【ぼやきと愚痴】

◎愚痴はよそうぜ‥‥

 プロ野球球団、楽天イーグルスの野村克也監督の「ぼやき」は野球フアンだけでなく、野球には無縁な人の気持ちもつかんだようだ。
 本人もそれを意識して、取材記者に「今日は何を言ってやろうか」と考えているというから、「ぼやき」もチームをアピールする有力な宣伝になっている。
 かく言う私はパリーグ球団再編のゴタゴタの中で誕生した「楽天」は、しょせんカネに飽かせたIT企業の道楽ぐらいにしか思っていなかった。
 ところが、野村監督が率いるようになってからの球団は、まさしく「野村再生工場」にふさわしい。元の球団の戦列から外されてしまったような選手が生き生きと活躍するのだから、将来を期待できなくなっているサラリーマンらが満ちあふれる今の社会に受けるのは当たり前だ。

「ぼやきの野村」を目敏いマスコミが放っておくわけがない。試合がある日は球場のベンチからのっそり姿を現す監督が、格言も交えながら試合を振り返る。つい先日など、勝率5割を超えて貯金ができたが、「貯金なんかすぐになくなる」「勢いがあるからといってまだ5月」。
 負け戦でなかったから機嫌はまずまずだが、野村監督の言うこと為すことは、選手にとっては「激励」であったり「叱り」であったりで、気が気でないだろうと同情もしたくなる。
 野村監督の代名詞にもなったような「ぼやき」は、民間テレビの特集で政治評論家までが登場してコメントしていた。
 「野村さんのぼやきは、いい試合をやれば選手を褒め、そうでないときは叱る本当のリーダーですね」
 その後がいかにも政治評論家だ。
 「福田さん(首相)は党首討論で民主党の小沢さんに『誰と話せばいいのか教えてください。私は本当に困っているのですよ。かわいそうなくらい困っているのですよ』と言ったことがあった。福田さんの(ぼやき)は中間管理職のそれ」とにべもない。
 ねじれ国会で日銀総裁人事など重要案件が、民主党の反対でにっちもさっちもいかなくなった2カ月ほど前のことである。
 本心を正直に口にした首相が「中間管理職のぼやき」と片付けられたのでは救いがない。首相の言葉は、ぼやきというより愚痴、泣き言だろう。

広辞苑を開くと、ぼやきは「ぶつぶつと不平を言う」「ぐずぐず言う」「泣きごとを言う」とある。愚痴は「言っても仕方がないことを言って嘆くこと」だ。
 ぼやきは愚痴ほどではないが、決して前向きではない。ところが、野村流ぼやきは面白いだけでなく、「社会再生」風の響きが感じられるから不思議だ。どこか「人生」を感じさせるものがあるからなのだろう。

 かつてはやった流行歌に♪「愚痴はよそうぜ‥‥」♪といった歌詞があった。野村監督の本心は「愚痴」なのかもしれないが、マスコミは「ぼやき」としてもてはやした。
 ただ、ぼやきも愚痴も、1人で「ぶつぶつ言っている」ようでは暗いし、誰にも受けない。「なるほど」と思わせるのは、明るい会話の中にうまくもぐり込ませたぼやきだろう。聞く相手に不快感を与えないような、面白いぼやきを考えることも組織に身を置く者には必要なのかも。

08525日)