【政権放棄の独演会】

◎これで先進国とは聞いて呆れる

参照=「政治と行政」2、3、4、5、6、10、25、26「エッセー、雑感」32、35

 1日夜7時のNHKTVのニュースを見ていたら、アナウンサーが慌しげに伝えた。
「福田首相が今夜
9時半から緊急記者会見を行うことになりました。会見の理由は分かりません」
 「どうしたんでしょうね」。妻の問い掛けだったが、突然飛び込んできたニュースに私も即答できない。
 「多分、太田(農水相)の(更迭の)ことだろう」
 「いや、緊急会見というからにはもっと、でかい話かもしれない。北朝鮮(の拉致)問題に関係する重大発表かもしれない」だった。
 何故、緊急会見なのかを伝える続報は「詳細はまだ不明ですが、国会運営に関することだと自民党の麻生幹事長が語っています」。
 「北朝鮮の問題ではないな」と思ったが、「では農水相(の問題)か」。「それにしても夜の緊急会見だから、それもないだろう」と、続報を待った。
 そこに飛び込んできたのが、「首相が退陣表明するようです」。

 テレビに放映された首相の退陣表明に、国民の誰もが驚き、「何故だ」の疑問を持ったことは間違いない。
 首相の口から退陣表明が淡々となされた。だが、中身は首相に就任してこの1年の思うように政治をリードでできなかった泣き言、言い訳、そして「このタイミングで辞めることが最良のこと」だという、何とも訳の分からない時局認識だった。
 繰り返すまでもない。
 前任の安倍前首相が体調を崩して憔悴した姿を国民の前にさらしたのは1年前だ。今度は「体調は目が少し悪い以外、問題はない」が福田氏の言葉だ。
 福田改造内閣は1カ月前にスタートしたばかり。
 難しい政局を前に陣形を整えた内閣が、
12日に決まった臨時国会という戦場に繰り出すその直前に総大将の福田首相が、独り戦いの場から身を退くというのだから、各武将(閣僚)や部隊配置を整えた味方の自民、公明両党が驚き、怒ったのは当然である。
 「福田では選挙はできない」が与党の大勢だったし、いずれ首相には身を退いてもらって「新しい顔」で解散・総選挙に打って出る―こんなレールが与党内でほぼ固まっていた。
 誰にも相談することなく、突然麻生幹事長を官邸に呼び2人だけで話し合った後、出身派閥の領袖で官房長官の町村氏を首相執務室に入れて辞意を伝えたという。
 仲間も信用できなくなり追い詰められた首相が、最後に見せた「独演会」が緊急会見である。

 サミット(主要国首脳会議)のメンバーである日本の指導者が、2人とも1年足らずで退陣するという先進国では想像もつかない、あり得ない日本政治の実像を世界にさらけ出してしまった。
 世界は一昨年以来、米国の低所得者向けの住宅ローン(サブプライムローン)問題で深刻な経済局面に立たされている。政治的にはイラク、北朝鮮、グルジア問題は解決の方向性さえ見いだせないでいる。
 特にグルジア問題は、東西冷戦の再現さえ心配させるほど米国とロシアの対立が深まっている。政治的にも、経済的にも目を話せない世界情勢とは無関係なように、日本の政治の「場違い」な現実が東京から発信されてしまった。
 日本に対する不信、失望が表れたのは当然だが、政治や経済のプロの目からすれば「失笑」が聞こえてくる。呆れて、モノも言えないということだ。
 自身の政治的未熟さを棚に上げて、野党が多数を占める参院のために法案審議もままならない「ねじれ国会」を嘆いて見せたり、「国民の目線」と言いながら具体性のない言葉だけのスローガンを、さも福田政治の真髄とするなどは、国際政治に全く通用しない稚拙な手法でしかない。

 本ホームページで既に紹介したが、昨年秋の安倍退陣とその後を継いだ福田政権の発足に際して、「経綸なき首相」の前途を占なった。同時に、その福田氏を党を挙げて担ぎ出した自民党の政治哲学のなさ、未熟さを指摘した。
 広辞苑を開くと、「経綸」とは国家を治め整えること、「治国済民の方策」である。
 忘れられないのは、自民党総裁選に立候補した福田氏が政権構想を問われて、「なってみないと分からない」と応えたことだ。政権構想などは、そのときになって考えるといった、まるっきり政治戦略のない政治家と映った。その印象は消えるどころか、増幅する一方だった。
 マスコミは福田氏を「外交通」と持ち上げた。彼のどんな行動が外交に長けているのは私にはいまだに分からない。父親の福田赳夫元首相の「福田ドクトリン」のイメージが残るから外交通というのだとしたら、あまりにもメディアの目がお粗末だし不勉強すぎる。

 短命政権が不思議でないのは、「途上国」や政変が激しい政情不安な国である。世界の先進各国どこを見ても、トップリーダーは目いっぱい任期を全うする。中曽根政権以降、安定した政権運営をしたのは小泉内閣だけで、あとはスキャンダルや民意に見放されて政権を追われたリーダーたちだ。
 そんなリーダーの1人は、臆面もなく政治の指南役を演じて見せている。
 安倍氏も福田氏も政権を投げ出した。放り投げたと言ってもいい。世襲議員のプライドは高いが、肝心の場面で戦闘意欲が消滅するひ弱さをまたも見せ付けられてしまった。
 今、国会には世襲議員が群をなしている。地方を知らない東京生まれの世襲議員、官僚出身で政策には長けるが、地方の風に吹かれたことがないエリート議員たち。
 国政に何を託するのか。国民はわが身の置かれた地域の状況を見据えて、もっと厳しく現実を政治家に教えるくらいの気構えがなければならない。

 選挙は一種のお祭りでありイベントではある。が、地域や国の前途を託する極めて重要な選択の機会でもある。お祭りに酔いしれているだけでは、政治家は育たない。国もよくならない。有権者の責任は重い。

0893日)