「二爻変爻」の場合:
思わぬ障害に遇ったりして思うように進みません。転居なども無理せぬ方が良いでしょう。
「三爻変爻」の場合:
進むことより如何にうまく退くかを考える時です。
「四爻変爻」の場合:
独断、自己に固執したり、独断で失敗せぬよう注意すること。
「五爻変爻」の場合:
硬さばかりではうまくいきません。華やかさも必要です。発想も柔軟に。
「六爻変爻」の場合:
大きな家の内部を覗ってもひっそりして人気が無い、と書かれています。
豊かさも終りです。ひとまず幕引きを考える時でしょう。
彖に曰く、豊は大なり。明にしてもって動く、故に豊なり。王ここに至るとは、大を尊ぶなり。憂うるなかれ、日中によろしとは、よろしく天下を照らすべしとなり。
日、中すればすなはち傾き、月満ればすなはち欠く。天地の盈虚(えいきょ)は、時と消息す。しかるをいわんや人においておや、いわんや鬼神においておや。
象に曰く、雷電みな至るは豊なり。君子もって獄を定め刑をいたす。
初九:その配主に遇う。旬(ひと)しといえども咎なし。往けば尚(たっと)ばるることあり。
「日、中すればすなはち傾き、月満つればすなはち欠く。天地の盈虚(えいきょ)は、時と消息す。しかるをいわんや人においておや。」
正午、天中の太陽は仰ぎ見ることも出来ないほど煌々と輝き、生きとしいける万物に惜しみなくエネルギーを降り注いでくれます。それは誠に盛大であり、ただ偉大であります。しかし、その太陽も刻々と動き、やがて西に傾くことは誰もが知りすぎるほど知っていることです。
太陽が中天に昇りつめればつぎには傾き、満月になればつぎには欠けて来る。天地の満ち欠けは時間と共に移り変わるのが大自然の法則である。ましてや人間の勢いの満ち欠けが時と共に移ろうのは当り前ではないか、ということですが、まあ、ここまではよく言われること。易の面白いのはその次ぎです。
「いわんや鬼神においておや。」
ましてや鬼神の勢いが時とともに盛衰するのは当り前ではないか、、、と。鬼だって神様だって、自然界の大法則の下にあるのは人間と同じです。調子の悪い神様にお願いしても効果のないことだって有りますぞ。
「日中によろしとは、よろしく天下を照らすべしとなり。」
さて、人間、天中の太陽のような勢い有る状況は短いのだから、そんな時こそ自己のことではなく天下に貢献するべく行動をしなさい、ということです。どうも威勢の良い時には自分の利益になることに力を注ぐ人が多いのも困ったものです。