【亥年を振り返る】

◎「そんなの関係ねぇ」では困る

 2007年の世相を表す漢字は「偽」だった。だが、「偽」の先にあるのは、国民の消し難い「不信」ではないだろうか。
 「偽」の横行は何も今年に始まったものではない。耐震偽装事件は2005年に発覚した。生涯一度の大きな買い物となるマイホームの夢を無残に引き裂く例の事件だ。
 やっと手にしたマンションが強い地震で倒壊すると言われたら、どうするか。私たちが生活している国は地震列島だ。
 いつ強い地震に襲われるか分かったものではない。裁判で施工・販売業者の責任を問われたが、誰も責任を認めようとしないし、応える資力もない。
 結局、マンションの住民は泣く泣く新たな借金をして補強工事をするなどで急場をしのいでいるのが現実だ。
 設計者、施工業者、販売業者、工事の許認可を持つ行政がいずれも被害者に温かい手を差し伸べることはなかった。無為に時間だけが過ぎて、被害者だけがひとり苦しんでいるのである。
 ところが、あの耐震偽装は今ではあまり話題にも上らなくなった。

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 今年は何だ。ひき肉、白い恋人、赤福、船場吉兆の高級食材など食品大手、老舗の偽装が相次いだ。告発された経営者は「無実」を主張したが、次々と明るみに出る食材のウソに抗し切れず、「申し訳ありません」と謝罪会見が連日のように続いた。
 身近な食品に、これほど不信感を持たせたことはかつてない。少々割高だが、無農薬、無添加、有機栽培食品を求める消費者の心理は神経質なくらいなのだが、商品を提供する側が表示を偽っていたのでは、消費者の目の届きようがない。救われもしない。

謝罪会見は偽装企業、料亭の素顔をさらけ出した。驚くというよりあきれたのは、船場吉兆の45歳の取締役とその母親が記者会見で見せた素顔だ。息子への質問に、うつむき加減の母親がモソモソと応えを教えていた声が、目の前のマイクに録られてしまった。

幼児に母の「口移し」は珍しくないが、70歳の母親が45歳の息子に「言葉の口移し」をしているようだ。そして、その母親が謝罪した言葉が「先祖に申し訳ない」である。
 消費者のことなど、少しも頭にない。パート従業員が勝手に偽装したなどと、責任を従業員に押し付ける所業などは、老舗の看板に泥を塗る以外の何ものでもない。
 そんな老舗になっているとは、創業者は夢にも思わなかっただろう。「本業に専念し、いたずらに業容を広げない」が老舗の家訓のはずだ。それを、忘れてしまった悲劇である。
 ミートホープの社長の会見では、逆に社長は役員の長男から「正直に言ってください」とたしなめられている。対照的な家族の姿を垣間見た。

今年1月に発覚した関西テレビの「納豆ダイエット事件」やコムスン、NOVAだって偽りであることに違いはない。女性の心理につけ込んだり、介護を逆手に取ったり、さらにはバイリンガルの夢を奪うなどはインチキそのものだ。

「宙に浮いた」年金記録に対する国民の政府不信などは、野党が「国家犯罪」と決め付けることに誰も違和感を持たない。安倍前首相の「最後のお1人まで」の約束は参院選のリップサービスだったし、引き継いだ福田首相も「公約なんですかね」などと他人事みたいな発言を繰り返した。

新潟県中越沖地震(7月)の時、東京電力柏崎刈羽原発で火災や放射性物質を含む水漏れが発生、耐震基準を大幅に超す揺れや原発直下に断層の可能性など安全性に不安が広がった。この地震では、「被害者」の東電が原発管理の不手際を、そして国も原発行政の不備を厳しく批判されている。

国民の「不信」を思い知らせたのは、7月の参院選だった。自民、公明の与党が惨敗、民主党が大躍進した。「年金」「格差」問題で、有権者は与党が考えもしないような結果を突き付けた。参院は野党が過半数を占める、いわゆる「ねじれ国会」である。
 ところが政治という生き物は、周りの状況に敏感に反応できないものらしい。その鈍感さが行き着いたのが前首相の突然の政権放り出しであり、福田内閣の年金問題の混乱だ。
 そこで、せめてもの罪滅ぼしのつもりで編成したのが2008年度政府予算案なのだ。参院選で示された「地方の反乱」を意識した手厚い配慮、高齢者医療費負担増の先送りなどである。だからといって、政府・与党がいずれ避けて通れない総選挙で国民の支持を回復できるとは思えない。
 衆院は与党で3分の2の議席を占めている。それを維持することは、まず難しいだろう。せめて、過半数を確保することができればと考えているのが本音なのではないか。

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 過去に遡れば、石油危機の時の企業の「売り惜しみ」、経営トップの「千載一遇のチャンス」発言があって、企業のモラルが問われたことがある。
 バブル経済期にはカネに糸目をつけない地上げ、リゾート開発、さらには
90年代初頭の銀行・証券不祥事(損失補てん)の続発など、庶民を裏切る例は数え切れない。
 企業の社会的責任を率先して果たすよう説いたのは、財界首脳の1人で経済同友会の代表幹事だった木川田一隆氏(元東京電力会長、故人)だ。高度成長のひずみが公害、都市問題、欠陥商品の続出となって表れ、国も産業界も何ら手を打てなかった時期の1960年代初頭のことだ。

「ウソ・偽」「騙し」は姿、形を変えながら時を超えてしぶとく生き延びている。「社会的責任」は今でも再三説かれるが、空念仏のようで空しさが漂う。

07年の世相を反映した住友生命の「創作 4字熟語」の優秀作品に「半裸万笑」(森羅万象)がある。小島よしおをはじめ、半裸姿の芸人が大人気。冬は寒そうだが「そんなの関係ねぇ」―とコメントにある。

暮れの12日、京都・清水寺の森清範貫主が特大の和紙に「偽」を黒々と揮毫した。奉納の儀式後、森貫主は「こういう字が選ばれるのは本当に恥ずかしく、悲憤に堪えない。己の利のためには人をだましてもいい、という嘆かわしい社会だ」と語った。

今年1月、官製談合事件に絡む前知事の辞職に伴う出直し宮崎知事選で圧勝した東国原英夫氏は選挙期間中、宮崎県を「どげんかせんといかん」と訴えた。この言葉が07年の流行語大賞に選ばれた。
 「どげんかせんといかん」のは宮崎県だけではない。日本そのものが「どげんかせんといかん」時期にきている。

「そんなの関係ねぇ」などと面白がっている場合ではない。(071228日)