「二爻変爻」の場合:
「直方大でありなさい」とあります。直は実直、方は正方形のようにきちっとしていること、大は大。
「三爻変爻」の場合:
能ある鷹は爪を隠す、です。時期来るまでは自重すること。
「四爻変爻」の場合:
今は自分の能力や野心など胸の内に仕舞っておくこと。
結果として誉められることも咎められることもありませんが。
「五爻変爻」の場合:
人の意見を尊重すること。
「六爻変爻」の場合:
「坤」の指針を忘れ積極的に出た結果窮地に陥ります。争いなどに巻き込まれる危険に注意。
君子往くところあるに、先んずれば迷い、後るれば主を得。
西南には朋を得、東北には朋を喪うに利。貞に安んずれば吉なり。
彖に曰く、至れるかな坤元、万物資(と)りて生ず。すなわち順(したが)いて天を承(う)く。
坤は厚くして物を載せ、徳は无彊(むきょう)に合し、含弘光大にして、品物ことごとく亨(とお)る。牝馬は地の類、地を行くこと彊(かぎ)りなし。
柔順利貞は、君子の行うところなり。
先んずれば迷いて道を失い、後るれば順(したが)いて常を得。
西南には朋を得とは、すなはち類と行けばなり。東北には朋を喪うとは、すなはち終に慶(よろこ)びあるなり。
貞に安んずるの吉は、地の彊(かぎ)りなきに応ずるなり。
象に曰く、地勢は坤なり。君子もって厚徳をもって物を載す。
「霜を踏みて堅氷いたる。」
坤為地の中にこの言葉が出てきます。
冬が近く、冷え込んできた朝、庭に出て見るとあたり一面白くなっている、ああ、霜が降りたなあ、と漫然と眺めているのでは駄目です。やがてかちかちに凍り付く厳しい寒さが来る前兆だと知り、早速対策を講じなければなりません。
「霜を踏みて堅氷至るとは、陰の始めて凝るなり。その道を馴致(じゅんち)すれば堅氷にいたるなり。」
霜は陰の気が凝固した初期の現象であり、それが進行すればやがて堅氷になる。このように危険やトラブルも最初は何でもないような些細な現象であっても、ほっておけば必ずや手に負えない重大問題になる。だから、そうなる前に、はやく手を打て、ということであります。
しかし、この複雑な社会の中にあって、物事の前兆を見い出すのはなかなかに難しいもの。さすがに孔子はいいことを云っております。
「子曰く、兆(きざし)を知るはそれ神か。君子は上交してへつらわず、下交して涜(けが)れず、それ兆を知れるか。兆は動きの微かにして、吉のまず現われるものなり。君子は兆を見て立ち、日を終わるを待たず。」
子曰く、兆を知るには神妙でなければならない。上位の者との付き合いにおいても、礼を正しくしてもへつらわず、下位の者との付き合いにおいても、親しくしてもどっぷり浸かり込んだり侮ったりしない。このような態度で居れば兆を知ることができる。
ほんの纔な動きの中にも将来の善し悪しの兆候はあるものだ。兆を知ったら直ちに対策を立て、その日のうちに実行に移すのが、君子というものである、と。
ちょっと話しは違いますが、かのシャーロックホームズもこう云って居ります。
「危険を定義できれば、もはや危険ではなくなる。」