プカプカ島(北クック諸島)DXペディション   ZK1KH (KEN HOLDOM)

(要約)JA6DFN/ZL3IS

訳者まえがき

紺碧の空、エメラルド色の海、白い砂浜、南太平洋の珍しい珊瑚礁の島で遊びながら無線を楽しむDXペディションは私の夢の1つである。実際にそれを行った報告が Break-In (NZART機関誌1995年9月号10月号)にDXpedition and Family Visit to Pukapuka Island Northern Cook Islands として連載されたので紹介する。

私と同じ様な夢をお持ちの方に少しでも参考になれば幸いである。筆者(KEN)はXYLの里帰りに合わせて行ったので無線はついでに楽しんだだけかもしれない。無線はともかく遊びに行ってみたいとお考えの方にも参考になる。

プカプカ島というと、何かひょっこりひょうたん島のたぐいのように思われるかも知れないが、南緯10°51'10.8"S 西経165°50'31.2"にある実在の島である。

Pukapuka_Atoll_map.jpg (356449 バイト)
           クック諸島の位置 プカプカ島 画像クリック>>拡大  北側からの写真

buttonsb.gif (848 バイト)Back to Break-In                                                          1.ニュージランド(NZ)→ラロトンガ島(南クック諸島)

出発の18カ月以上前からクック諸島訪問を計画していたのに、ラロトンガ島(南クック諸島の本島でクック諸島のビジネスセンター)に着くまでプカプカ島に実際行けるのかどうか、何か不確実なところがあった。我々が実際NZを離れる前にプカプカ〜ラロトンガの帰りの航空券の予約が取れているにもかかわらずである。実際、最初のDXペディション予定地に到着するまでは、帰りの航空券の予約が取れていても本当に確信や満足できるものではない。

訳者注:ラロトンガ航空のラロトンガ→プカプカ便は不定期でいつ飛ぶか不確かなようです(下記)
Air Rarotonga flies to Pukapuka from Rarotonga irregularly and would-be visitors should check with Air Rarotonga by fax to 682 22 979.

12月10日(土)(現地時間)ラロトンガに到着、約1時間45分待って我々は荷物を受け取り、無事税関を通った。我々の荷物は、はるかに許容重量を越えていたが最少の費用でこれをラロトンガに届けてくれたニュージーランド航空に感謝している。

我々はクック諸島滞在中にダン ブラウン(N7WTU)のグループが数カ月前にラロトンガ島とアイツタキ島を訪れた時に経験したような厳しい天候の変化に遭わなかった。

私のXYLイメラはプカプカ島の出身で、私自身もまた20数年前1970年代のはじめ2年間クック諸島で働いており、それ以来、我々は何度も機会ある度にクック諸島を訪れた。最近では4年前、1990年12月から1991年の1月にかけてラロトンガを訪問した時、私はZK1KHを6週間運用し、106カントリー1000局余りとQSOし、現在76カントリーをコンファームしている。このDXペディションで受け取ったQSLカードに対してはすべてQSLは発行済みである。

次の月曜日、我々は副首相事務所におもむき、ピーター マースタースと次のフライトの詳細をチェックした。彼はそこの長官で、NZにいる時から我々に大いに助けになってくれた。ピーターの努力には大変感謝しており、彼の不断の助けが無かったら、我々はプカプカ島にたどり着けなかったかも知れない。

我々が到着する2日前にもプカプカ行きの便があるが12月27日に、もう1便あるとピーターは助言してくれ、我々はその便を予約した。これで我々は大いに助かったのだ。

ピーターはまた我々のアンテナや付属装置のラロトンガからプカプカまでの船積みの手配も大いに助けてくれた。この船はラロトンガのカトリック教会が北クック諸島からのカトリックの代表者たちをラロトンガで行われている100周年記念祭に出席させるために借り切ったものだった。

 

2.ラロトンガ島(南クック諸島)→プカプカ島(北クック諸島)

やっと12月27日になり我々はフライトにチェックインしに出かけた。赤ん坊を除き1人あたり10Kgの荷物の重量制限を我々はかなり越えていたが、大変ありがたいことに、ラロトンガ航空の所長が約35Kg余分の荷物持ち込みを許可するよう予め手配してくれていた。これからの飛行距離が長いので燃料を積めるだけ積むために、我々の荷物だけではなく全ての手荷物と乗客まで重さが測られた。我々にプカプカ島まで、行きだけではなく帰りの分まで同様に超過荷物の携行を無料で許してくれたラロトンガ航空の所長に心から感謝している。

