水山蹇  ーー坤下、坎上
「眼前に濁流、背後に崖。進退窮まるとき。」
眼前に危険あり、後退もならず、進退窮まる象。
自重、慎重、時期を待つ心がけが肝要。大人の意見を聞くとよろし。


「蹇(けん)は難なり」とあるように、行き悩む、という意味です。進もうとしても足がしびれて進めない、そんな状態です。目の前に在る障害を乗り越えるには力不足です。こんな時は力不足を認識し無理に進まないことが賢明です。力を貯え、組織なら内部を固めて、その上で進むことが必要です。
この卦は四大難卦の一つです。何かと思い通りに行かず、苦労がたえない時期です。
「願いごと」ー望みなし。時期を待つべし。
「商ごと」ー失敗多し。時期を待て。
「相場」ー安値で膠着す。
「受験」ー不成績。
「病気」ー容易に回復せず。治療に専念すべし。
「就職」ー当分望み無し。
「恋愛」ー望み無し。
「天気」ー悪天候。
「旅行」ー危険に遭遇する。見合わすがよろし。
「開業」ー時期を得ず。
「転業、移転」ー時期を待つべし。
「失物」ーすぐには見つからず。
「方角」ー北、東北。

「初爻変爻」の場合:
  待つ、というのが今の最善の方策です。といっても、なかなか待ち切れない状態でしょう。

「二爻変爻」の場合:
  家族の為、会社の為、などで苦労をする時です。逃げ出さず、苦労を受け止めるしかありません。

「三爻変爻」の場合:
  苦労のある時です。留まれば内部では喜ばれることが在るかも知れません。

「四爻変爻」の場合:
  自分の力では進み難いが身近な人の助力を得て、あるいは一緒に行動することでうまく進むでしょう。

「五爻変爻」の場合:
  大いに蹇むも朋来る、です。
  まだ力不足ですが人から応援を得られるでしょう。

「六爻変爻」の場合:
  進より退く、というこの卦の基本です。実力者の支援を求めるのが良いでしょう。


蹇は、西南によろし。東北によろしからず。大人を見るによろし。貞なれば吉。
彖に曰く、蹇は難なり。険前に在るなり。険を見てよく止まるは、知なるかな。
蹇は西南によろしとは、行けば中を得るなり。東北によろしからずとは、其の道に窮するなり。大人を見るによろしとは、行けば功有るなり。位貞に当たれば吉とは、以って邦を正すなり。
蹇の時用、大いなるかな。

象に曰く、山上に水有るは蹇なり。君子は以って身に反えり、徳を修む。

初六:往けば蹇(なや)み、来たれば誉れあり。
   象に曰く、往けば蹇み、来たれば誉れありとは、宜しく待つべしとなり。
六二:王臣蹇蹇たり。躬の故(こと)に匪らず。
   象に曰く、王臣蹇蹇たりとは、終に尤(とが)なきなり。
九三:往けば蹇み、来たれば反(かえ)る。
   象に曰く、往けば蹇み、来たれば反るとは、内これを喜ぶなり。
六四:往けば蹇み、来たれば連(つら)なる。
   象に曰く、往けば蹇み、来たれば連なるとは、位に当たりて実なればなり。
九五:大いに蹇むも、朋来る。
   象に曰く、大いに蹇むも、朋来るとは、中節なるをもってなり。
上六:往けば蹇み、来たれば碵(おお)いなり。吉なり。大人を見るに利(よ)ろし。
   象に曰く、往けば蹇み、来たれば碵いなりとは、志内に在るなり。大人を見るに利ろしとは、もって貴に従うなり。


役に立つ言葉

危険と見れば止まるのが常識

行く手には危険が見えている、自分の力ではとても乗り切れそうにない、と知りつつあなたは今、危険へ向かって一歩踏み出そうとしている。格好良いですね、大統領!と大向こうから声でも掛りそうです。しかし、ここはぐっと踏み止まるのが真の男らしさというものです。易にも書かれています、

「険を見てよく止まるは、知なるかな。」
危険が明らかなときはよく踏み止まる、それが賢明というものです。しかし、当然の様でこれがなかなか難しいのが、世間であり、人生であります。まあ、こう考えて見てはどうでしょう、法事か何かで長時間正座して足が痺れているとき、さあどうぞ、と言われても急に立ち上がろうとすればひっくり返ってしまいます。こんなときは無理をせず、「いやあ、どうも足が痺れてしまいまして、、、お恥ずかしい」とか言いながら、足をとんとん叩いて時間を稼ぐでしょう。
足が痺れている状態が「蹇」です。蹇は険に通じます。こんな状態で前に進もうとしても禄な結果は得られません。自分の力に余るような困難は、取り敢えずは回避することに努めるのは何の恥じでもありません。そして、

「大人を見るによろし。行けば功有るなり。王臣の蹇蹇は終に尤めなし。」
先輩や見識有る人の意見を聞き、指導を仰いで進めば無事に切り抜けられるでしょう。
しかし、危険を承知でも進まねばならぬ時がある、とも易には書かれています。

「王臣は蹇蹇たり。躬(み)の故(こと)に匪(あら)ず。」
王の臣下として国難に当たり、艱難辛苦し敢えて危険に身を挺する、これは自分の利益を考えてのことではないから、誰も非難は出来ない、という意味です。
「蹇蹇匪躬(けんけんひきゅう)」、かつて「重臣」と呼ばれる人達が好んで使った言葉でした。


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