【薬害救済の道】

◎一刻の猶予もならぬ

 薬害C型肝炎訴訟で被害者の一律救済を求める原告団代表は、ようやく福田首相との面会(1225日)がかなった。首相は代表に向かってこれまでの長い苦労に国の適切な対応がなかったことを謝り、救済法案(議員立法)に当たって被害者の心に十分応えるよう自民党総裁として指示することを約束した。
 首相との面会後に記者会見した原告団代表は、「ようやく首相との面会がかない、首相の誠意を感じることができた」と率直な印象を語った。
 被害者とすれば、国の薬事行政の明らかな間違いに加えて、厚生労働省のこれまでの行政責任を全く感じさせなかった状況が、首相が正面に出てきたことで、ようやく問題解決のきっかけができたと胸をなでおろしたのだろう。

国を相手にした、言葉では言い尽くせない苦しみがどうにか通じたのだが、現状は薬害問題が解決に向けて一歩動き出しただけである。与党は新年早々の法案提出に向けて作業を始めたが、被害者の一律救済はともかく、事ここに至った行政(国)の責任が法案にどのように盛り込まれるのか、今の段階では全く分からない。被害者原告団は、法律で国の行政責任を明確にするよう再三求めている。被害者の健康を考えれば、一刻の猶予も許されない。「政治決断」した首相の「真意」が問われることは間違いない。

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 今回の問題が波紋を広げる中で、厚労省は被害者の求める薬剤投与の資料公開を拒んだだけでない。政治もそれを見て見ぬふりをしてきた。
 
薬害エイズ問題でも、厚労省は最後まで自らの責任を認めようとしなかった。さほど遠くもないその過去を思い起こして、今日の状況を見れば、同省は一体誰のためにある官庁なのか、国民は誰しもそう思ったのではないか。

政治家は不祥事があれば、余程のことがない限り選挙で有権者の厳しい審判にさらされる。政党の幹部クラス、あるいは現職大臣、および大臣経験者といえども避けて通れない。
 ところが、中央省庁の官僚はどうだろう。
 1990年代半ばに発覚した社会福祉法人グループ(埼玉県)の贈収賄事件は、当時の厚生省事務次官の典型的な「要求型汚職」だったし、つい最近では防衛省の前事務次官が兵器調達を巡る贈収賄事件で逮捕・起訴されている。いずれも高級官僚が事件の責任を問われたものだが、事件にまで発展しないまでも、不適切な行政で国民が被害者となる事例は多い。公害訴訟や在日米軍基地の騒音訴訟などは、その典型的な事例といえる。

厚労省所管の採算性を度外視した厚生施設などは、「武士の商法」とも言い難いずさん極まりない税金の投入であり、全国に展開するそれらの施設は運営不能となり、二束三文で処分されている。いずれも、官僚の天下り先だった。
 高級官僚の個人的犯罪が断罪されるのは当然だが、行政の国民への背信行為の責任が最終段階まで問われることはごく稀だ。官僚の行政責任を正す立場の大臣も、強大な官僚組織を敵に回してまで筋を通すことはほとんどない。

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 薬害肝炎訴訟で原告団が大阪高裁の和解案を即座に拒否、和解交渉の打ち切りを表明したことに政府・与党首脳は「法治国家」を盾に政治の介入を拒否している。にもかかわらず一転、「議員立法」での救済を打ち出したのは、急落した内閣支持率と与党に対する国民の厳しい批判があったからだ。(「嘆かわしい政治」=1215日=参照)

 首相の判断をどう評価するか。
 朝日新聞の25日付朝刊の「天声人語」は、戸惑い気味に「英断だが計算づく」と言うべきか、「計算づくだが英断」だと見るべきか―と書いている。前者で首相の判断を見るか、または後者で見るかで評価は全く逆になるから的確な判断ができかねるという意味のようだ。同日の紙面の「声」欄に載っている、宮城県多賀城市に住む57歳の会社員は首相に厳しく次のように問い掛けている。

 「貴方の唱える『信』の字の成り立ちをご存知ですか?『人』の『言』と書き『人の言葉と心が一致する《まこと》の意』です。(中略)政治の信頼は、まず誠意ある言葉を発することからです。これまで的はずれで具体性もなく、他人事のような言葉遣いの発言が続いています。オトボケで総理の職はとんでもないことで、国民はトホホの状態です。(以下略)」
 これもきつい一撃である。
 首相の判断を「政治判断」と言えるかどうかは議論の分かれるようだ。
 
確かに、暗礁に乗り上げた感がある中で首相自らが提示したトップの判断は重い。救済の方向付けはできた。それを、再延長した115日の臨時国会会期中に何とか結論を得なければならない。時間がない。
 「議員立法」で解決を図るといっても、国の責任をあいまいにしたままでは、せっかく和解に向けて動き出した両者の信頼関係が振り出しに戻ることだって否定できない。
 単なる「両論の中間点を取る」とか、「足して2で割る」式のものは政治判断とは言わない。

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 今回の肝炎救済を巡る被害者原告団の一歩も引かない国への抗議は、肝炎被害の深刻さを全国民に知らしめた。患者の真剣な訴えを真正面から受け止めようとしなかった行政の不誠実さが、原告らの必死の訴えで次々と明らかになった。
 患者には、肝炎の不安が消えた安らかな日常はないという。命への向き合いが、どれほど行政に足らなかったかを考えて見るべきだ。政治と行政に国民の命を守る強い意志が少しでもあるならば、このような問題にはならなかったはずだ。
 法案づくりに当たって「建前論」が取り沙汰されているという。時間がないのは国会ではない。病魔に冒されている被害者の気持ちを考えれば、彼らが精神的に少しでも安らぎを覚えるような状況を早くつくることだ。
 つまり、「国の責任」をはっきりさせた上で救済の道筋を早急に明確にすることを最優先とすべきである。
 火事場で火の消し方を話し合うに等しいような論議はすべきでない。ましてや、与野党の政治的駆け引きなどは決してあってはならない。その上で、薬事・医療行政の抜本的改革がなされなければならない。

 間違っても首相の判断を、低迷する内閣支持率を高めようと、ことさら特別なものと飾るようなことがあってはならない。そんなことをすれば、「国民の立場に立った政治」を約束した首相の言葉がむなしく響くだけだ。(071226日)