我々は現地時間6時に、アイツタキ島(南クック)、マニヒキ島(北クック)経由プカプカ島行きの飛行機に乗り込んだ。これら他の2つの島に立ち寄るのは、航空機に燃料を補給するためであった。ここの飛行機は洋上長距離飛行の途中、燃料補給の必要があるのと飛行機の位置を決める航空標識伝いに行くため、飛行機は20席あるが実際乗れるのは、乗客最大10人と乗員だけであった。我々が離陸するときはプカプカ島の天候が思わしくないため、もう1つの北クック諸島の島、マニヒキ島の方向に飛ぶ必要があった。しかし5時間の長い飛行の間にこれらの状況は劇的に改善し、我々は方向を変えて直接プカプカ島に向かったのでマニヒキ島訪問は回避された。

飛行中、映画など通常の息抜きのない飛行としては私が今までに経験した最も長いフライトであることは確かである。大変結構な軽食が出され、乗客全員から大いに感謝はされたが・・・もっとも、ほとんどの乗客は出発前に朝食をとっていなかった。我々の乗ったターボプロップエンジンの飛行機は、高度2700〜3000メートル足らずの低空を飛ぶので客室には与圧していなかったが室内の気温は快適であった。現地時間11時、やっとプカプカ島に着き、我々は消毒液を噴霧された後、うだるような暑さの中、飛行機を降りたがどっと汗が噴き出した。


プカプカ島は北クック諸島の西の端

buttonsb.gif (848 バイト)Back to Break-In

3.プカプカ島到着→運用開始

この島唯一の建造物である空港の建物で歓迎式典が開かれた。この建物は現地の建材を使い、たくさんの木柱でわらぶき屋根を支える構造のプカプカ島スタイルに造られていた。

この歓迎式典の後、我々はトラックに乗って波止場に行き、そこからアルミ製軽ボートで約40分かかってプカプカ本島に渡った。このときは本当に新鮮な潮風を吸い込んで少し体を冷やすことができ非常にありがたかった。ボートで渡ったのは通常は無人の島に空港があり、人が住んでいるプカプカ本島はラグーン(環礁に囲まれた水面)を越えた向こう側にあるからである。

午後遅く、我々は最初のプカプカ風の歓迎宴会に出席した。これにはラロトンガからプカプカに飛んで来た全員とその他の招待客が出席し、約2時間続く非常に重要で楽しい島伝統の習慣である。その直後は疲労と睡眠不足のため、アンテナを建てることなどは思いつかなかった。

次の朝、最初のG5RVアンテナを東西に張り、通信機をセットした。これらがすべて終わった頃には島の発電機は停止していた。

発電機はクック諸島政府の所有であり、ラロトンガエネルギー相の特別許可と政府代議員ペワ タインガル氏の親切で寛大な協力によって発電時間中は使用を許された上、我々が約300mも離れたXYLの両親の家に寄宿していることから、滞在中に無線をする目的のために代議員の家の寝室を1つ使う便宜を与えられた。

発電機は病院を含む島の主要な政府の建物(全て互いに近い距離にある)に電力を供給するのに使われる。発電機の運転時間は0600〜1200と1800〜2359の1日12時間であった。

発電機から適当な距離を置いて、うまい具合に無線装置を設置するのに適した家を見つけるのは著しく困難だったので、ペワの親切な配慮が無かったらどこかで行き詰まっていたであろう。我々の滞在中に同じくペワの家に滞在していたすべての客の寛容さにも心から感謝する。

最近まで島の家には電気器具というものは無かったが仏政府が島に援助した結果、どの家もソーラー発電装置を備え、主として照明用の24Vが使えるようになった。各戸1つ電気取出し口があるが(1つだけと思われる)これは2つの理由でハム用に不適切である。

第1にソケットがヨーロッパスタイルで適当なアダプターがないこと、第2にバッテリーがハム用機器の重負荷を支えきれないことである。

実際の運用は12月29日、0553ZのJA8XOK”Yama”とのファーストコンタクトから始まった。公称発電時間は上述のとおりであるが、実際の運転は発電所員が到着する時間に物理的に始まり、そして帰宅時間に終わる。時間がそれほど重要でない土地柄、実際の発電時間は大幅に変わるのでコンタクトする良い機会があったのに、発電機が突然止められたためQSOできず、私と同様がっかりした読者も何人かおられよう。

さらに悪いことに運用3日目に、ひどい風が吹いて南北に張った第2のG5RVアンテナが倒れてしまった。翌日は日曜日でご当地の習慣によって1月2日までアンテナを再建できなかった。

プカプカでは他の多くの太平洋の島々のように、日曜日は教会と食事以外のことは全く行われないことを指摘しなければならない。料理と食事の準備は通常、土曜日の夕方に行われ日曜日の食事まで用意されている。

運用中は気温30℃、湿度90%と高くてバテ気味であった。沢山の水を飲んでのどを適当に潤す(しゃべるために)や否や汗が吹き出る。私は普段そんなに沢山液体を消費しないので、生涯WCにはあまり行かないのだが。

