【どうする、ニッポン】

◎お手上げとしか言いようがない

 先日、「スローな気分と波乱の幕開け」を書いたが、どうも、ほのかに期待した「スロー」な生活は期待できそうにない。
 株価は下がりっ放しだし、円高不況もやって来そうな雲行きだ。米国の「サブプライム・ローン」という、日本人には聞きなれない言葉が、ごく当たり前に口に出るようになった。

 サブプライム・ローン問題って何だ、などと言う人はいないだろう。
 簡単に言うとこうだ。
 米国の景気を引っ張ってきた住宅ブームがおかしくなり、低所得者層を対象にした住宅融資「サブプライム・ローン」の焦げ付きが急増。これが世界経済を揺るがしている。
 住宅ローンで購入した住宅が、不動産バブルで担保価値が上昇、それ幸いとローンの借り手がよせばいいのに借金を増やした。
 そんな時に不動産バブルが崩壊したものだから、ローンで返済しなければならないカネが「突然」多くなり払えなくなり、パニックとなった。
 支払い能力を超えたカネを借りれば、ローンが払えなくなるのは分かりきった話なのだが、米国では我々日本人の考えと違う。
 自分の資産価値が増えると、それに併せて借金を増やし、生活を楽しもうとする「習性」がある。
 日本人ならば、借り換えとか、状況次第では繰り上げ返済をするなどして、何とかして「今ある借金」を減らそうとする。米国とは全く逆の生活スタイルである。「生活防衛」の意識が強いと言っていいかもしれない。
 
ところが、このサブプライム・ローンは正体をつかみにくい化け物みたいなものだ。だから、名だたる米国の大手金融機関が膨大な損失を計上したし、日本の大手金融・証券各社も大きな痛手を被っている。その、損失・痛手もさらに増えるというから困ったものだ。
 そうした、庶民とは関わりがない米国の事情が全世界に波及しているのだ。グローバル経済がもたらした許しがたい事態なのだが、各国の金融・財政当局が事態収拾の措置を取れないのだから、お手上げとしか言いようがない。
 グローバル経済が放置した「マネー市場」が、コントロールが取れない巨大な怪物に成長しまったのである。

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 世界経済がこんなサブプライム・ローン問題に翻弄されている中で、日本は解散含みの通常国会が始まった。3日前に「臨時国会」が終わったばかりなのに。

 その通常国会で福田首相が施政方針演説をした。

 「国民に対する政治責任」「国民の目線で」「国民の立場に立って」――が、首相が強調した言葉だ。つまり、キーワードは「国民」というわけだ。
 「改革万能」の小泉改革が格差社会の傷口を大きくしたことはこれまでも紹介した。だから、福田首相は目線を下げて国民の痛みに手を差し伸べようとしているように映る。
 福田流の低姿勢は認めるが、自民党が政権を長い間担当する中で見せてきたのは、野党の言い分・主張を「こっそり」いただいて自民党的な味付けをして政権を安定させてきた「融通無碍」の手法。
 野党が、「それはわが党の主張だ」と怒ってみたところで、所詮は「遠吠え」にしか聞こえない。
 そんなことを考えながら、福田首相の施政方針演説を聞いていると、「では、どうしてくれるのか」「改革はどうするのか」といった疑問を誰もが感じたのでなかろうか。

 福田首相には、自ら先頭に立って敵陣に切り込む雰囲気はない。状況をよく見さだめた上で結論を出す。つまり、最高指導者でありながら、与党はもとより官僚の言い分も十分聞くのが、これまでの政権と違うところだ。
 参院は野党が過半数を占める「ねじれ国会」だから、強気に出たくとも出られないが本音だろう。

 だが、首相が「打って出ない」理由はそれでだけだろうか。

 昨年秋の総裁公選以来、頭の隅っこにあったのは、「福田さんの政治理念は一体何なのか」である。
 小泉内閣当時、官房長官として首相の女房役を務めていた福田氏の印象は、大げさに言えば「尊大」だった。毎日、午前午後の2回行われる定例記者会見の様子を見ていると、記者団にも問題はあると思うが、応えは「木で鼻を括る」の感じが強かった。
 その印象が、今の首相とどうしてもつながらない。
 地球温暖化問題を内閣の最重要課題と位置づけるのであれば、「京都議定書」がありながら各国から温暖化問題に後ろ向きだなどと非難されるような対応はすべきでない。ドイツなどと歩調を合わせ、北海道洞爺湖サミットの主催国としての役割を十分果たさなければ世界の信を失うだけだ。

 環境問題の足元を見透かされるような「事件」も起きた。
 製紙会社各社による古紙配合率の偽装である。
 年賀はがきに始まって、ノートやコピー用紙などの配合率もごまかしていた。日本製紙にいたっては、配合率の操作を10年以上にわたってやっていたというから、話にもならない。
 リサイクル、温暖化防止は、企業が率先して取り組み競い合う時代なのに、その期待を裏切ることは企業の社会的責任は空文にも等しい。
 新年早々発覚した、この配合率偽装事件についての福田首相のコメントも、どこか「他人ごと」のように聞こえる。環境問題を重視するなら、もっと怒って見せるなければ、その真意が疑われてしまう。(08年1月20日)