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アイドル歌手自殺事件

1986年(昭和61年)4月8日午後0時15分ころ、アイドル歌手の岡田有希子(本名・佐藤佳代/18歳)が東京都新宿区四谷4丁目の交差点前にある大木戸ビルの屋上から飛び降りた。このビルの5階には有希子が所属していた芸能事務所のサンミュージックが入っている。このときに撮影されたモノクロ写真が写真誌『Emma』(文藝春秋/1987年5月、廃刊)に掲載されている。

岡田有希子・・・1967年(昭和42年)8月22日、愛知県一宮市生まれ。名古屋市熱田区出身。名古屋市立向陽高等学校→堀越高校卒業。歌手としてデビューする前に、NHK名古屋制作の『中学生日記』にエキストラとして出演していた。1983年(昭和58年)、オーディション番組『スター誕生!』の第46回決戦大会でチャンピオンとなり、芸能界入り。1984年4月21日、『ファースト・デイト』でアイドル歌手としてデビュー。同年、日本歌謡大賞及び日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。新人賞を吉川晃司と共に全て獲得する。ポスト松田聖子と評価の高い「清純派アイドル」の一人。『岡田有希子 All Songs Request』(CD/2002) / 『愛をください』(朝日出版社/1988) / 『メモリーズ イン スイス』(DVD/2002)

Sun Music Group Office Web Site

写真誌・・・1980年代半ばは写真誌ブームで、『FOCUS』(新潮社/1981年10月〜2001年8月)、『FRIDAY』(講談社/1984年11月、創刊)、『FLASH』(光文社/1986年11月、創刊)の「3F(スリーエフ)」に、『Emma』(文藝春秋/1985年6月〜1987年5月)、『TOUCH』(小学館/1986年10月〜1989年3月)の2誌を加えて5誌あり、「3FET(スリーエフイーティ」と呼ばれていた。

有希子がビルから飛び降りたとき、大木戸ビルの1階は弁当屋で昼どきということもあって店内には20人ほどの客がいたが、ゴツッという鈍い音がして何人かが振り向くと、すぐに悲鳴が上がった。そして次の瞬間、客のほとんどがその場から逃げ去った。

有希子の自殺の原因として俳優Mとの恋愛に悩んでいたためという憶測情報も流れたが、真相は明らかにされていない。TBS系のテレビドラマ『禁じられたマリコ』(全12話/1985.11.5〜1986.1.28)で有希子は主演を演じたが、このときにMが共演している。また、有希子が自殺する10日ほど前の3月30日、5月にアイドル歌手としてデビューする予定だった遠藤康子(17歳)が所属プロダクションから当時付き合っていた男性との交際をやめるように言われたことが原因でビルから投身自殺をしているが、この自殺に影響されたという説もあった。

有希子が自殺する約2ヶ月前の2月10日に、カネボウのキャンペーン・ソング『くちびるNetwork』(作詞・松田聖子/作曲・坂本龍一/編曲・かしぶち哲朗)が23万枚を記録する初の大ヒットとなり、オリコンチャート誌で初の1位も記録していた。だが、5月14日に発売を予定していた9枚目のシングル『花のイマージュ』(作詞作曲・かしぶち哲郎)が有希子の死によって発売中止となった。

実は有希子は飛び降り自殺をした4月8日の午前中にも自殺を図っていた。その4日前の4月4日に成城の社長宅から引っ越したばかりの南青山にある自宅マンション(2DK)で、手首をカッターで切り、ガス栓を開いた。だが、ガスの臭いにマンションの住人が気づき、有希子の部屋を訪ね、声をかけたが、反応がなかったため通報した。救急隊員と警官が駆けつけ、有希子の部屋に入ると、有希子は押し入れの中で泣いていたという。有希子はその後、港区の北青山病院に運ばれ、左手首を4針縫う治療を受けた。担当医師がガス中毒反応も後遺症もなく入院の必要なしとしたため、サンミュージックの専務が事務所に有希子を連れ帰った。

その後、有希子は事務所で付き添っていた専務らに「ティッシュを取ってくる」と言って部屋を出ると屋上に向かった。そのころ、有希子のマネージャーの溝口伸郎はタクシーで事務所に向かっていた。前方には四谷4丁目の交差点が見える。そこにはいつも見慣れてる大木戸ビルがあり、そのビルの屋上から人影が落ちてくるのが見えた。溝口は有希子が自殺する瞬間を目撃していたのだった。溝口はその後、酒井法子のマネージャーなどを担当していたが、2000年(平成12年)7月19日、事務所のトイレで首吊り自殺した。54歳だった。持病の糖尿病に悩んでいたことが自殺の原因らしい。

有希子の自殺後、その後追いと思われる中・高校生の自殺が続いた。有希子が自殺した4月だけでも25人以上になり、「有希子現象」「有希子シンドローム」なる新造語まで生まれ、衆議院文教委員会で取り上げられる社会問題になった。また、自殺報道が次の自殺を誘ったとも言われ、マスコミ報道のあり方も問われた。

こうした状況から、サンミュージックは世間への悪影響を考慮して有希子に関する取材には応じないことを決定した。

1986年(昭和61年)8月4日に放送されたテレビ朝日系のドラマ『ママ母VSママ子! 家出令嬢の課外授業』では本来、有希子が主演するはずだったが、渡辺典子が務めた。また、10月21日に堀ちえみがシングル『素敵な休日』を発売。この曲は『花のイマージュ』の後に有希子が歌う予定になっていた。だが、こうしたことも大きく発表されることはなかった。

1998年(平成10年)4月6〜8日(3日間)、自殺から12年が経ち、13回忌を機に、新宿文化センターで「岡田有希子展」を開催。

1999年(平成11年)3月17日、『岡田有希子メモリアルBOX』を発売。初めて『花のイマージュ』が収録され、3万セットという異例の売り上げを達成した。

『岡田有希子メモリアルBOX』

参考文献など・・・
『[実録]放送禁止作品』(三才ムックVol.184/2008)
『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』(東京法経学院出版/事件・犯罪研究会編/2002)
『岡田有希子はなぜ死んだか』(上之郷昭/新森書房/1986)
『愛をください』(朝日出版社/岡田有希子/1988)

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