し、自らの価値観にあった幸せを手にしたのだった。

事件解決後、メンバーのほとんどは親たちの承諾を得て福岡に戻り、中洲で「シオンの娘」というクラブを営み、共同生活を送っていた。このクラブには女性信者が勤務し、お酒も提供するが、教会のように来客の人生相談などに乗るなど活動の拠点でもあった。男性信者は建設関係の仕事をしていた。

1993年(平成5年)からは千石は福岡県古賀市に建てた教会兼自宅「イエスの方舟会堂」で信者との共同生活を続けていた。

2001年(平成13年)12月11日、千石が死亡した。78歳だった。

千石剛賢の著書に次のようなものがある。

『父とは誰か、母とは誰か 「イエスの方舟」の生活と思想(シリーズ〈家族〉(3)』(春秋社/1986) / 『隠されていた聖書 なるまえにあったもの』(太田出版/イエスの方舟[編]/1992) / 『死よ!! だれも言わなかった死とお葬式の楽しみ方 朝日ワンテーママガジン4』(朝日新聞出版/1993) / 『壊乱 現代宗教の危機』(すずさわ書店/J・ヴァン・ブラフト&本多弘之&高木宏夫&千石剛賢&笠井貞/東洋大学井上円了記念学術センター[編]/1996)

この事件を元に制作されたテレビドラマに1985年12月9日午後9時から約2時間に渡ってTBS系列で放送された『イエスの方舟 イエスと呼ばれた男と19人の女たち』(VHS/出演・ビートたけし&田中美佐子&山咲千里&・・・)がある。この作品は1985年度第1回芸術作品賞とテレビ大賞を受賞した。

また、この事件をヒントに描かれたコミックに『贖いの聖者』(あがないのせいじゃ/太田出版/白倉由美[漫]/大塚英志[原]/1991)がある。

参考文献など・・・
『検証 戦後50年 2 事件編』(サンドケー出版局/総監修・舛添要一/1995)
『犯罪の昭和史 3』(作品社/1984)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)
『最新 新宗教事情 カルト、スピリチュアル、おひとりさま』(勉誠出版/島田裕巳/2009)
『イエスの方舟 同乗漂流』(毎日新聞社/サンデー毎日編集部[編]/1980)
『「イエスの方舟」論』(ちくま文庫/芹沢俊介/1995)

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