【商店街の活性化】

◎国頼みでない情熱の発露を


 格差社会の中で、わが町はどう生き延びようかと自治体の悩みは尽きない。
 自治体だけではない。中心市街地だって、近郊に次々と完成する大型店舗に客を持っていかれる現状に危機感は膨らむ一方だ。
 郊外の店舗は日用品や雑貨の類だけではない。書店やパチンコなど遊技店も登場している。
 車社会だから、広い駐車場を備えた大型店が旧市街地の店舗より優位なのは当然だが、この現実を「時の流れ」と見て見ぬふりをしていいのか。
 そんなことをしていると、地域の良さや特徴をなくした、単なる便利なだけの味気ない街に変わってしまう。

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 郊外店舗設立の流れが加速するのは、それなりの理由がある。
 マイカー利用が生活の一部となり、少々の「距離」は気にならなくなった。専門商店が多い昔からの商店街と比べても品数は多いし、流行にも敏感な品物が用意されている。目が肥えた消費者の求めに大体応えてくれる。
 その上、大型店ともなれば、食料品から趣味、日用の調度品、工具まで何でもそろっている。これではこじんまりとした商店では太刀打ちできない。
 旧商店街は結束して昔の賑わいを取り戻そうと一生懸命努力するのだが、力及ばずシャッターを下ろしてしまう店が後を絶たない。いつの間にか、「シャッター通り」と嫌な呼び方をされてしまう商店街が全国各地に広がっている。
 中小企業庁が一昨年、全国8000の商店街の代表者を対象に実施したアンケート調査で、空き店舗が埋まらない理由として「商店街に活気がない」「所有者に貸す意思がない」が多かった。
 全国商店街振興組合連合会がまとめた「にぎわいのある商店街」「アイデア商店街」「まちづくりと一体となった商業活動」で紹介された《がんばる商店街》は、特に奇抜な手法を用いているわけではない。
 消費者を引きつける安心・安全、イベント、地域の特色の再生など、地道で根気の要る知恵を地域ぐるみで実践し続けている。
 熊本県阿蘇市の阿蘇神社そばの門前町商店街は、活気もなく商店街の若い後継者が地元からの「脱出」を考えるほど寂れていた。
 この商店街が生き返ったのは、「お客さんが30分過ごせる通りにしよう」と商店街幹部が呼び掛けたことに始まる、と地元紙の熊本日日新聞社の平野有益編集委員が書いた。
 休憩所、トイレ、木製の統一看板や「水基」(みずき)と呼ぶ湧き水の水飲み場が整備され、通りには桜やクヌギを植えた。
 これで「水と森の商店街」の雰囲気を出し、甘辛い馬肉の「馬コロッケ」など名物商品をそろえた店をオープンした。
 マスコミへの売り込みも効を奏し、県外からの女性客が来るようになり、地元の人も楽しむ空間ができた、という。
 シャッター通りの暗い話が多い中で、こんな明るい話題を提供してくれる商店街は少なくない。要は、地元のやる気と、行政の真剣なバックアップがあるかどうかで答えが違ってくる。
 
 政府や自治体の地域再生事業は、商店という「点」の崩壊がいつの間にか「線」となり、さらに「面」となりつつある状況に待ったを掛け、元の賑わいを取り戻そうとするものだ。
 国や自治体の頭脳集団がつくる計画は詳細で、工程表も申し分ないように見えるのだが、期待どおりの成果が得られない。
 元々、国の施策は霞が関の中央省庁が練って制度化、法案化し、法的根拠に基づいて地方自治体にその実施を働き掛ける。
 総務省、経済産業省、農水省、国土交通省など政策、事業官庁が、それぞれの領域に目配りして独自の再生策が完成する。
 その受け皿となる自治体が再生策の実践を担うのだが、率直に言って再生策は理念的な色彩が濃い。省庁間の縦割り行政の綱引きもあるようだ。
 国から「がんばろう」とメニューの提出を求められても、地方からは、看板の架け替えのような事業が霞が関に届けられることが多い。「がんばる地方応援プログラム」の中には、「横滑り」の施策が結構目に付く。
 活性化は国から言われてやるものではない。成功事例は、いずれも地元の情熱が花を咲かせたものである。

(08年5月9日)