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有栖川宮詐称事件

2003年(平成15年)4月6日、東京都港区赤坂にあるカナダ大使館地下の会員制クラブのシティ・クラブ・オブ東京で結婚式が行われた。約2000人に送られた招待状には<有栖川記念奉祝晩餐会>とあり、衣冠束帯姿の新郎は元皇族の有栖川家の継承者と名乗る有栖川識仁(さとひと/当時41歳)で、十二単(ひとえ)に身を包んで現れたのは新婦の坂本晴美(当時44歳)だった。坂本はイベントのプロジューサー業をやっているということだった。

会場には388人(「327人」と書かれた参考文献もある)がごった返し、俳優の石田純一、デーブ・スペクター夫人、エスパー伊東ら芸能人、選挙で有名な羽柴秀吉、公明党の元都議、右翼団体の日本青年社幹部らがいた。中には名刺交換しただけで呼ばれた人が相当数いたらしい。お色直しもあり、新郎はサーベル片手に勲章をつけた軍服姿、新婦はピンクの派手なドレスに着替え、2人は仲良さそうだったという。

有栖川宮家は四親王家のひとつで、第9代熾仁(たるひと)親王が公家合体で第14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮の許嫁だったが、第10代威仁(たけひと)親王の嫡子が早世し、1923年(大正12年)には廃絶となったはずで、宮内庁も「有栖川家はすでに断絶している」と述べている。

だから、有栖川識仁がニセ皇族であることが明白だが、これに対し、新婦の坂本は「殿下はお母様が有栖川家の外戚なのです。しかも、殿下は高松宮のご落胤でもあります」と言っている。だが、高松宮家は「インチキ」とコメントしている。

10月21日、有栖川識仁と名乗っていた北野康行(当時41歳)と坂本晴美(当時45歳)、イベント企画会社役員のK(当時42歳)が詐欺の容疑で逮捕された。皇族でないのに皇族であるかのように装い、結婚祝儀金1200万円と額付絵画1枚(時価合計1509万円相当)を詐取したというものだった。

北野康行は1961年(昭和36年)、京都府宇治市に3人兄弟の長男として生まれた。両親は八百屋を営んでいたが、貧しかった。中学卒業後、清水焼の工場に就職するが、長続きせず、その後は新聞配達などのアルバイトを転々としていた。北野は家を出てからは「伏見博」と名乗っていたが、周りから伏見宮家の血縁者と誤解され、「宮さん」の愛称で呼ばれていた。1984年(昭和59年)ころからは「有栖川識仁」と名乗るようになり、高松宮信仁(のぶひと)親王から有栖川家の祭祀を継承するように言い渡されたとウソを言っていた。北野はさまざまな会合に出ては車代名目の金を受け取り、1990年(平成2年)には政治団体「有栖川宮記念事業団」を設立し、いくつかの会社に出入りして顧問料を受け取っていた。中にはマルチ商法で摘発された「グランドキャピタル」もあった。2000年(平成12年)、「有栖川記念」に改称。丁度このころ20歳近く年下の女性と「できちゃった婚」をしたが、その後、離婚した。

坂本晴美は1958年(昭和33年)、熊本市で生まれた。父親は郵便局員、母親は営林署勤務の公務員という一家だった。18歳のとき、ミス・インターナショナル熊本地区予選大会で準ミスに選ばれている。その後、地元のバス会社に就職し、20歳で結婚した。坂本は15歳のときから家族のなかでひとりだけ「エホバの証人」の信者だったが、結婚した相手は同じ信者だった。やがて子どもができるが、夫が教団からの金の使い込みや借金、浮気などをしたことが原因で離婚し、子どもは実家に預けて、テレビのレポーターや化粧品のネットワークビジネスをした。そのとき、仕事のマネージメントをしていた実業家と2度目の結婚をし、この男との間にも子どもをつくるが、詐欺商法の補正下着ビジネスに引っ掛かって大きな借金をかかえてしまう。その後、上京して坂本は銀座のホステスになり、客と深い関係になって離婚した。

2002年(平成14年)8月、ウェスティンホテル東京でのパーティで北野康行が坂本晴美と出会ったのをきっかけとして2人は親密な関係になっていった。会ってすぐに北野は坂本に夢中になり、真剣な交際を求めて自分がニセモノであることを告白している。だが、坂本は利用価値があると考えて偽装を続けるよう迫った。もともと気の小さい北野はウソが発覚するのを恐れて結婚披露宴での祝儀金詐取にあまり乗る気ではなかったが、坂本に強引に押し切られた。2人は婚姻届を出していないが、そのことについて取材では「(皇族なので)婚姻届を出す必要がない」と言っていた。

2004年(平成16年)2月20日、東京地裁で初公判が開かれた。北野康行は「披露宴で着た(皇族のような)服装はどうかと思うけど、あえて皇族を装ったことはない。有栖川と名乗っただけだ」と起訴事実を否認した。坂本晴美は「夫と結婚して知人を招待しただけです」と無罪を主張した。共犯とされたイベント会社のKは一部の共謀を否認し「従犯にとどまる」と争う姿勢を見せた。検察側は、Kが「皇族があんな安物の靴をはいているわけがない」などと語っていたという関係者の供述調書の要旨を朗読し、ニセ皇族と認識していたことを明らかにした。

11月22日、東京地裁は詐欺罪の共犯に問われたKに対し、懲役1年6ヶ月・執行猶予4年(求刑・懲役1年6ヶ月)を言い渡した。裁判長は「皇室や皇族を尊敬して(披露宴に)参加した人たちの心理につけ入った」と批判した。

2006年(平成18年)9月11日、東京地裁は「皇室、皇族を崇敬する心情を踏みにじる犯行」として、北野康行と坂本晴美の2人に懲役2年2ヶ月(求刑・ともに懲役3年)を言い渡した。

北野は自分が皇族関係者だと抗弁し、坂本は北野が有栖川宮だと信じていたと主張し、2人とも「詐欺に当たらない」と無罪を主張していたが、裁判長は北野が少なくとも3代にわたり皇族と血縁がなかったことなどから、「北野被告の供述は旧宮家をかたるための荒唐無稽な作り話であるのは明らか」と述べた。また、捜査段階での供述などから坂本は北野が皇族関係者でないことは分かっていたと判断した。一方、裁判長は起訴事実の被害者137人のうち76人について「皇族関係者でないことを知っていた」と述べ、詐欺は成立しないとした。さらに「披露宴の参加者には興味半分で出席したとしか思われない人も少なくない」などとし、判決前に拘置されていた日数のうち700日を刑に算入した。

9月25日の控訴期限までに被告側、検察側ともに控訴しなかったため、刑が確定した。

12月、北野と坂本が刑期を終えて出所。

2007年(平成19年)5月、京都府宇治市に政治団体「有栖川記念」(代表者・有栖川識仁、会計責任者・有栖川晴美)を改めて設立し直す。また、そのころ、『週刊ポスト』(小学館/2007年4月20日号)などの雑誌に北野と坂本が2人揃って登場し、仲良く生活していることをアピールした。坂本はセミヌードまで披露し、「今回、この撮影に臨んだのも、過去と訣別し、殿下と一緒に温かい家庭を築いていきたいから。怖いものなんて、もうないんです」と語った。

この事件を元に書かれた小説に『有栖川の朝』(文藝春秋/久世光彦/2005) がある。

参考文献・・・
『別冊歴史読本 天皇・皇室事件史データファイル』(新人物往来社/2009)
『毎日新聞』(2003年10月21日付/2004年2月20日付/2004年11月22日付/2006年9月11日付)

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