【安倍首相退陣】(2007年9月12日)

 安倍首相が辞意を表明した。
 2日前早朝、豪州でのAPEC首脳会議から帰国、同日に所信表明演説をしたばかりだ。参院選惨敗を受けての臨時国会開幕だから、相当荒れる国会になるだろうとは思っていたが、所信表明を受けての各党の代表質問が始まる直前での辞意である。誰もが驚き、そして辞意のタイミングの悪さに怒るのも当然だ。
 何ゆえの辞意表明なのか現時点では分からないが、本人が午後2時から首相官邸の記者会見室で語った限りでは、「テロ特措法」の延長問題で参院の多数を確保した野党民主党の小沢一郎代表との党首会談の申し入れを断られ、「局面を転換する必要がある」から辞めるということだ。
 参院選後の度重なる外遊の疲れもあるのかもしれない。会見の表情は、いつもの饒舌もなく、視点が定まらない。目が潤んで見えたが、相当精神的に参っていたようだ。
 記者団の質問は容赦ない。だが、応える首相の言葉は「局面を変えたい」と言うだけで、何を言っているのか分からない。
 仮にも一国の総理・総裁たる者が、政局の最大のヤマ場となる臨時国会の号令がなったとたんに身を引きたいという。
 ごく普通の社会人でさえ許されない行為を、首相たるものが臆面も無くやってしまうなど、憲政史上も例がない。
 彼は1年前、党内の圧倒的多数の支持で自民党総裁選を勝ち抜き、首相の座を射止めた。「自民党をぶっ壊す」とがなり立てて登場した小泉純一郎首相の後継として、真近かに迫った参院選の「顔」として期待され、本人も相当な気合を持って登場した。
 「戦後レジームからの脱却」を掲げて憲法改正、教育改正、そして「美しい国」を目指そうと国民に語り掛けた。
 祖父岸信介は日米安保条約を改正したが、安保騒動の混乱の責任を取って辞任。父の安倍晋太郎は首相を目指したが病魔に冒され逝った。
 安倍首相は、祖父や父の生きざまを若い自分が再現しようとの気負いがあったのかもしれない。だが彼の場合、「育ちの良さ」は政治家としての資質を膨らませることはなかったようだ。
 毛並みの良さからなのだろう。派閥の中でも「傷がつかない」ように周りが泥を被るようなことが再三見られた。自民党幹部として、また官房長官として陽のあたるポストを無難にこなしたが、官僚の目には最後まで「坊ちゃん」だったという。
 党総裁・総理となったタイミングも決していいとは言えなかった。
 小泉改革で壊れだしたシステムは社会的格差を生み出したし、官と民、大都市と地方の格差や歪みは、より大きな政治指導者を必要としていた。
 そんな状況に安倍政権が誕生したのである。
 安倍氏の若さを心配する声がなかったわけではない。だが、政治とは「一寸先は闇」だ。今あるチャンスを手放すことは、敗北につながることもある。
 安倍官邸は世間を知らぬ若造の集まりと揶揄され、官邸そのものの存在感も発揮できなかった。側近として作戦参謀であるべきものがその任を忘れ、いがみ合うようでは誰も信用しない。
 首相は会見で、自らの決断を国民に謝ることをしなかった。女々しく、「党首会談を断られた」ことを繰り返すだけだった。
 問題は、こんな首相を誰が選んだかである。派閥の幹部クラスが、寄ってたかって安倍応援団を結成したことを忘れたわけではあるまい。
 日本の政治の後進性を思わざるを得ない。
(2007年9月13日)