【福田改造内閣】

◎焦点は谷垣氏の「政治力」

 福田改造内閣が発足した。少しばかり時間が経ってしまったが、所用で家を留守にしていたのでお許し願いたい。

ところで今回の内閣改造は、福田内閣がどうにか洞爺湖サミットを終え、焦点の臨時国会の日程と山積する内外の難問に対処する自前の内閣を求められていたのだから、「ようやく改造してくれた」と考えるのがごく自然だろう。
 閣僚は予想通り大幅入れ替えとなった。
 注目したいのは、改造内閣が目指す目標である。

 財政再建の道をどう歩むかに首相が腐心したことは、新内閣の顔ぶれを一見して分かる。
 財政再建をどう描いて見せるかは、改革に対する福田首相の煮え切らない態度を測る重要なメルクマール(指標)と言っていい。
 小泉首相の過激なまでの改革路線から方向転換した福田首相に対する先進各国の評価は、「改革をとん挫させる」と芳しくはなかった。
 政権の座に就いて以来、首相は自身の政治力よりも、「衆議」を重視するスタンスをとっていた。諸々の意見を聞くと言えば聞こえはいいが、言い換えるなら「丸投げ」政治と大差ない。

平時であれば、丸投げしても差したる問題にもならない。が、現状は「国のあり方」が厳しく問われる変革の時代である。顔が見えない福田政治からの脱却には、改革に不熱心な評判を覆さなければ、総選挙など戦えないことは自明である。
 小泉内閣の遺産である衆院の与党の圧倒的多数に未練は残る。かと言って、民意はもとより国政レベルでも今や解散・総選挙は動かし難い政治日程となっている。首相は、この呪縛から逃れる術はもはやなかった。それが、今回の改造の裏の事情と言っていい。そのための目玉が、財政再建路線というわけだ。

 だが、純粋に財政再建を志向したのかとなると、必ずしもそうとは言えない。政界、とりわけ自民党内の思惑が複雑に交差しているからだ。
 伊吹財務相、与謝野経済財政担当相の2人は、明らかに自民党内の「上げ潮派」を抑えた布陣である。
 政調会長から国交相になった谷垣氏も道路特定財源の一般財源化を視野に置いた人事だ。
 筋論から言えば、財政再建派の谷垣氏が焦点の道路財源問題で新規の国道建設に理解があるとは言い難い。とは言え、道路族のドン古賀誠氏の下で、同じ派閥のナンバー2の谷垣氏が領袖の古賀氏と道路問題でおおっぴらに対立することも考えにくい。
 それ故、国交省にとって最大の問題である道路整備計画の責任者に谷垣氏が就いた意味を短絡的に考えるべきではない。政治の舞台裏を見なければならないような側面があることを忘れてはならないということだ。

 深読みすれば、国交相人事は総選挙をにらんだ自民党選挙対策委員長でもある古賀氏に同じ派閥ナンバー2を充て恩を売った――という見方ができる。
 もう一つは、自他共に認める財政再建論者の谷垣氏が道路特定財源の一般財源化を実質的にリードできるか試されるポストを担わされたことである。
 谷垣氏は自民党総裁選に名乗りを上げ政権獲得に意欲を見せている。道路特定財源を一般財源化する道筋はできたが、与党の道路族がその方針を了承したのは「必要な道路は建設する」との念押しができたからだ。
 つまり、自民党が了承した一般財源化は「必要な道路を建設した」上で、残った財源を一般財源に回してもいいということである。
 谷垣氏は政策通ではあるが、集団を率いて政治力を発揮するタイプの政治家ではない。その谷垣氏が国交省の道路整備計画をこれまでとは違った方向付けをするよう省内をまとめ、さらには与党の道路族を説得できるかどうかは、同氏の政治生命にもかかわる決断が求められる。

 福田首相の真意は明らかではないが、国交相人事の裏にはこのような思惑が働いたことは間違いない。財政再建路線には、国民には理解し難い政治の駆け引きが込められていることを知るべきだ。
 「政治主導」という言葉は、何か変革をもたらしてくれるような響きを持つ。ところが、小泉内閣以後の状況は、変革を国民に印象付ける便利な言葉として「政治主導」が言われてきた。
 政治や行政は、ある意味では国民を「騙し」ながら政策目標を実現する主体である。
 政治の劣化が否定できない現状を脱却するには、国民の意識の進化を期待するしかない。マスメディアが政局を面白がってこね回している状況は、世論を正常な方向にリードするものとは言い難い。憂うべき現象である。

0885日)