石垣内の屋敷は、文禄・慶長の役のとき加藤清正など将校が滞在した宿舎。写真右奥の高台は物見台(遠方を見るために造られた台)である。将校たちはここに立ち、対馬海峡、玄界灘、勝本港内を見渡したのです。宿舎内は将校の旗が立ち並び、後に「旗揃舎(はたぞろいしゃ)」と呼ばれた。平戸藩主は1627(寛永4)年、朝鮮通信使が寄泊する勝本浦の重要性に鑑みて、勝本浦に神職(壱岐島惣大宮司兼神職棟梁吉野氏)配置を決定。宿舎は吉野氏の居とされ現在に至っている。

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ようこそ壱岐市勝本浦へ。聖母宮祭りの御遷幸(御神輿のお船旅)です。   

壱岐市は長崎県に属しているが、福岡及び佐賀県との社会的・文化的関係が深い。福岡からは海上76km、佐賀県の呼子からは48.7kmの距離にあり、壱岐航路は博多・唐津と結ばれている。長崎県に属した理由は、廃藩置県の際に平戸藩の属島であったこと。最初は平戸県だったが、その後平戸県と同時に長崎県に統合された。島の北端にある勝本浦は、朝鮮半島と深いつながりのあった大和政権時代から海上航路の重要な港として多くの人が滞在した。そして港外にある辰の島、若宮島、名鳥島の3島が自然の防波堤となり、県内屈指の漁業基地となった。現在は、古代からの歴史(駅家、防人と烽、朝鮮使節、鯨組等)と辰の島探索・遊覧などの観光資源を生かして、漁業プラス観光の町へと移りつつある。写真は、辰の島遊覧の「蛇ヶ谷」です。

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117号:漁業プラス観光の町へ

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平成27年・平成28年に勝本地区商工業の発展と地域振興を目指して、勝本港湾一部埋立に関する要望書が市長宛に提出された。これを受け平成29年から勝本浦部活性化推進協議会が発足し、埋立地の在り方について協議してきた。そして、19日の会で本年度末に国の承認が出る予定との知らせがあった。私は委員として出席しているが、勝本浦入口の埋立地は壱岐市北部観光の拠点となりうる。観光バスが入ると、目の前に辰の島遊覧・海水浴の受付案内所があり船が待つ。また観光コースとして、黒瀬商店街のある中部観光回遊コース。東に鯨組跡がある東部回遊コース。西に朝鮮通信使迎接所跡がある西部回遊コースがある。それぞれのコースの史跡等は、本ホームページの「勝本浦について」に載せている。埋立工事は5年間に及ぶが、それを好機にするよう知恵を絞ることが大切。勝本浦が「漁業の町」から「漁業プラス観光の町」へと発展できればと思う。

2019年03月20日

116号:家の管理

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今週は、畑の草取りを2日間かけて行った。長い間賃貸マンションに住み、家の管理に気を使うことはなかったが、自宅住まいの今はそうはいかない。とくに家外責任者の私は、庭の草木や畑の様子に気を使う。魚釣りは湾内から魚が消えたような状況で、今はよき潮時を選びたまに出かけている。そのような中に行った草取りだが、よいときに取り組んだと思いながら作業をした。そのままにしていたら倍以上の手間がかかったにちがいないから。全国で空き家が社会問題になっているが、管理できない屋敷は自然が覆いつくしてしまう。大変なことですが、家主は管理を怠らないよう努めることが大切。写真は、裏の松の皮を食すリス。リス村が倒産、逃げたリスが島内に拡散したと聞いています。

2019年03月14日
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