【税収格差是正策】

◎どこにも見当たらない国の具体策

 都市と地方の税収格差是正策を巡る法人2税(法人事業税、法人住民税)の取り扱いが事実上決着した。法人事業税の半分近くの2・6兆円を地方税から国税に分離、財政力の弱い自治体に再配分する「地方法人特別税」を創設した。このうち、法人事業税が群を抜く東京都が3000億円、愛知県が同じく400億円を移譲、大阪府も200億円程度負担する予定だ。
 地方税である法人事業税を国税に移し替えることは、地方分権の趣旨にも反するとして東京都など大都市は猛反発していたが、最終的には本格的な税制が決まるまでの暫定的措置として容認した。

 石原都知事は「自治体の財布の中に手を突っ込む国家権力の一方的な発動だ」と怒って見せたが、同時に「泣く子と地頭には勝てぬ。政府にも勝てぬ」と皮肉っぽく言った。だが、石原知事が福田首相のごり押しに白旗を揚げたとは、当の本人はもとより東京都庁も永田町も霞が関も思ってはいない。知事の、ここ一番の豪腕が弱みのある首相をねじ伏せたと見たほうがいい。
 
石原氏は首相と差しの会談をする前日に、自民党税制調査会の津島雄二会長と与謝野馨小委員長と国会で会い、津島氏らが示した格差是正案を拒否している。石原氏とすれば、党税調が何と言おうと首相の約束を取り付けないことには、どんな耳当たりのいい話をされても何の保証もないことを長い国会議員生活で熟知している。
 それ故、翌日の会談で首相は、「窮余の一策だ。何とか了承してほしい」と石原氏に訴えている。首相に、そこまで頭を下げられてはノーとは言えない。ただし、石原氏としても3000億円もの財源を譲る代わりに、東京都の施策にも協力してもらわねば都民の納得は得られない。そこで、3000億円移譲を「暫定措置」とするのに加えて石原氏が示した見返りは、都の重点施策13項目への国の協力である。
 13項目は「羽田空港の国際空港化」「五輪招致への財政保証」「環状道路の早期着工」などだ。その実現を図るため、国との協議機関を設置する約束を取り付けた。国の窮状に手を差し伸べる代わりに、いただくものはいただく。これが石原流政治で、氏の政治力が遺憾なく発揮された会談だった。

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 地域間格差を埋めようという法人事業税の半分近くを国税に取り込む今回の福田内閣の政治手法は、幾つもの問題を提起している。

 一つは前述したように地方税の国税への分離が意味する地方分権とのかかわりである。地方を中央の「直接統治」から解き放ち、地方の自主・自立を追求するのが地方分権である。明治以来の中央集権システムが時代にそぐわなくなって分権改革がこの10年、急速に進められてきた。そのための地方への権限移譲、財源移譲が本格的に進められなければならないこの時期に、地方の財源の一部とはいえ国に召し上げることは分権の理念に全く反する。
 三位一体改革は補助金廃止、それに伴う歳入不足を補う税財源移譲、そして地方交付税の抜本的見直しである。しかし、この改革は表向きとは違って財政面で地方自治体を追い込む結果となった。典型的なのは、16年度から3年間の改革期間中に5兆円を超える地方交付税が削減されたことだ。税財源の移譲とはいっても、地方の中小自治体は「移譲される税財源が少ない」のが実態だ。
 その結果、三位一体改革以来、大都市と地方、そして地方においても地域間格差が浮き彫りとなった。その中で、「富める大都市、弱る地方」の構図は自治体同士の対立を招いただけでなく、成長一本やりで進んできた小泉、安倍両内閣の「地方軽視」が7月の参院選で与党の大敗につながった。いわゆる「地方の反乱」である。

 二つ目は、政治の改革に対する熱意の欠如がある。確かに、「ふるさと納税」は政治主導で来年度税制改正の与党大綱に盛り込まれたが、実体的な効果が期待できるか不透明だ。年々税負担が増え増税感が膨らむ中で、地方支援という政治スローガンで終わってしまう可能性は高い。

 法人事業税の問題についても、解散総選挙が予測されるねじれ国会を見るまでもなく、地方を怒らせてしまった結果の参院選惨敗の轍を二度と踏みたくない政府・与党の苦し紛れの「メニュー」としか思えない。暫定措置だから許されるというものではない。「ふるさと納税」と併せて考えても、景気変動の影響が避けられない政策が、地方の活性化、格差是正にどれ程の意味を持つだろうか。そこには、腰を据えた福田政治が少しも感じられない。

三点目は、以上を踏まえて日本の将来像を何も示していないことである。
 「失われた10年」と言われた1990年代は、漂流する日本の政治、経済、行政にとどまらず、社会全体が戦後の歩みを、あたかも「総括」されたよう時期だった。80年代半ば以降の後先を考えない規制緩和はバブル経済を呼び込み、そして崩壊した。90年代はまさに、バブル崩壊から始まったと言っていい。「失われた10年」は、この漂流の期間だった。
 21世紀はその反省に立ってスタートしたはずだが、小泉改革の針路は妥協を許さない党内改革を通じて「守旧派」を排除、わが道を進んだ。小泉改革の負の部分は「格差」となって地方に表れ、いま、その修復に福田内閣は頭を痛めている。

「国敗れて山河(地方)あり」ではない。地方が元気で、はじめて国の興隆がもたらされるのである。平成の大合併も道州制の検討も、将来の国のあり方、姿を追求するものでなければなない。ねじれ国会であるからこそ、日本の将来像を明確に示さなければならない。それで政局が混乱するのであれば、国民に信を問えばいい。
  小手先でその場を取り繕うようでは、真の政治はできない。(071214日)