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青山学院大生殺人事件

1994年(平成6年)2月18日、東京都世田谷区のアパートの2階で、青山学院大学経済学部4年生の松本浩ニ(23歳)が死んでいるのを、松本の伯母(母親の姉)が発見した。

東京に住んでいる伯母は、大阪の妹(松本の母親)から「2月16日から浩ニに電話をかけているけど、通じない」という電話を受け、アパートの大家から部屋のカギを借りて部屋に入り、惨劇があったことを知ったのである。

両手首と両足首はビニールひもで縛られて、口はガムテープでふさがれ、胸や腹、首などを刃物で刺されていたほか、ビニールひもやタオルで首を絞められた跡もあった。死体には毛布が掛けられていた。また、犯行に使われたと思われる凶器のナイフも2本落ちていた。

松本は、将来、国際線のパイロットになるつもりで、運輸省(現・国土交通省)の航空大学校の飛行機操縦科を受験していたが、1月25日に合格が決まっていた。3月初めに、青学の卒業が認定され、そのあと、荷物を整理してアパートを引き払い、実家のある大阪に帰り、4月から航空大学校のある宮崎県に移り住む予定であった。

中学、高校時代は陸上部に所属し、短距離選手として大阪府の代表となり、近畿大会に出場したことがあった。大学ではヨット部に所属し、3年のとき、全国大会で3位に入賞した。

警察は松本の友人など親しい関係にある者から聞き込みをしたが、人から恨みを買うことも、女性関係のトラブルもなく、捜査は難航した。

だが、松本と同じアパートの2階に住む学生は、2月16日の朝に、不審な男女2人を目撃していた。この男女2人は松本の部屋の隣りの部屋から出てくると、そのまま立ち去った。警察の現場検証によって、ベランダから血痕が発見された。犯人は殺害現場となった松本の部屋からベランダを伝って隣りの部屋に逃げたらしい。

この部屋には、学生のA(当時20歳)が住んでいるが、2月6日から宮崎県の実家に帰っているのでアリバイが成立した。アパートのカギは人に貸したことはないという。ただ、Aには気がかりなことがあった。それは半年前に、中学時代から付き合いのあった女友だちが、暴力団風の男を連れてやってきて、この男に脅されて金を奪われたことがあった。それからしばらく連絡はなかったが、2月5日に電話があり、「近いうちにそっちに行くから待ってろ」と脅された。それで、翌6日に実家に帰省したのだが、2月16日に目撃された男女2人はどのような方法でアパートに侵入したかは分からないが、目撃された男女2人のうち、女の方はAの中学時代からの女友だちである可能性があった。

2月22日夜、静岡県の熱海消防署に「別荘でガスコンロが爆発して男が全身に火傷(やけど)した」という119番通報が入った。チェーンレストランの会社が経営する別荘へ救急車が着くと、女が玄関先で待っていた。2階へ上がると、全身に火傷を負った男が苦しんでいた。

このアベックは2日前から別荘に無断侵入していた。男はD(当時20歳)で、救急病院へ運ばれた。女はM(当時20歳)で、熱海警察署で住居侵入の疑いで事情聴取され、東京都世田谷区の「大学生殺し」を、あっさりと認めた。

Dが火傷を負ったのは、ガス自殺を図ったからで、最後の一服のつもりでタバコに火をつけるというマヌケなことをしてしまった。Mも一緒に死ぬつもりでいたが、未遂に終わった。

Mは幼いとき、両親が離婚して、妹とともに祖父母に育てられた。暗い性格だったが、問題を起こすような子どもではなかった。宮崎県の高校を卒業してからは、岐阜県の紡績工場に就職した。ここでは寮生活をして、働きながら、保母の資格を得るために3年制の短期大学の夜間部に通った。たまたま、休日に友人と2人で名古屋に遊びに出たとき、少年院を仮退院して、更生保護会から水道工事店に通っているDに出会った。Dは見た目は暴力団風だが、組織に入ったことはなく、ひょうきんで人を笑われるのがうまい。その後、MはDとともに、強盗殺人を犯すまで、40件もの窃盗を働いていた。

保母・・・1999年(平成11年)4月1日に施行された改正児童福祉法により、現在、求人誌などの募集欄では「保母」「保父」などの偏った性別の表現ができなくなり、「保育士」という名称に変更されている。

Mは次のように供述した。

<2月11日午後2時ころ、中学時代からのボーイフレンドのアパートに行くと、玄関のカギがかかっていました。そこでDが裏側に回り、雨水が通るパイプ伝いに2階のベランダに上がって、窓をこじ開けて部屋に侵入し、私を玄関から入れてくれました。2人で室内を探したら、一万円札が1枚、千円札が1枚見つかり、質屋に電話を入れると、「学生証と印鑑が要る」と言われたので、テレビなど部屋にあるものを入質するのを諦めました。2月12日は大雪が降ったので、2人で雪ダルマをつくるなどして遊びました。2月13日の夜、「ここにいても金にならないし、どうせ捕まるだけだから、いっそ死んだほうがいい」と話し合って、心中することに決めたのです。私がDを絞殺し、あとで首を吊ることにして、ビニールひもで輪をつくって絞めると、ピクピクして動かなくなったので、死んだと思ってやめたら、数分後に息を吹き返したため、心中することをやめました。2月14日、今度は私が首を吊ることにして、屋根裏に上がるハシゴにビニールひもを掛けてぶら下がったところ、Dが抱き止めてしまったので、死ぬことができませんでした。2月15日、「隣りの学生を脅して金を奪おう」とDが言い出して、午後8時ころ、私が隣りへ行ってチャイムを鳴らし、「換気扇の調子が悪いので見てください」と頼むと、気軽に来てくれました。待ち構えていたDが、ナイフを突きつけて脅して、私がビニールひもで両手で縛り、隣りの部屋へ3人で移動したのです。ここで両足を縛って、私が包丁を突きつけている間に、Dが室内を物色して、白い封筒に入った5万円を見つけました。そのあと銀行のキャッシュカードの暗証番号を記入させ、Dが「3Pをやろう」と言いだし、私が学生にまたがってセックスして、次にDといつものセックスをしました。そうして学生に、「もう金はないのか」と尋ねると、「友だちに貸した5万円を返してもらい、サラ金からも借りてくる」と答えましたが、それでは警察に捕まるので、「もう殺してしまえ」とDに言われ、暴れる学生の腹部を私が包丁で刺し、次にDがナイフで胸部を刺すうちに、静かになったのです>

