●改革派知事の退場

 国と地方の関係を考える場合、国に対抗するエネルギーが地方にあるかどうかで勝負は決まる。橋本龍太郎内閣の時に、財界首脳の1人である元秩父セメント社長(現太平洋セメント)の諸井虔氏をトップに据えた地方分権推進委員会が発足した。財界人ではあるが、文化、音楽に造詣が深い洒脱な人でもあった。企業利益にとらわれる経済人が多い中で、「天下国家」を論じられる数少ない財界人だった。
 そんな後ろ盾を得て地方団体が地方分権ののろしを上げたのは言うまでもない。諸井委員会が、政治・行政学者の知恵を最大限活用しながら、未知の「分権社会」に立ちはだかる霞が関官僚と数年にわたる闘いで出来た地方分権一括法は、今日の分権の胎動を力強く推進する基となったのである。
 そんな時代の新しい潮流の中で各地に「改革派知事」が登場、国の変革を地方から成し遂げようとする動きは、「仲よしサロン」だった全国知事会の存在を国民に印象付けた。三重・北川正恭、高知・橋本大二郎、宮城・浅野史郎、岩手・増田寛也、鳥取・片山善博各県知事らである。
 北川氏は早大大学院教授となって、地方政治に耳慣れない「マニフェスト」(政権公約)の選挙の仕組みを持ち込み、今では国政レベルでもマニフェストなき選挙公約は有権者を引きつけることができず、国、地方を問わない新しい選挙システムとなった。
 北川氏に続いて宮城・浅野氏も3期で引退した。両氏の引退は意外だったが、もっと驚かせたのが増田、片山両知事の来年4月の統一地方選への不出馬表明だ。増田氏は10月末、片山氏は暮れも押し迫ったクリスマスの日である。
 増田氏は旧建設、片山氏は旧自治省出身のいずれも官僚OBである。増田氏は現民主党代表の小沢一郎氏の全面支援で当選した、いわゆる「小沢チルドレン」とも言えるが、増田県政は徐々に独自の歩みを始め、地方行革、分権推進の先頭を走ることになる。
 片山氏は当選するやいなや、当たり前だった議会への根回しを一切せず、議会審議はぶっつけ本番の緊張感が漂う戦場だったと鳥取県議会幹部は振り返っている。片山氏の異色ぶりは、出身地である自治省(現総務省)の施策を真正面から批判することに表れる。北海道夕張市の財政破綻を機にできた「地方財政健全化法」が、国の責任や金融機関の貸し手責任に目をつぶったものと強く批判しているのは、その典型であろう。
 「霞が関で地方の味方は総務省だけ」と思い込んでいる自治体がすべてとは思いたくないが、自治体は総務省の動向にもっと目を向けるべきだ。(06年12月26日)