私は家族サービスなどのために閉局せざるを得ない場合もあったが、それ程多くのDXハンターを失望させなかったことを祈る。ついでながら空中状態が非常に良いように感じた時はいつも食事の連絡があったりQSOを大幅に妨げる他の家族の動きがあった。しかし、結局この訪問の目的がDXペディションと同様に家族の行事でもあった。このことは計算に入れなければならない。読者にはご理解とお許しをいただきたい。 

4.プカプカ島大スポーツ競技会

プカプカの生活で1つ非常に重要で特色があるのはクリスマスの直後4週間にわたって行われる毎年恒例のスポーツ競技会である。

競技は月曜から木曜まで行われ、金曜はお休み、土曜は魚取りと食事の準備、日曜は前に述べた。スポーツは他のすべての活動に優先して行われ、その4週間は島をあげて店じまいになる。近くの駐在さんも働く理由を見つけるのが難しい。

スポーツの種類はテニス、クリケット(島スタイル)、プアプア(ヒモを使ってやや平らな円盤のような玉を投げる島スタイルのボウリング)、チカ(棒切れを地面にそってかなりの距離投げる)、ココナツむき、伝統的カヌー競技、バレーボール、トト(火であぶって乾かし軽くしたココナツの葉の葉脈を投げる。チカに似ている)などがある。

                    → 北側からの写真

各競技は3村対抗で行われ非常に活発である。村名はロト(Roto,現地語で米国人という意味)ヤト(Yato,同、日本人の意)、ガケ(Ngake,同、オランダ人の意)である。これらの名前はプカプカ人の生活の中で重要な役割を演じた訪問中の米戦艦、日本の漁船、オランダカトリック教会牧師にちなんでつけられたと考えられる。

XYLのイメラは生誕地のヤト村の女子テニスシングルスチームの一員に抜擢されて優勝し、非常に誇りにしていた。その第2ゲーム、私は少しそよ風の吹く日陰から観戦していたが気温は42℃あった。私は灼熱の直射日光が照り返すコンクリートのテニスコートがどのようなものか推測したことがなかった。

「そうね、・・」イメラ(XYL)はその暑さについて説明し、そのすぐあとの試合で彼女は優勝した。(イメラは12月26日にラロトンガ島で行われたプカプカ杯テニス女子選手権シングルスにも優勝している。このスポーツ大会はその時期にラロトンガに居住又は滞在しているプカプカ人の毎年恒例の行事である。)

我々家族のプカプカ訪問の本当のハイライトは、息子のウィリアムが1月8日にプカプカ島のクック諸島キリスト教会で洗礼を受けたことである。この教会はロンドン宣教師協会の庇護の元にあったが数年前に独立した。ウィリアムは生後たった5カ月であったがおとなしく2時間の教会の行事に耐えた。彼の関係した部分は15分だけであったが、我々は全ての教会の礼拝行事に参加した。この礼拝は死ぬまで忘れないであろう。

buttonsb.gif (848 バイト)Back to Break-In

5.プカプカ島の概要

家族と離れてスポーツや無線をやったけれども、それ以外のことについては、食事の時間にしばられ、ほとんど時間をさけなかった。しかし島に興味をお持ちの方のためにプカプカ本島を完全に一周する十分な時間をひねり出した。これは正味95分かかった。私は早朝にとりかかったのだが、正直なところ熱砂と直射日光の下で楽な仕事ではなかった。気温32度、湿度は90%だった。将来、島を訪れる人も、そんなことをしてもそこでは何も得るものはないだろうと思う。

ここは1920年代から30年代にかけて、アメリカ人の作家R.D.フリスビーの活躍の場になったことがある(XYLは彼と親類筋にあたる)。彼は島で貿易商を営み、太平洋に関する本や記事を書いた。彼の2階建ての家2つはまだ跡をとどめており、1つはまだ人が住んでいる。フリスビーの本は、1929年に発刊された「プカプカの本」をはじめとして「欲望の島」「ミスタームーンライトアイランド」「アマルへの暁の出帆」などがある。これらの本はどれもよく読まれ、通常の島の生活様式を生き生きと描いている。

簡単に島の細かい部分を知りたい人のために、位置は西経165゚南緯10゚、人口は760人、そのうち100人程はお役人で大勢の家族のための収入源となっている。現在、コプラ(乾燥やしの実)から得られる収入は無い。昔はこの収入が重要であった。多くの家族が今なお海外の親類の財政支援にたよっている。