Dは「まったく知らない人だから、可哀相なんて思うわけはありません。そんなことを思うようなら、最初から殺したりはしていませんよ」とさらりと言ってのけた。

3月5日、東京地検はDとMの2人を、住居侵入、窃盗、強盗殺人で起訴した。

5月9日、東京地裁で第1回公判が開かれ、2人は起訴事実を全面的に認めた。このあと、検察官が冒頭陳述を行い、「女は逮捕されたとき妊娠7週目であった」と明かした。

7月13日、東京地裁で第4回公判が開かれ、弁護人による被告人質問に対して、Mは次のように述べた。

「1993年2月、名古屋市内でDに出会い、1週間に1回くらいデートをしていたが、彼に引きずられて4月に会社を辞めました。そのあと2人で、ドロボウをするようになり、耐えられずに別れようと思ったが、好きなので別れられなかった。彼と出会ったことは後悔しておらず、犯行は彼と2人でやったことなのです。妊娠については、中絶すべきかどうか迷いましたが、中絶すればおなかの子を殺すことになり、私は2度も殺人を犯したくはない。遺族の方には申し訳ありませんが、出産することを決意しました。できるだけ早く、婚姻届を出します」

7月27日、東京地裁で第5回公判が開かれ、Dは被告人質問で次のように述べた。

「彼女が生むという子が、私の子どもかは分からない。しかし、彼女が生むというなら、生んだほうがいいと思います。そうなると父親が必要だから、私は彼女との婚姻届を、きちんと出したいです。本当は子どもが欲しかったので、彼女が妊娠していると分かったら、こんな事件は起こさなかったと思います」

9月5日、東京地裁で判決公判が開かれ、Dに無期懲役、Mに懲役15年を言い渡した。

強盗殺人の法定刑は、「死刑または無期懲役」とされているが、Dが主導的な役割を果たしたのに対し、Mは従属的な立場にあり、Dに出会うまでは、堅実で普通の社会生活を営んでいたもので、素直に罪を認めて、真摯な反省、悔悟の情を示しているほか、遺族におわびの手紙を出し、謝罪の意を伝える努力をした。幼少期の生育歴に恵まれない面があることなどから、Mに対し酌量減軽した。

10月、Mは獄中出産した。

日本では服役中に生まれた子は刑務所の中で育児ができる。育児書を読ませて勉強させ、産前産後の一定期間は留意事項を指導して特別な処遇プログラムを組む。妊産婦には食費を加算し、カルシウム、鉄分などの栄養補給をし、さらに市販の滋養品を購入して給与することもある。育児室は病棟の一画、日当たりのいい部屋に設けられる。日本は刑務所内での育児期間は1年だが、これはアジア地域で最も短く、マレーシアが4年、ブルネイとタイが上限3年の範囲内で個別に決定。ベトナム2年、韓国1年半、モンゴルでは出産する者を帰宅させ1年6ヶ月後に再度収容する。中国では妊娠中または授乳中に有罪となった女性は拘禁しないなどとなっている。各国とも外の病院で出産させ出生証明書に刑務所名が記載されることがないように配慮されている。1年の育児期間を経て赤ちゃんは母親の元を離れることになるが、そのうちの70〜80%が児童養護施設または乳児院によって引き取られる。他には、父である夫や内縁の夫、あるいはその父母、母親の父母が引き取っている。施設に預けられた赤ちゃんはその後、母親が出所後に引き取りに行くことになるが、実際に引き取るのは非常に少ない。家族関係が崩壊し経済的に破綻しているケースが多いからだ。毎年、3万人の児童が児童養護施設に入所しているが、そのうちの4%が親の長期拘禁が入所原因になっている。

助産婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改正保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。

この事件をモデルに製作された映画に『HYSTERIC』(監督・瀬々敬久/主演・千原浩史&小島聖/2000)がある。主演の千原浩史が第10回日本映画プロフェッショナル大賞(2000年)の主演男優賞を受賞した。

参考文献・・・
『法廷のなかの隣人たち』(潮出版社/佐木隆三/2000)

『20世紀にっぽん殺人事典』(社会思想社/福田洋/2001)
『犯罪地獄変』(水声社/犯罪地獄変編集部/1999)
『殺人者はそこにいる 逃げ切れない狂気、非情の13事件』(新潮文庫/「新潮45」編集部/2002)
『元刑務官が明かす 女子刑務所のすべて』(日本文芸社/坂本敏夫/2002)

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