石垣内の屋敷は、文禄・慶長の役のとき加藤清正など将校が滞在した宿舎。写真右奥の高台は物見台(遠方を見るために造られた台)である。将校たちはここに立ち、対馬海峡、玄界灘、勝本港内を見渡したのです。宿舎内は将校の旗が立ち並び、後に「旗揃舎(はたぞろいしゃ)」と呼ばれた。平戸藩主は1627(寛永4)年、朝鮮通信使が寄泊する勝本浦の重要性に鑑みて、勝本浦に神職(壱岐島惣大宮司兼神職棟梁吉野氏)配置を決定。宿舎は吉野氏の居とされ現在に至っている。

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ようこそ壱岐市勝本浦へ。聖母宮祭りの御遷幸(御神輿のお船旅)です。   

壱岐市は長崎県に属しているが、福岡及び佐賀県との社会的・文化的関係が深い。福岡からは海上76km、佐賀県の呼子からは48.7kmの距離にあり、壱岐航路は博多・唐津と結ばれている。長崎県に属した理由は、廃藩置県の際に平戸藩の属島であったこと。最初は平戸県だったが、その後平戸県と同時に長崎県に統合された。島の北端にある勝本浦は、朝鮮半島と深いつながりのあった大和政権時代から海上航路の重要な港として多くの人が滞在した。そして港外にある辰の島、若宮島、名鳥島の3島が自然の防波堤となり、県内屈指の漁業基地となった。現在は、古代からの歴史(駅家、防人と烽、朝鮮使節、鯨組等)と辰の島探索・遊覧などの観光資源を生かして、漁業プラス観光の町へと移りつつある。写真は、辰の島遊覧の「蛇ヶ谷」。文字「辰の島遊覧」をクリックすると遊覧船からの景色が見れます。

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126号:緑の季節

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退職後の人生で身近に感じるのが、壱岐の海と山などの自然。帰郷後3年目になるが、5月の緑が美しい。家の裏山には緑の木々が育ち小鳥たちが集う場所があり、朝にはホーホケキョと鳴き声が届く。そして東側の庭には、昔からあった二本の柿木の緑が勢いを増している。柿木は2年前に沢山の実をつけたが、昨年は一つもつかなかった。が、今年は多くの白い花が咲き、秋が楽しみになる。緑は車で走る道沿いや、急傾斜工事の崖などにも勢力を伸ばす様子がある。感じるのは、公共の場所に育った草木が人の生活に支障を及ぼすようになってきたときに、誰が管理すればよいのだろうということ。災害が起きれば公共が対応すると思うが、大切なのは災害を防ぐこと。広がる緑の美しさに接する人々の関心が、管理する気持へと向かう必要がある。緑の季節に思うことの一つです。写真は、屋敷お稲荷様と柿木。

2019年05月24日

125号:漁業と観光の町へ

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日本は少子高齢化の波の中にある。なかでも地方はその動きが顕著で、活性化策が課題となっている。勝本浦もその一つであるが、明るい動きもある。それが壱岐・対馬国定公園内の海域公園地区となっている「辰の島」への渡海船と遊覧船の利用状況。勝本町漁業協同組合近くの岸壁から出ているが、駐車場には観光客を乗せた大型・中型バスの駐車が見られる。そして、客が多い時は2艘が一緒なって出ることもある。壱岐島の土台といわれる勝本層が、長い年月をかけ波浪・風浪・うねり・磯波などの浸食を受けてできた海蝕洞窟(海の宮殿)・海食崖(大屏風)・断崖絶壁(蛇ヶ谷・羽奈毛)・奇岩(目出柱・マンモス岩)などを船上から楽しむ。その勝本浦は数年後に中央海岸が埋め立てられ、辰の島観光の案内所、遊覧船が移る予定になっている。その頃には、漁業プラス海をフィールドにしたサービスと一体となって光景が様変わりしているかもしれない。写真は、辰の島遊覧船「エメラルド」、ブログ右上の「遊覧船」をクリックすると遊覧のページを見ることができます。

2019年05月15日
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