【UFO論は消えたのか】

 
 中央集権をやめ、地方の自主性を実現しようとする地方分権を、絵空事などと言う人はもういないはずだ。
 十数年前、分権改革が国政や地方自治体で本格的に論議され始めたのだが国民レベルでは実感の乏しい別世界の話として、さしたる話題に上ることもなかった。話題になったことといえば、当時の九州の有力知事が地方分権を指して「UFO論」を唱えことぐらいだったと思う。
 「UFO論」とは、地方分権は文字通り「未確認飛行物体」みたいなもので、話題にはなるが実体が見えないという皮肉に満ちた言い方である。
 実体が不明な問題だけに、まことしやかな理屈をつけてその場をしのげれば、それに越したことはない。国、地方を問わず役所が住民の切実な訴えに「総論」では理解を示しながら、具体論となると役所の態勢や前例、他の自治体を参考にしながら「今後よく検討してみる」で終わってしまう。
 「検討してみる」は役所言葉で、何もしないと同意義だ。役人にとって最も大切なのは「前例があるか否か」である。「前例がないから難しい」。その理由はいかようにもつけられる。「今、その仕事に回せる人がいない」「予算執行上どうにもならない」
 こんな堂々巡りは国と自治体の間でも同じだ。以前は、都道府県、市町村が住民の求めに「国の差配」を理由に門前払いにすることが珍しくなかった。

 なぜ、分権改革が大きな政治課題になったのだろう。理由は単純だ。戦後長く続いてきた政治・経済・行政の仕組みが時代にそぐわなくなり、新しい社会の仕組みが必要になったからである。
 敗戦で廃墟になった日本の復興・復旧を図る上で最も効果的なのは中央集権体制だった。連合国軍総司令部(GHQ)の命令による公職追放で旧指導層が姿を消した。代わって登場した若き政治家や官僚は白地に地図を書くように、日本再建の処方せんを描いた。そこには、政治の駆け引きがあったとしても、日本再建を目指す寝食を忘れた復興・復旧の情熱が注がれた事実は間違いない 。古い言葉で言えば、「憂国の情」が彼らを奮い立たせたのである。
 ところが、先輩が国家建設に邁進した情熱が切り開いた再建の道を、バトンをもらって走り出した後輩の2番手、3番手となった走者は、自分たちに課せられた「新しい使命」に気付かず、権限の維持・行使を当たり前のように振る舞うようになった。
 国家再興には権限の集中と行使がなければならない。そうでなければ、統一的な国家建設はできない。しかし、国家権力は再建の道筋に併せて地方や民間に移譲されなければ、新たな進歩にはつながらない。つまり、政治・行政、そして経済の仕組みも社会の状況に見合った変化、改善がなければ、いつまでた っても中央依存の体質は残り、自主も自律も単なるお題目に過ぎない。

 社会の仕組みそのものが時代にそぐわなくなったことがはっきりしたのは1990年代半ばごろからだろう。80年代後半に燃え上がったバブル景気は、国民を狂騒状態に追い込んだ。そして、90年代初めにバブルはあえなく崩壊 した。深手を負った日本という国は、隠れていた構造的な欠陥を露呈した。
 橋本首相が肩を怒らせながら、教育も含めた6大改革に突き進んだのはそんな背景があった。しかし、その後の内閣は政局の再編の流れの中で、信念をなくしたように漂流を続けた。財政政策などは、宮沢元首相が言ったように「何でもあり」の状態で、国の借金は見る見るうちに膨れ上がった。
 「不況脱出」「景気振興」の掛け声に乗せられた地方自治体は、借金の手当ては地方交付税で措置するといった国を信じて、地方の景気振興に本格的に乗 り出した。その結果が、国と地方の借金が1000兆円を超える最悪の事態を招いたのである。(07年11月26日、つづく)