【分権の論点・争点】

◎政治の体たらくと分権

 発足して半年だというのに、福田内閣の支持率は「黄信号」どころか「赤信号」に近付きつつある。理由はいちいち挙げるまでもない。
 D(道路)N(日銀)A(あたご=イージス艦事故)といった問題への対応は目を覆わんばかりだった。
 昨年暮れ、どうにか決着にこぎつけた薬害肝炎患者の救済問題は、与党有力議員のリードでどうにか顔をつぶさないで済んだが、一連の問題への対応にその教訓が少しも生かされていない。
 傍目にも姿が見えない改革の欠如に加えて日銀総裁人事の漂流は、混迷する世界経済の中で日本政府に対する信頼度を著しく低下させ、市場での「日本売り」を招いた。
 経済閣僚や政府首脳が「市場の過剰な反応」と不快感を表したところで、マーケットは聞く耳を持たない。経済の冷徹な現実を突き付けられながら、なお自己弁護に走る政治を世界がどう見るか説明する必要もない。

内閣の危機管理が機能しない醜態は結局、日銀総裁の不在を現実とし、イージス艦衝突事故は、最も危機管理を求められる防衛省の能天気な実態をさらけ出した。
 海上保安庁の捜査、そして防衛省の事故中間報告で明らかなのは、同省の驚くべき状況判断の悪さである。肝心の高官の責任があいまいだし、中間報告で事故の幕引きなどは決して許されない。

道路財源問題は、執筆時点ではようやく与野党協議が動き出しただけだ。
 この稿が目に触れるころには方向付けが決まっているかもしれないが、道路整備中期計画がいかにずさんで、その事業資金の道路特定財源が、およそ道路整備とは無縁なデタラメな使われ方をしてきたかが浮き彫りとなった。
 国の公共事業の大半を仕切る国土交通省という、巨大官庁の「神輿」に座る冬柴国交相の国会答弁は官僚が敷いたレールを走るだけで、連立与党として官の悪弊を正そうとする意欲は微塵もない。
 そして、「防衛おたく」と言われる石破防衛相にしても、大臣資質と防衛知識は別次元であることを見せつけた。
 さらに救い難いのは、閣僚を統べる首相が傍目にも自ら乗り出して事に当たろうとした気配が感じられなかったことだ。
 つまり、政治、行政面での危機管理が国民にはほとんど伝わってこなかった。いや、ないに等しいと言った方がいいかもしれない。

翻って、私たちが直面している第2次分権改革は、こんな政治状況の中で進めなければならないという現実である。どう乗り切るのか。
 司令塔なき政治を見透かしたように、地方分権改革推進委員会が中央省庁に求める国と地方の事務の仕分け、出先機関の地方移管に各省はゼロ回答を続けている。
 分権論議も第一次分権改革で積み残された重要課題が脇に追いやられ、「脇道の話が重要課題になっている」(西尾勝・東京市政調査会理事長)。道州制論議にいたっては、百花繚乱と言えば聞こえはいいが、理念も目指す姿も勝手気ままのごとき状態だ。

地方6団体の存在はいかにあるべきか、が問われて久しい。
 6団体は政治的な「圧力集団」であるべきだ、が私の持論だ。政治・社会状況に併せた組織でなければならいのは当然だが、今の時期をどうとらえるかで行動様式もおのずと決まる。その日暮らしの永田町を眺め、定番の要請書を手渡すだけでは能がない。
 「国と地方は対等・平等の関係」などとのんきなことを言っていないで、互いの違いを乗り越えて国に向き合う危機感を地方団体こそ持つベき時である。

(分権型政策制度研究センターの「ニュースレター」No16、「分権の論点・争点」)
(08年3月31日)