山火賁  離下、艮上
「真っ赤な夕日。文明と退廃。」
山の下に太陽が沈む形で夕日。夕日は赤々と燃えていても日没直前であるように、外観は華麗であっても内実は此れに伴はぬ。また、明るいようでいて、細かいところははっきり見えぬ時。
外見に惑わされず実を見抜くべし。外観より内の充実に専念すべし。

中吉
「賁(ひ)」は飾るという意味です。何事によらず、美しく飾り、体裁を整えることは大切なことです。自然の花も生き物もそれぞれに精一杯飾り、美しいものです。実が伴えば生のままで良い、といっても第一印象で不快感を与えたりしては意味がありません。
しかし、とかく装飾過剰に走りがちです。一見美しいものでも内実から美しいか見掛けだけか、しっかり見極めることが必要です。
また、この卦のときは余り大きいことに手を出さないのが良いでしょう。
「願いごと」ー程ほどの成就に止まる。
「商ごと」ー見かけの華やかさほどには儲からず。
「相場」ー伸び悩むも先行き明るし。
「受験」ー以外に好成績。
「病気」ー見かけの元気さに重症を見落とす。
「就職」ーほどほどの職を得る。
「天気」ー晴天。程なく崩れる。
「旅行」ー小旅行は良し。
「開業」ー分相応であればよろし。
「転業、移転」ー高望みは不可。
「失物」ー見つからず。
「方角」ー東北、南。
「色」ー赤、黄
「初爻変爻」の場合:
  まだ賁の始まりです。飾るのも簡素が良いでしょう。
  車があっても歩いて行くのが良い、と書かれています。

「二爻変爻」の場合:
  「あご髭を飾る」とあります。あご髭は口の下にあるから飾れば様になるのです。上の者に従うのが良い時です。
  目上の人が車に乗るなら同乗するのがよろしい、と解説されています。
  自分ばかり格好つけるのは駄目です。

「三爻変爻」の場合:
  装飾過剰に注意。人も品物も飾った裏、中味をしっかり見極めることが必要です。
  あなた自身も飾り過ぎないように気をつけること。

「四爻変爻」の場合:
  真っ白が良いか、美しく飾るのが良いか、迷う。目的を見失わずにいればよろしい。

「五爻変爻」の場合:
  「束帛戔々(そくはくせんせん)」とあります。お供えや謝礼は控えめに、と言う意味です。
  諸事、簡素、ケチぐらいを旨とするときです。相手もケチるから大きい見返りは期待できません。
  それでも喜びは大いにあります。

「六爻変爻」の場合:
  究極の飾りは白、と書かれています。
  万事簡素にする、事業や計画も簡単にするのが良い、ということでしょう。
  またこれまで華やかだったのが簡素になる、ということもあります。


賁は亨(とお)る。小しく行くところあるに利(よろ)し。

彖に曰く、賁は亨(とお)るとは、柔来たりて剛をかざる、故に亨るなり。剛を分かち上りて柔をかざる、故に小しく行くところあるに利ろしきなり。
天文なり。文明にして止まるは人文なり。天文を見てもって時変を察し、人文を見てもって天下を化成す。

象に曰く、山下に火あるは賁なり。君子はもって庶政を明らかにし、あえて獄を定むることなし。

初九:その趾(あし)を賁(かざ)る。車を舎(す)て徒(かち)す。
   象に曰く、車を舎て徒すとは、義として乗らざるなり。
六二:その須(ひげ)を賁る。
   象に曰く、その須を賁るとは、上と与(とも)に興(おこ)るなり。
九三:賁如たり。濡如たり。永貞なれば吉なり。
   象に曰く、永貞の吉は終にこれを凌ぐものなきなり。
六四:賁如たり。白番如(はじょ)たり。白馬翰如(かんじょ)たり。冦(あだ)するにあらず婚媾せんとす。
   象に曰く、六四は位に当たりて疑うなり。冦するにあらず婚媾せんとすとは、終に咎なきなり。
六五:丘園に賁る。束帛戔戔(そくはくせんせん)たり。吝なれども終には吉なり。
   象に曰く、六五の吉は、喜びあるなり。
上九:白く賁る。咎なし。
   象に曰く、白く賁る、咎なしとは、上にして志を得ればなり。


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