27「風沢中孚」(ふうたくちゅうふ)
真面目でも意気込みだけでは駄目
日本ではとかく実力以上に頑張る健気さが評価されがちですが、易の価値観ではそこは冷静です。
翰音(かんおん)天に登る。貞(ただ)しけれども凶なり。翰音(かんおん)天に登る、何ぞ長かるべけんや。
翰音は鶏のこと。空を飛ぶ能力のない鶏が天に飛び上がったようなもので、その志は立派であっても結果は凶である。志が正しい、誠実である、というのは良いことではあるが、自信過剰や意気込みだけで実力が伴わなければ良い結果が得られないのは当然のこと。鶏が飛び上がってもどれくらいの時間、空中に留まっていることができると言うのか。
論語にもこう書かれています。
子曰く、暴虎(ぼうこ)馮河(ひょうが)、死して悔ゆるなき者は、吾、与(とも)にせざるなり。必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀(はか)りごとを好んで成す者なり。
素手で虎に立ち向かう、歩いて黄河を渉る、そんな命知らずのことをして悔いることが無いような人間と、私は付き合いたくは無い。
重要なことをしようとする時は臆病なくらい注意をし、用意周到に準備をする人間がよろしい、
と、孔子も言っていますよ。
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