「二爻変爻」の場合:
「古楊ヒコバエを生ず。老夫其の女妻を得。」とあります。
まあ、元気があって良いことだ、と書いてありますが。
諦めていたことがうまく行くとか、古い話が再燃するとかあるでしょう。
「三爻変爻」の場合:
大過の渦中です。ただ無事に過ぎるのを祈るばかりです。
「四爻変爻」の場合:
大過の渦中では有りますが何とか持ちこたえられて、吉です。ただ新しいことは無理です。
它あれば吝、とあります。它は他で、他志を戒めています。
「五爻変爻」の場合:
一時の華やかさに惑わされないように。小事は通ります。
「六爻変爻」の場合:
実力以上のことを任され苦労することがあります。自分の為ではないので良い悪いもありません。
彖に曰く、 大過は、大なる者の過ぎるなり。棟(むなき)たわむとは、本末弱きなり。
剛過ぎたれども中、巽(したが)いて説(よろこ)び行く。行くところあるによろしく、すなはち享る。大過の時太いなるかな。
象に曰く、沢の木を滅すは大過なり。君子もって独立して畏れず、世を逃れて憂うることなし。
初六。藉(し)くに白茅(はくぼう)を用う。咎なし。
象に曰く、藉くに白茅を用うとは、柔にして下に在ればなり。
九二。枯楊ヒコバエを生じ、老夫その女妻を得たり。利ろしからざるなし。
象に曰く、老夫女妻とは、過ぎてもって相与(くみ)するなり。
九三。棟木(むなぎ)撓(たわ)む。凶なり。
象に曰く、棟木撓むの凶なるは、もって輔(たす)くることあるべからざればなり。
九四。棟木隆(たか)し。吉なり。它(た)あれば吝なり。
象に曰く、棟木隆きの吉なるは、下に撓まざればなり。
九五。姑楊華(はな)を生じ、老婦その士夫を得たり。咎もなく誉れもなし。
象に曰く、姑楊華(はな)を生ずるは、なんぞ久しかるべけんや。老婦士夫とは、また醜(は)ずべきなり。
上六。過ぎて渉(わた)り、頂きを滅す。凶なれども咎なし。
象に曰く、過ぎて渉るの凶なるは、咎がむべからざるなり。