7「水沢節」

節を守るのもほどほどに

節度の節です。

節若(せつじゃく)たらざれば嗟若(さじゃく)たり。節せざるの嗟はまた誰をか咎めん。

何事によらず節度を守らなければ、やがて嘆き悲しむことになりますよ、それは他の誰の責任でもない、全て自分自身の責任なのですよ、と、まあこれは常識的な警句です。しかし、これで終わらないのが易の面白いところです。

苦節は貞にすべからず。

節は守らなければならない、かといって、余りにも窮屈に考え、度を過ごすようなことにならないように、と易は忠告しています。

このあたりが、易の大変面白いところです。易経は儒教の要素を強く持っており、「論語」でも、
「子曰く、中庸の徳たるや、それ至れるか。(中庸は最高の道徳である。)」
とあります。何ごとにつけ、右にも左にも寄り過ぎず、程々にするのがよろしい。これは同時に「自然に、あるがままに、」という老荘の考えにも共通しているところです。

伊達政宗の遺訓に「五不過」というのがあるそうです。
「仁に過ぎれば弱くなる」
「義に過ぎれば固くなる」
「礼に過ぎればへつらいとなる」
「智に過ぎれば嘘をつく」
「信に過ぎれば損をする」
政宗は論語も良く学んでいたと思いますが、「仁義礼智信」についても「中庸」を忘れるな、というのは、戦国の世を生き抜いた政宗らしい、実践的な考え方ではないでしょうか。

「仁義礼智(知)」については、「論語」において重く取り扱われており、いわゆる「武士道」もそれを日本流にアレンジしたものと考えますが、「老子」では、

「道を失いてしかる後に徳。徳を失いてしかる後に仁。仁を失いてしかる後に義。義を失いてしかる後に礼。それ礼は忠義の薄にして、乱のはじめなり。前識(知)は道の華にして、愚の始めなり。」

社会に一番重要な「道」の精神が失われたから「徳」を言わねばならなくなる。「徳」の精神が失われたから「仁」を言わねばならなくなる。「仁」の精神が失われたから「義」を言わねばならなくなる。「義」の精神が失われた時「礼」を言わねばならなくなる。「礼」を言わねばならない時は忠義の精神が薄れた時で、乱世の始まりである。「知」とは、道の上面を飾るだけで、思慮浅いことだ。
とあるように、儒教が人間の正義感を正面に立てて社会を正そうとすることに対し、ちょっと斜に構えているところがありますね。

伊達政宗も、そんなことを学んでいたんでしょうか。


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