火沢ケイ  ーー兌下、離上
「嫁姑。反発しあう女同士」
相反する者が一緒にいる象。離反の象。
諸々のことにおいて噛みあわず、意のごとく進まぬとき。 小さなことは進めてもよろしいが、重要なことは何事によらず無理に進めようとせず、穏和を旨として守りにつくのが吉。
なお進む必要があるときは別の道を探すこと。

小吉
目偏に癸と書いて「ケイ」と読み、そむく、異なる、という意味です。「二女同居してその志同行せず。」とあります。しかし男と女は互いに異なっているから創造につながり、万物は異なるもの、反発するものがぶつかりあって創造があり、発展が有ります。まあ、それが自然界の法則ということでしょう。
この卦は、内部に対立が有って苦労をするとか、物事を進めるに自分の意に沿わない、という状況です。出て行くことは自重し、まず内部を収めることが必要です。
小事に吉、とありますが、「強いて言えば小事ぐらいはまあ良いか」というようなところでしょう。
この卦は「風火家人」という卦を180度ひっくり返した卦です。「家人」は奥さんが家内をしっかり取り仕切り、内に憂いなく外に発展する形で、この卦はそれをひっくり返した形だから意味もその反対です。易経も面白いこじつけですね。
(概説)
「願いごと」ー小さいことはかなうが、他はかなわず。
「商ごと」ー小金の商はともかく、その他は不調。
「相場」ー弱気の展開。
「受験」ー不成績。やさしい志望はかなう。
「病気」ー重症。治療に意見の相違あって注意。
「就職」ー望みなし。
「恋愛」ーフられる象。
「天気」ー悪い。
「旅行」ー見合わすべし。特にグループ旅行は不和になる。
「開業」ー見合わすべし。
「転業、移転」ー見合わすべし。
「失物」ー出ず。
「方角」ー南、西。
「初爻変爻」の場合:
  「馬を失うが追うことはない。勝手に戻ってくる。」と書かれています。
  意に沿わぬことやもめごとなどで悩むことがあっても静かに成りゆきを見守ることです。

「二爻変爻」の場合:
  「主に巷に逢う。咎め無し。」と書いてあります。
  急用で捜しても見つからない社長に街角でひょこっと逢う、といった意味です。
  正規の方法ではうまく行かないが別ルートでうまく行くとかで、窮すれば通じます。

「三爻変爻」の場合:
  誤解を受けて邪魔をされたり、覚えのないことで罪を着せられたりします。
  無理をせぬのがよろしい。

「四爻変爻」の場合:
  人に背いたり背かれたりして孤独になります。
  反省し、自重することで何とか乗り切ることです。

「五爻変爻」の場合:
  目下の者、身内の者の協力で問題が解決するでしょう。

「六爻変爻」の場合:
  疑心暗鬼から来る軽挙盲動を謹むこと。
  「往きて雨に逢えば吉。」とありますので参考まで。


目癸(けい)は、小事に吉なり。

彖に曰く、けいは火動きて上がり、沢動きて下がる。 二女同居して、その志同行せず。
説(よろこ)びて明に麗(つ)き、柔進みて上行し、中を得て剛に応ず。 これを以って小事に吉なり。
天地そむけども其の事同じなり。男女そむけどもその志通ずるなり。万事そむけども其の事類するなり。「けい」の時用、大いなるかな。

象に曰く、上火下沢は目癸なり。君子は以って同じくして異なり。

初九。悔亡ぶ。馬を喪(うしな)う。逐(お)うことなかれ。自ずから復(かえ)る。悪人を見るも咎なし。
   象に曰く、悪人を見るは、もって咎を避くるなり。
九二。主に巷に遇う。咎なし。
   象に曰く。主に巷に遭うとは、未だ道を失わざればなり。
六三。輿(くるま)曳かるるを見る。その牛ひき止めらる。その人天(かみき)られ鼻きらる。初め无(な)くして終りあり。
   象に曰く、輿曳かるるを見るとは、位当らぜればなり。初め无くして終りありとは、剛に遇えばなり。
九四。そむきて孤なり。元夫に遇い、交(こもごも)孚(まこと)す。氏iあやう)けれども咎なし。
   象に曰く、交孚し、氏iあやう)けれども咎なしとは、志行わるるなり。
六五。悔亡ぶ。厥(そ)の宗、膚(はだえ)を噬(か)む。往きて何の咎あらん。
   象に曰く、厥の宗、膚を噬むとは、往きて慶あるなり。
上九。そむきて孤なり。豕(いのこ)の塗(どろ)を負うを見、鬼を一車に載す。
   先にはこれが弧(ゆみ)を張り、後にはこれが弧(ゆみ)を説く。寇(あだ)するに非らず。婚媾せんとす。
   往きて雨に遇えば吉なり。
   象に曰く、雨に遇うの吉とは、群疑亡ぶればなり。


「豕(いのこ)の塗(どろ)を負うを見、鬼を一車に載(の)す。先にはこれが弓を張り、後にはこれが弓を解く。冦(あだ)するにあらず、婚媾(こんこう)せんとす。」
泥だらけの豚が走ってくるのを見て、鬼がいっぱい乗った車が走って来たと思い、戦々恐々として弓を張るが、それが自分の妄想疑惑だったと気がついて弓を外す。攻めて来たのでは無く、縁組みしようと来たのだ。

「往きて雨に遇えば吉。雨に遇うの吉とは群疑亡ぶればなり。」
自分から進んで雨に遇うように、反する者と和合を得る努力をするのがよろしい。そのことで諸々の疑惑が解消される、あるいは、陰陽が相和して生ずる雨で諸々の疑念が洗い流されます。
意見が合わないから、嫌な奴だからと敬遠していては疑心暗鬼を増すだけで問題解決になりません。


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