【諫早湾干拓事業完工】

◎山下さんが泣いている
 

 長崎県諌早市の「国営諫早湾干拓事業」の主要工事が終わり、11月20日、干拓地で完工式が行われた。終戦直後の食糧難を何とかしようと計画された長崎大干拓構想は幾多の変遷を経て、1986年に規模・利用目的を変えた現在の総合防災干拓として事業に着手した。
 この完工式を知って思い出すのは6年前の2001年初めころ、諫早湾を一望する小高い山の上にある山下弘文さんの自宅を訪ねた日のことだ。山下さんと言っても、誰もが知るような有名人ではないが、自然環境問題の世界では世界的な人物だった。
 山下さんはいち早く諫早湾干拓事業の無謀さを訴え、干拓事業反対運動に立ち上がった人だ。翌年夏、山下さんは急逝した。逝去を聞いて、山下さんを訪ねた折の思い出を記した短いコラムがある。それを紹介する。
 コラムは共同通信社の加盟紙の囲み記事として使われたことがうれしかった。天国に召された山下さんへの語りかけとなったと思うからだ。

《山下さんの夢》
 今度会うときは一緒に酒を飲みましょう。こんなたわいもない約束を果たせなかったのを思い出している。細身で長身の山下弘文さんは、赤ら顔でいかにも酒が強そうな人だった。全国の湿地保護運動の先頭に立って活躍し、長崎県諫早湾干拓反対運動に心血を注いだが、昨年七月中旬亡くなった。
 山下さんに最後に会ったのは、亡くなる一年ちょっと前だった。諫早湾を遠望する小野町の小高い丘の自宅前から、変わり行く諫早湾の姿を見ながら、屈託なく干潟の大切さを話す口調に、運動家特有の厳しさはなかった。
 潮受け堤防で閉め切られ干上がった干陸地を歩いた。所々靴がめり込む柔らかさが残り、ひび割れた奥にわずかに干潟の生命を見た。今はそんな息づきはない。事業の遅れは一目で分かるが、山下さんの没後は、目に見えて反対運動も勢いがなくなった。
 反対運動の中での存在は大きかった。一九九八年、「世界最高の環境賞」といわれるゴールドマン環境賞を受賞したのは、諫早湾干拓事業に反対し続けてきた運動が世界的に評価されたからだ。その「世界の山下」とともに、消滅しかけた干拓反対運動をよみがえらせたのが、有明海の異変だ。
 過去に例がない養殖ノリ不作の原因が、干拓事業の潮受け堤防の閉め切りとされている。真相は調査結果を待たなければならないが、堤防水門の開放やむなし、の流れは止まらないようだ。
 魚介類が泉のごとくわく「泉水海」と呼ばれた有明の海の再生はできるのか。湾奥部の森山町に立つ森山町漁協解散記念碑に「母なりし海に感謝し泉の如く湧いた諫早湾の魚介類の鎮魂の願いをこめて有志により建立するものである」と記されている。
 碑文には豊饒(ほうじょう)の海に別れを告げた漁民らの心情がにじみ出る。だが期待された豊かさが実現できたのだろうか。山下さんは生前、言下に否定した。ノリ不作が呼び起こした新たな事態だが、故人の夢はかなうのだろうか。

   ×       ×

 漁民の大規模な抗議、専門家の度重なる現地調査、裁判所の工事中止命令などを経ながら21年ぶりにほぼ完成した諫早湾干拓地は、事業着手前の光景を全く思い描かせないほどに姿が激変した。
 諫早湾は豊穣の海と言われた。ノリの一大生産地だっただけでない。二枚貝タイラギなどといった高級食材を提供する海産物資源の宝庫として長崎県のほか佐賀、熊本各県の漁民にとってもかけがえのない生産・生活の場だったのである。
 ところが、二〇〇〇年に突然、養殖筏のノリの色落ちが発生、沿岸業業者は大規模な抗議行動を展開、工事は中断、規模縮小と迷走を続けた。
 干拓工事が進むにつれ干潟は次々と乾き、潮の引いた干潟の泥から這い出して動き回る愛嬌のあるムツゴロウの姿も見られなくなっていった。
 潮受け堤防で仕切られた諫早湾の汚濁が原因とされる不漁は、専門家の調査でも明快な答えは出ていない。ただ、はっきりしているのは1997年の堤防締め切り以降、ノリの色落ちやタイラギの漁獲量が激減したり、カキやアサリの大量死が続いていることである。有明海の奥まったところに位置する諫早湾は有明の海の心臓部ともいわれる。
 完工式当日、干拓地の潮受け堤防や水門付近には数十隻の漁船が集結し、排水門の開門を訴えていた。
 国家的事業としてスタートした諫早湾干拓事業は、自然環境問題と公共事業の関係を浮き彫りにした。そして、塩分を大量に含んだ土壌が干拓地利用に大きな制約となると指摘されている問題は少しも解決していない。
 総事業費は当初の1350億円からほぼ2倍に膨らんだ。入植希望者がどれ程集まるか不明だが、土地は入植者の負担を軽くするためリース方式を採用、10アール当たり1万5000円(年間)とするという。償還には100年近くもかかるらしい。気が遠くなるような話だ。
 干潟がすばらしいのは、野鳥や渡り鳥がやってきて人々の心を和ませてくれるだけではない。干潟に潜む生命のサイクルが自然環境を、人間生活をどれほど支えてくれているか知るべきだろう。
 全国にある湿地や干潟が見直されるようになって日は浅いが、諫早湾干拓工事の完工は走りだした公共事業が止まらないことを、あらためて見せつけた。
 21世紀は「環境の世紀」であり、人類は最優先で環境保全に立ち向かわなければ明日はない。地球温暖化がジワジワと人間生活を脅かし始めていることは周知の事実である。諫早干拓事業が近い将来、いかなる事実を我々にもたらすのか注視したい。(07年11月22日)