25「天地否」(てんちひ)

常に危機意識を持つ者が生き残る

さっきの「地天泰」の逆が「天地否」です。上が天、下が地で、、両者は交わることなくどんどん離れていき、何もかもが行き違い、何も良い結果を生まない、ということです。世相で言うなら不景気で閉塞状態、人々の心はバラバラで、小者ばかりが世に蔓延っている、いやな時代です。

君子もって徳を倹(つづましやか)にし難を避く。

 こんな時、おれの出番だ、とばかりにしゃしゃり出るのは馬鹿なこと、有能な者ほどつまらぬことで小人にこき下ろされ、とんだ傷を負うことになります。こんなとき君子は自分の才徳を包み隠し表に出さないようにして、災難を避けるように努めるものです。

それ亡びなん、それ亡びなんとて苞桑(ほうそう)に繋る。

閉塞状況の不景気の時代は勿論のこと、泰平の時代においても、あぶないぞ、滅びるかもしれないぞ、と常に心を引き締め、丈夫な桑の木の根っこにくくりつけるように行動を慎むことが肝要であります。

   この言葉に寄せて孔子が言っております、

危うしとする者は、その位に安んずる者なり。滅びんとする者は、その存を保つ者なり。乱るとする者は、その治を有つ者なり。この故に君子は安くして危うきを忘れず、存して滅ぶるを忘れず、治まりて乱るるを忘れず。ここをもって身安くして国家保つなり。

危ないぞ滅びるぞと平素危機意識を忘れず、反省改革に努める者がよくその地位を保つことが出来、乱れないかと警戒を怠らぬ者が長く治世を保つことが出来る。国家の指導者や組織のリーダーはかくなければならない、と。

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