世界遺産に登録された熊野古道・伊勢路の馬越峠にて
(2006年10月)
(注)本稿とは関係ありません。

【再び道路特定財源】

◎分権の視点を忘れたか

 500人を超す首長や地方議員らが来賓の国会議員を迎えて開いた、道路特定財源維持、ガソリン税の暫定税率継続を求める大会は、さしずめ道路戦争の「決戦前夜」の熱気がみなぎっていた。
 この8日(2月)、東京・永田町の憲政記念会館で開かれた全国知事会など地方6団体による「道路財源の確保」緊急大会のことだ。
 ガソリン税暫定税率問題は衆参両院議長の調停でひとまず休戦、与野党は3月の今年度末に向けて態勢の立て直しを進めている。緊急大会は道路問題の腰砕けを食い止め、自民・公明両党を後押しするだけでなく、攻勢を強める野党包囲を狙った。
 大会は「年度内の関連法案の成立」を求める決議を満場一致で採択した。暫定税率の廃止や道路特定財源の一般財源化は、道路建設やその整備をできなくするだけでなく、今や誰の目にもはっきりした地方の地域間格差を一段と拡大させるものだと断じている。

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 確かに暫定税率が廃止され、さらに3月末で期限切れとなる地方道路整備臨時交付金もなくなると、地方は計1兆6000億円の減収となり及ぼす影響は大きい。
 民主党が示している財源対策は、必ずしも明確でない。自治体の裁量に任せると言ったところで、本来道路に充てられなければならない財源が、福祉や教育に回さざるを得ない事態も十分予想される。だから、地方の危機感は広がる一方だと地方団体は主張している。
 地方自治体のほとんどの首長から暫定税率の継続、道路特定財源の維持を求める「自筆」の要請が国交省に届いているという。
 政府、与党が野党の言い分に耳を貸さず「道路」「道路」を繰り返すのは、そうした首長らの「世論」があるからだ。
 だが、大多数の首長の地元の意見はどうか。
 例えば、首長の考えが自治体の見方と同じなのかは疑問がある。現に、自治体の企画・財政部門の中堅職員の意見は「暫定税率の見直し」を含めて、道路特定財源の地方への移譲である。
 マスコミが「首長の意見」だけを大々的に報道することへの批判があることも事実である。なぜ、私たちの言い分が報じられないのかといった不満も聞かれる。

昨年暮れに閣議決定した道路整備中期計画は10年間で59兆円の財政投入を想定している。この閣議決定は、1987年に閣議決定した全国の高規格道路1万4000キロ建設をすべて盛り込み、小泉首相が計画縮小を示唆した整備計画は元に戻された。
 つまり、昨年暮れの閣議決定の「10年、59兆円」と「1万4000キロ」を基に政府、与党の道路整備計画があるのである。
 この数字を根拠に自治体は地方道路の整備計画を作成している。だから、整備計画が不透明になる道路財源の見直しには猛反発するという図式ができる。これは、国が描いた青写真を基に自治体の計画が策定されるということである。
 この、最初に国があって地方がこれに続く図式が地方分権の視点から問題提起がなされないのが不思議だ。道路整備は別だとは言えない。
 財政が先進国の中で最悪の日本がいまなすべきことは財政再建である。そのために何をなすべきかは明確だ。カネのない国が「あれもこれも」やるのではなく、多少の不安があっても地方に仕事を任せる。財政危機の今こそ、その好機と捉えるべきである。そのための権限と財源を地方に移譲することで、国は身軽になるだろう。
 こんな話は第1次分権改革当時から言ってきたことだ。あらためて言うのも気が引けるが、忘れてはならないことだから記しておく。

国が作った整備計画に無駄が多く、かつ、事業の実施が計画を大幅に下回っている現実は明白だ。10年間で59兆円もの事業費を要する計画が妥当なのか。仮に事業費の59兆円が「上限」だ、毎年の予算編成時に必要性をチェックするなどと言ってみても、数字が独り歩きすることはこれまでも度々あった。
 道路は立派なことに越したことはない。その土地に住む人は誰だって、そう思う。だが、その仕上がりが「過分」な出来上がりになっていないか。半面、日常の生活に響く、いわゆる生活道路の整備がおろそかになっていないか。
 地域の話を聞くと、求められているのは「贅沢」な道路ではない。災害時や緊急な医療に応える中山間地の「命の道」である。

 大都市の住民にとっては無駄と思える道でも、公共交通機関が未整備な地域では車に頼らざるを得ない。高いガソリン代は生活を圧迫している。暫定税率をこのまま続けることは、政府、与党が言う「受益者負担」の一言で片付けられるほど単純ではない。
 財政、権限で国のがんじがらめの状態からの脱却が、地方分権のそもそもの始まりだったはずだ。永田町、霞が関への陳情は、補助金確保、公共事業の優先着工に欠かせなかった。カネ目の話に限らない。霞が関からは常時、官僚が出向、自治体のお目付け役を果たしてきた。「地方の人材不足」が理由とされた。
 その長い慣行が地方を従属的にしてきたし、国と地方は「主従」の関係で行政の仕組みが出来上がっていた。その不健全な行政の仕組みを革命的に見直すのが、地方分権改革そのものである。

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 道路財源問題はこれからが本番だ。仕切り直しになった国会論議で、道路特定財源の不適切な使われ方が浮き彫りになっている。地方6団体の最近の動きは、客観的に見て政府、与党に「都合よく」利用されている。
 福田首相をはじめ、政府、与党幹部は道路財源問題で、ことさら「地方のため」を口にしている。選挙が近いという政治的配慮があるからだろう。地方団体は今こそ分権的な視点で道路問題を見詰め直し、政府、与党に注文を突き付ける主体性を持たないと、政府、与党の別働隊として体よく利用されるだけで終わってしまう。
 「勝負」には、幾つかのタイミングがある。
 三位一体改革は納得できる成果を得ることはできなかったが、「闘う知事会」を政府に印象付けることができた。道路財源問題は、降って涌いた問題ではない。小泉内閣当時から表れていた地方にとって放置できない課題だった。
 それが、理由はどうあれ懸案として論議されることはなかった。
 道路特定財源問題は、地方6団体がこれからの第2期分権改革を実があるものとするための試金石になるかもしれない。戦略的な行動を見せてもらいたい。(08年2月9日)