●【宮崎知事選】(07年1月21日投開票)

 官製談合疑惑で安藤忠恕(ただひろ)が辞職、逮捕されたことに伴う宮崎知事選は、無所属新人のタレント、そのまんま東(49、本名・東国原=ひがしこくばら=英夫)氏が、前林野庁長官の川村秀三郎候補と経済産業省元課長の持永哲志候補を抑えて当選した。東氏の得票は、2位の川村候補に7万票の差をつけた圧勝である。
 ちょうど12年前に東京と知事選と大阪府知事選で青島幸男氏と横山ノック氏が当選以来の芸能タレント候補の登場だ。
 何が東氏を当選させたのか。選挙結果は、政治の現状を痛烈に批判する有権者がいることを示している。いつもテレビに出ていて知名度があった、などと負けた候補者の陣営でだけでなく東京・永田町でも聞かれる。少しも有権者の意を知ろうともしていない。
 政治に通じた専門家は「亥年現象」と、波乱の幕開けを予想している。4年に1度の統一地方選と3年毎の参院選が重なる亥年。亥年の参院選は自民党が苦戦するジンクスがあると言われている。発足間もない安倍政権には、なんとも嫌な言われ方をしながらいばらの道を歩むことになるのだろうか。
 「戦後レジームからの脱却」と憲法改正、教育改革にかける意欲は強いが、求心力の欠ける首相の姿を見ていると、なんとも物悲しくなってしまう。25日から始まった通常国会での施政方針演説は、政治の現状や顕在化している格差社会、教育再生を熱く語ったが、甲高く早口の語りは「徳目」を求めているだけで、政治家自身の問題は棚上げ、他人事のように響いてくる。
 いずれにしても、そのような政治・社会的状況の下で「そのまんま現象」が日本列島南の宮崎県で起きたのである。

 東氏は 当選後の会見で知事としての名前を問われて「本名の東国原英夫」と答えた。「そのまんま東は愛称にしてください」。
 選挙期間中の東氏を見、話を聞いたわけでもないから具体的なことはいえないが、当選後、そして初登庁、鳥インフルエンザ騒動に駆け回っている姿を見ると、その真剣な言動に好感がもてる。
 県の幹部職員を前にしたあいさつでは、「裏金はないでしょうね。あったら早く明らかにしてください。知らなかったではすみませんから」と、就任早々切り込んだ勇気もいい。
 談合問題で堕ちた宮崎県の評判を立て直そうと「皆で、皆で一生懸命やりましょう」と「皆で」を繰り返していた。テレビに映った、真剣に問いかけているその姿が新鮮だった。
 東氏は地方行政には全くの素人だ。県庁に乗り込んだ気持ちは、まさに「落下傘で敵地」に単身飛び降りた感じだろう。
 県議会にしても「オール野党」だし、自身が掲げたマニフェスト(政権公約)の実現は相当の困難を伴う。
 一般職員も含めて県庁そのものが、東氏の「お手並み拝見」だろうし、分裂したとはいえ対立候補を担いだ県議会は、反転攻勢のチャンスを狙っているはずだ。
 最初の試練は鳥インフルエンザで始まったが、4月からの新年度を前に副知事など議会の承認を求める人事案件がある。そして、新年度予算編成が待ったなしでやってくる。公約の大幅歳出削減の実現はかなりの困難を伴う。
 飾らず、ありのままの宮崎の実態をさらけ出して、まずは足元の県庁、県議会を説得しなければならない。
 東氏のその努力を支えるのは、大量得票を投じた有権者だ。県民の支援こそが、新生宮崎に近づくために欠かせないことを強調しておきたい。
 
 これまでの地方行政は、「行政のプロ」を首長に据えることが当たり前だった。東京・霞が関の官僚は、まさしくその要望に応えるプロだった。
 東京にあこがれる気持ちが、「永田町」に「霞が関」にもつながっているのだ。「自前」の首長を何故求めようとしないのか、人材がいないから官僚頼みになってしまうのかが不思議で仕方がなかった。
 地方の自律・自立といいながら、その能力と知恵を中央に求める矛盾に、地方自身が何の疑問を持たなかったのか。
 知事の出身母体を見ると、一に総務省、次いで経済産業省だ。それに国土交通省、農水省、外務省など高級官僚OBが都道府県知事の大半を占める。
 宮崎知事選は、有力な官僚2人が中央政界、県政界のバックアップを粉砕した。知事選で金科玉条とされた「行政のプロ」を県民は拒否したのだ。県民が、政治に身近さを求めたと言っていい。県民自らの理想を、行政に素人の東氏に託したのである。「脱官僚」の息吹が、地方行政に表れたのかもしれない。
(07年1月28日)
 
 (筆者注、本稿は東国原英夫氏を候補者名の「そのまんま東」氏で通した。以後は実名で表記する)