名護市・嵐山展望台から
羽地内海を見る。

【蘇る古き沖縄の記憶】


 身内で沖縄への小旅行を楽しんだ。
 幸い天候に恵まれ、11月も半ばだというのに日中は夏の装いで済む。さすがに夜ともなれば長袖シャツが欲しくなるが、半袖シャツでも気にはならない。
 還暦を迎えた兄弟姉妹が幹事を務める年寄りの旅行だから、気はせいても羽目を外した真似はできない。沖縄の自然の一日のうつろいを肌で確かめながらの時を過ごした。

 この旅で、思いもしなかった遠い昔を思い出させる人に出会った。
 那覇市内で有名な琉球料理を食べさせてくれる山本彩香さんがその人だ。私たち客へのあいさつに現われた山本さんと、取りとめもない話をしているうちに、私の家内が沖縄の本土復帰を挟んで那覇に住んでいたことを話したことがきっかけだった。
 1972年の日本復帰前の沖縄に赴任した本土記者(私もその1人)の何人かが、山本さんが細々と営んでいた店に、地元記者と夜な夜な訪れては泡盛を酌み交わしていたという。その酒好きな本土記者の1人が、私のかけがえのない先輩記者のT・Kさんだったのである。
 私たちの酒席にあいさつに来ただけのはずの山本さんだったが、時間を気にもしないで私たちとの話にのめり込んでしまった。  
  酒好きのT・Kさんは、今は体の自由が利かず昔のように動きまわることはできない。時間を遡れば、沖縄で取材に駆け回っていたのは30代初めのころだ。山本さんとは、ほぼ同世代だから話も合ったのだと思う。
 山本さんが懐かしそうに言った言葉が、私の遠い記憶を引っ張り出した。
 「大和(本土)への復帰前だから、沖縄はとても落ち着かない不安が多い毎日でしたよ。今では想像もできないくらい貧しい日々だったし…」

 当時、那覇市内には桜坂、波の上、前島といった遊興街があった。米国の軍政下にあったから、ウチナンチュ(沖縄の人)は限られた場所でしか憂さ晴らしはできなかった。
 私の知る限りでは、那覇市内では「波の上」「若狭」地区にあった「Aサインバー」と呼ばれる、米軍の衛生管理がなされたバー、スナックは、酔っ払った若い米兵がたむろする店で、米兵たちが厚化粧したホステスと淫らに絡み合う場所でもあった。
 私は取材だから入れたものの、そうでなければなかなか行けない店だ。売春も当たり前のように行われる特殊飲食街だった。
 店は、お世辞にもきれいとは言えない。米兵の気を引くように、派手なネオンとけばけばしい原色の店内、天井から吊るされたミラーボールの光が不気味に米兵やホステスの顔を浮かび上がらせる。夜でなければ見られないような安造りつけの店だが、若い兵士らには結構人気があった。

 当時、沖縄米軍基地は激化の一途をたどっていたベトナム戦争の混迷を映し出すように、無残に壊れた戦車や軍用車両が那覇軍港や牧港の米軍補給基地のヤードに無秩序に積み上がっていた。まるで、兵器の墓場を見るようだった。そして、修理を終えた兵器は大型輸送船で、ひっきりなしに軍港を離れ、ベトナムの戦場を目指した。
 戦場から、硝煙が染み込んだままで沖縄に戻ったばかりの米兵の表情は、常人とは思えないほど険しかった。凄惨な事件・事故も、いたるるところで起きた。

 沖縄を占領した米軍から追われ、強制的に収用された住民の土地に造られた基地は、沖縄の主要な地域をすべて取り込んでいた。那覇、コザ(現沖縄市)、普天間、浦添、金武、辺野古(名護市)など、地名を挙げたらきりがない。追われた住民は、広大な基地の周囲のわずかばかりの土地にへばりつくようにして生活していた。
 「軍用道路1号」と呼んだ現在の国道58号は、乾燥すれば土ぼこりを舞い上げ、雨が降ると泥々の道となった。
 現在のような整備され、高層ビルが建ち並んだ幹線道路からは想像できない、単なる「軍用道路」に過ぎなかった。迷彩を施した米軍車両が地元住民の車を蹴散らすように、わがもの顔で走りまくる光景は、いやでも占領を実感させた。

 山本さんが言う「不安な毎日」「貧しい日々」は、そんな時代を思い起こしてのことだ。
 T・Kさんに山本さんと会って話し合ったことを電話で知らせた。T・Kさんは、少しの間、言葉を失ったようだった。電話の後で、山本さんの店で撮った写真を送った。
 そして、届いた礼状にこう書いてあった。

 「写真拝受。40年ほど前の沖縄を思い出しちゃった。那覇到着早々、前任者が案内してくれたのが彼女の店。地元記者のたまり場で、毎夜満員の盛況。休日には彼女の家に招かれ、ご馳走になったことも。この類の話はいっぱいありますが、きりがないのでやめましょう。ご健勝で」
 私の沖縄での思い出も、きりがないほどある。
 人間、誰しも忘れえぬ思い出はある。個人的なものもあれば、仕事を通じた長い年月を経て、頭というより体に刻みつけれれたような思い出もある。仕事を通して蘇る記憶は、個人の限られた思い出を何倍も膨らましてくれる。
 琉球料理家の山本彩香さんは、そんなことを考えさせてくれる人かもしれない。(07年11月30日)