「二爻変爻」の場合:
家族の為、会社の為、などで苦労をする時です。逃げ出さず、苦労を受け止めるしかありません。
「三爻変爻」の場合:
苦労のある時です。留まれば内部では喜ばれることが在るかも知れません。
「四爻変爻」の場合:
自分の力では進み難いが身近な人の助力を得て、あるいは一緒に行動することでうまく進むでしょう。
「五爻変爻」の場合:
大いに蹇むも朋来る、です。
まだ力不足ですが人から応援を得られるでしょう。
「六爻変爻」の場合:
進より退く、というこの卦の基本です。実力者の支援を求めるのが良いでしょう。
象に曰く、山上に水有るは蹇なり。君子は以って身に反えり、徳を修む。
初六:往けば蹇(なや)み、来たれば誉れあり。
危険と見れば止まるのが常識
行く手には危険が見えている、自分の力ではとても乗り切れそうにない、と知りつつあなたは今、危険へ向かって一歩踏み出そうとしている。格好良いですね、大統領!と大向こうから声でも掛りそうです。しかし、ここはぐっと踏み止まるのが真の男らしさというものです。易にも書かれています、
「険を見てよく止まるは、知なるかな。」
危険が明らかなときはよく踏み止まる、それが賢明というものです。しかし、当然の様でこれがなかなか難しいのが、世間であり、人生であります。まあ、こう考えて見てはどうでしょう、法事か何かで長時間正座して足が痺れているとき、さあどうぞ、と言われても急に立ち上がろうとすればひっくり返ってしまいます。こんなときは無理をせず、「いやあ、どうも足が痺れてしまいまして、、、お恥ずかしい」とか言いながら、足をとんとん叩いて時間を稼ぐでしょう。
足が痺れている状態が「蹇」です。蹇は険に通じます。こんな状態で前に進もうとしても禄な結果は得られません。自分の力に余るような困難は、取り敢えずは回避することに努めるのは何の恥じでもありません。そして、
「大人を見るによろし。行けば功有るなり。王臣の蹇蹇は終に尤めなし。」
先輩や見識有る人の意見を聞き、指導を仰いで進めば無事に切り抜けられるでしょう。
しかし、危険を承知でも進まねばならぬ時がある、とも易には書かれています。
「王臣は蹇蹇たり。躬(み)の故(こと)に匪(あら)ず。」
王の臣下として国難に当たり、艱難辛苦し敢えて危険に身を挺する、これは自分の利益を考えてのことではないから、誰も非難は出来ない、という意味です。
「蹇蹇匪躬(けんけんひきゅう)」、かつて「重臣」と呼ばれる人達が好んで使った言葉でした。