【07年統一地方選前半戦】

その@【東京と知事選】


◎石原に託した欲求不満の解消

 4月8日投開票の07年統一地方選の前半戦は、多くの話題を提供した東京都知事選で、その存在意義を表したようだ。
 圧倒的な強さを誇った現職の石原慎太郎に、改革派知事としてならした前宮城県知事の浅野史郎慶大教授が挑んだことで話題をさらったのだが、それにも増して今回の都知事選を特徴付けたのは、互いに「無党派」を謳って政党色を薄めようとしたことだろう。
 だが、この作戦は長続きしなかった。石原は近年、自民党をこき下ろしてきたこともあっても、自ら進んで自民党の支援を求めることは心よしとしなかった。自身のキャラクターと歯に衣着せぬ言い分が都民だけでなく、国民的にも圧倒的な支持を得ている自負があったからだ。
 事実上の一騎打ちとなった浅野にしても、改革派知事の出発点となった宮城県知事選での颯爽とした14年前の登場は、ゼネコン汚職に辟易した県民の怒りを結集した上に実現したのである。
 それ故、浅野は擁立の動きが大きくなってもなお、「浅野流」の脱政党の思いが強く、なかなか出馬要請に明確に応えることはしなかった。浅野の言葉を引用すれば、心の「フリーズ」が、有権者の「ドアをたたく音」に心を動かされ「立ち上がらなければ」となったという。
 それでもなお、浅野は脱政党にこだわった。
 しかし、巨大都市東京の現実は、宮城県で通用した浅野流が有権者に大きく広がることはなかった。
 選挙は戦争だ。ワンマン都政、豪華出張、身内びいき―を批判され、自民党の推薦を断ったが、自民党は異色の浅野の登場で石原の意向などお構いなしに全力投入した。
 となれば、独自候補を立てられなかった民主党も「選挙カー」の提供だけではすまない。浅野も事態の急迫を思い知らされ、政党の全面支援を受け入れざるを得なかった。
 「選挙は戦争だ」と言ったのは、今太閤と言われた田中角栄首相の懐刀、後藤田正晴元副総理である。きれいごとで戦争は勝てない。
 都知事選は序盤から「脱政党」の言葉がむなしく響くような様相を呈した。
 しかし、何故か民主党の浅野への力の入れ方が弱かった。都連が「石原与党」であったもあるかもしれないが、浅野自身もマニフェストにこだわり石原的なカリスマ性を都民に植え付ける技に欠けた。 
 石原の選挙戦は「お詫び」から始まった。対して浅野は、得意の「福祉」「情報公開」を掲げて攻勢に出た。メガポリス東京に挑戦した改革派知事の熱い思いは、確かに有権者を動かした。
 浅野流のジョークを交えながらの「立て板に水」の演説は新鮮味があった。だが、石原の作戦は「大人(おとな)」だった。知事を経験したとはいえ、国にも匹敵する東京の舵取りができるかどうかは浅野は未知数だ。
 1000万人を超える乗客がいる巨船「東京丸」の船長は、ある意味で強烈な指導力、個性がなければ務まらない。平均的な人間ではない豪腕が求められる。そうでなければ、都庁という巨大な組織を引っ張ってはいけない。
 かつてのような大物官僚OBが奥の院で差配する時代ではない。全国の自治体の頭領として国と対等以上の切り結びができる力がなければならない。
 投票結果は石原が281万票を集め圧勝した。浅野は169万票と善戦したが、頼みとした無党派層が逆に石原に流れた。選挙戦術もさることながら、個人的な「魅力」でも及ばなかったのである。
 国民投票で首相を選ぶとすれば誰がなるか。過去の世論調査でいえば、石原はトップだった。「太陽の季節」を著わし、石原裕次郎を弟に持つ石原の人気は今も変わらない。
 浅野は昨年秋、東京都内で開いた市民団体の集会で、「団塊の世代は目立ちたがり屋」だと、自身のPRもにじませて語ったことがある。
 都知事選出馬が、その「目立ちたがり」から出たものか分からないが、自信家の浅野が「あわよくば」と思ったとしてもおかしくない。
 浅野は大敗を喫したが、石原を相手に善戦したのは間違いない。浅野の挑戦が都知事選を面白くしただけでなく、今後の都知事選のあり方に一石を投じたのではあるまいか。
(文中敬称略 07年4月9日)

そのA【その他の知事選】

 東京を除く12道県知事選は、自民、民主両党が激突した4道県(北海道、岩手、神奈川、福岡)で両党が勝敗を分け合った。
 東京に次いで自民が全力を注いだのは北海道と福岡だ。岩手と神奈川は、岩手が民主党代表の小沢一郎の牙城であり、神奈川についても自民は勝算がなかった。
 自民が北海道と福岡を落とせないのは、官製談合で知事が辞任したことに伴う今年1月の宮崎知事選で、タレントの東国原英夫(そのまんま東)が圧勝した「そのまんま現象」が再現されることへの危機感からだ。
 努力の甲斐あってか、北海道は自民が全面支援した高橋が、また福岡は本部推薦こそなかったが県連が推す麻生渡が大勝した。
 不思議だったのは2人の勝ち方だ。ともにダブルスコアの圧勝である。麻生は多選批判が強かったが、松下政経塾出身の若い稲富修二を退けた。元通産官僚(特許庁長官)、全国知事会会長を知名度を如何なく発揮した。経産省ネットワークが地域再生で存在感を示した。
 ところで北海道知事選である。2期目を目指す高橋に挑戦したのは前衆院議員の荒井聡だ。国政から転じた荒井には、民主党だけでなく本人にも勝算があったのは間違いない。ところが、これも高橋の174万票に対し荒井は98万票だ。
 なぜ、こんなに票差が開いたのか。荒井は「不徳のいたすところ」と支持者に謝ったが、道都札幌市長選は民主が推す現職が自公推薦の候補を大差で敗っている。
 敗因は詳細な分析を待たなければ分からないが、現時点で窺えるのは「経済」である。
 財政再建団体となった夕張市を例に挙げるまでもなく、北海道の地域経済の低迷は取りわけ厳しい。「北海道開発局」に示されるように、北海道経済は、国を棚上げにしては語れない。
 加えて道民の前には「道州特区」が迫られている。市町村合併に続く道州制論議は、政治・行政的には北海道が先行されることになっている。
 だが、道州特区の道しるべとなる政府の「道州特区法案」は、北海道の主体性を保障するものとはなっていない、まやかしの法案と行政学者らがこき下ろしている。
 自民党幹部が張り付くように応援する腹の内には、中央の支援なくして北海道の振興は期待できないとの思いがあるようだ。北海道の自立どころか、中央直結を志向している。
 国と地方の税財源に関する三位一体改革で、地方はゼロサムどころか、年々減り続ける地方交付税の削減によって自治体は「マイナスサム」の状況に追い込まれている。
 「バラ色の分権」よりも、当座の「生活費」に窮する自治体を動かした知事選ではなかったか。
 高橋は福岡の麻生と同じ経産省出身の官僚だ。減り続ける自主財源の中で経産省ネットワークはここでも効を奏したようだ。
 国政からの転進とはいえ、反自民のトップが誕生すれば中央との関係もギクシャクしかねない。地方分権が求められる中で、今回の北海道知事選は理念と現実の狭間に表れた「本音」と言えるかもしれない。
(文中敬称略 07年4月10日)