島の食物は主として魚、豚肉、鳥肉、タロイモ、ココナッツなどの地元のものであり、これらを輸入物の肉や魚の缶詰、米、砂糖、小麦粉、上等のパンその他の基本的な食糧で補っている。緑の野菜を好む人にはタロイモの葉やパンの実に頼る必要がある。少量のライムやパパイヤも栽培されている。一番おいしいのはヤシガニである。これはザリガニや伊勢エビに近いがやや高価である。島に出荷される食物の価格はNZ国内に比べて非常に高価である。

我々が滞在した最後の週に運よく、通常は人が住んでない2つの島に行くことができた。これら2つの島は現在、主として自家消費用のタロイモとココナッツの栽培に使われている。島の基盤整備のためと作物の収穫時期以外は人を住ませないという習慣の為、これらの島に行くには許可が要る。

これらの2つの島は、通常、人は住んでいないが、その内の1つの島には空港が建設されており村内の持ち回りで二人の監視人を駐在させている。

最近建設された珊瑚でできた簡易滑走路と建物は本当にプカプカ人の功績であり、ラロトンガ島での緊急医療を必要とする人にとって莫大な利益となった。緊急飛行便を出せば彼らは治療を受けるため何週間も、時には何カ月もラロトンガ行きの船を待つ必要がなくなった。

このような楽しい滞在であったが、種々の緑色野菜、肉、日常の高価でない贅沢品、そしてもっと大事な冷水・温水の使えるシャワーと水洗トイレが使えるような通常の気楽な生活に戻るのが恋しくなってきていたところ、1月26日になってやっとそれが実現する見込みになった。

6.ZK1KH運用結果のまとめ

26日間の運用で総計60カントリー、1616QSOであった。これは少しがっかりしたが運用の仕方、ビームアンテナやリニヤーアンプを使わなかった事などを考慮すると結局それほど悪くはないであろう。読者の中には今回の北クック諸島をコンファームでき喜んでいる人がいることも間違いない。この記事が出る頃には私が受け取った全てのQSLカードに対する返信は完了している。

buttonsb.gif (848 バイト)Back to Break-In

7.プカプカ島→ラロトンガ島

再び我々は短時間のボートの旅を楽しみ、簡易滑走路のある島へ戻った。この時、最初来たときよりもずっと時間がかからなかったように思われた。それは時間が速く過ぎるという正常な感覚に戻るのを予期する本当に落ち込んだ感情があったのだろう。空港で別れの言葉をもらい涙を禁じ得なかった。それから我々は丁度4時間のラロトンガ行き直行便に搭乗した。

ラロトンガ滞在中、行きと帰りの両方の時点でトリシュとテアリキ カマナ(ZK1TK)の持っていた車を使うことができて好都合であった。テアリキはクック諸島の現地ハムライセンス発行担当の役人で、20年以上も我々の家族の個人的な友人である。

チャタム諸島(ZL7)の出身のトリシュは我々がラロトンガ訪問中、チャタム諸島の家族の所に行っており不在だった。彼らの車なしではあまり便利ではない公共の交通機関に頼らざるを得なかったであろう。正直なところ私はレンタカーを長期借りた方が安上がりではなかったかと思う、というのは琥珀色の液体の消費が多く、それに伴う費用が驚くほどだったからである。我々はそんなことにはほとんど気をつけなかった。

 

8.おわりに

プカプカ島についてもっと知りたい方、我々とアイボールQSOしたい方はいつでも遠慮せずにウェリントンの私のホームQTHに連絡いただきたい。
QTH :31 St Johns Terrace,Tawa,Wellington,New Zealand ZL2HU Tel 04-232-6478

我々を支援し、このDXペディションを可能にしていただいた組織、個人、企業にこの機会に心からお礼申し上げる。また、1995年11月〜12月に予定されるケルマデック諸島(ZL8)ペディションにも同様の支援が得られるようお願いする次第である。 73 and good DXing KEN HOLDOM/ZL2HU

buttonsb.gif (848 バイト)Back to Break-In 

Links & Data

NZARTのCALL BOOK/2006-2007によると、著者KEN HOLDOM (ZL2HU,ZL4HU) のCook Islandsにおけるコールサインは E51KH となっています
この記事は1995年9月号10月号のBreak-In誌に連載されたもので、内容やQTH等のデータは現状とは異なる可能性があります
Pukapuka - The Island of Danger  Pukapuka Island map  プカプカ島全景(北側から)
Google 地図検索データ(コピペ用)/Google Earth -10.889111, -165.855833 (島全体) -10.853,-165.842(本島) 
クック諸島情報 (Geography - Location in Pacific)
外務省クック諸島情報 →面積 約237平方キロメートル(鹿児島県徳之島とほぼ同じ) 在留邦人数 3名(2012年10月現在)
〔参考]欧米人の視点から?The Most Remote Place on Earth    Extreme points of Earth (Wikipedia)