【文化力】

◎改革だけではない。地域の絆を呼び戻そう


 三重県伊賀市の三筋町の路地から見る夕暮れ時の上野城跡は、町並みと一体となったその姿が何ともいえない情緒がある。町中は昔と変わらない区画が残り、県内市町村では初の景観行政団体となって後世に引き継がれる。
 いま、全国でまちづくりに歴史と伝統を蘇らせようという試みが盛んだ。地域に、そして生活の場に、その土地ならではの文化の息吹を呼び戻し、生活に潤いが生まれれば、おのずと町は元気を取り戻して活性化する。もちろん、歴史と伝統だけではない。シャッターを下ろしてしまった商店街の店が、若者の斬新な発想で蘇った例も各地で見られるようになった。新しい文化の創造も役立っているのである。

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 三重県四日市のホテルで11月中旬開かれたシンポジウム「地域文化のちから」の裏方を務めた。シンポジウムは5月に次いで2度目だ。1回目は経済大国になった日本の歩みを財政学者の東京大学の神野直彦教授に「経済」の側面から検証してもらった。それを受けた2回目は、「政治」が「文化」とどのようなかかわりを持って今日に至ったか。さらに今後どのような道を進むべきかを政治評論家、政治学者、ジャーナリストらに論じてもらった。
 シンポジウムが狙った「文化」は、芸術文化といった学術・専門的で狭義の文化ではない。ごく普通に我々の身の周りにある生活文化、言い換えれば生活の中に染み付いた感性といったものに焦点を当て育てようという試みだ。
 それが何故、「経済」であり「政治」と結び付くのかという疑問があるかもしれない。現に、シンポジウムのテーマを決めるに際して、とりわけ「政治」に対する異論は予想以上に多かった。文化と政治は結びつかない―といった「異見」だ。


 簡潔に説明しましょう。
 
 戦後わが国は高度経済成長、列島改造、石油危機、バブル経済の現出と崩壊など、政治も経済も「経済優先」で政策が組み立てられ実行されてきた。その結果が、何をもたらしたのか。世代、世代で体験したものは違うが、共通しているのは文化の視点が国の施策から切り離されていたことである。
 石油危機当時のトイレットペーパー騒ぎ、バブル期の「1億総投資家」「地価の狂騰」などを思い起こしてもらえれば、当時がどんな時代であったか明白だ。つまり、地域が、個が最も大切にしなければならない「感性」や「心」が、どこかに追いやられてしまっていたのである。
 ただ、高度成長期以降の歴代内閣の中で、文化施策に強い思いを持っていた政治家はいた。その人は大平正芳首相だ。大平首相の在任期間は197812月から806月と短かい。その任期で大平首相が提起した問題は後の政治に大きな反省を促すことになる。
 大平氏は首相就任から1カ月後の第87回国会の施政方針演説で、急激な経済成長で物質文明は限界にきたとして、経済中心から「文化重視」の時代に入ったとの認識を示した。そして、翌年の第88回国会でも「これからの社会の進路」として「文化の時代」を表明する。さらに、病に倒れる5カ月前の第91回国会では、既存の制度に限界がきているとして「民族の伝統と文化を生かした日本型福祉社会の建設」「潤いのある人間関係の創造に努める必要」を訴えている。「既存の制度の限界」は、今の地方分権改革に通じるものである。
 残念ながら大平首相が夢見た「文化の時代」は、提起した時代が早すぎた。政策ブレーングループさえも首相の意図を理解できず、死後、回想録を整理する中で、その先見性に気付いたという。

 政治がいかに文化と密接なつながりを持っているかが分かってもらえたと思う。問題は、そうした先輩宰相の気持ちが国政の場で継承されていないことである。
 大平後の政権は、中曽根康弘首相を除けば短命政権の繰り返しだった。スキャンダル、政界再編にまみれた内閣が続いた。最たるは、90年代の「失われた10年」にその姿を見ることができる。

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 最初に紹介した「地域文化のちから」シンポジウムは、大平首相の精神を学ぼうともせず国政の舵取りを効率化、合理化の「改革」一本やりで突き進んだこの数年来の国政を、地方から問おうとするものである。
 
三重県の野呂昭彦知事は改革最優先の風潮に異を唱え、人の暮らし方、生き方を直視した行政が優先されなければならないと訴え、県のすべての政策の基本に「文化」を置いて今後の展望の指針としている。シンポジウムは、そうした県の文化路線を県民のみならず国民に広く知らせる企画と位置づけられる。
 三位一体改革が始まって以来、私たちは改革の潮流に否応なしに乗せられ、それが新しい地域づくりであり国づくりであると思い込み、地域の元気を回復する「手品」と思い込んできたようだ。
 しかし、いま冷静に思うことは全国に蔓延した「格差」が、私たちの地域を、生活に覆い被さろうとしている現実である。潤いをなくした改革から、大平首相が四半世紀前に言った「人間関係の創造」に立ち返ることが求められているのではないか。

 文化とは、難しい理屈をつけた政治用語でもなければ、行政用語でもない。最も原始的で、当たり前の日常生活の基本を呼び戻す、極めて素朴で単純な庶民の言葉である。しかし、この文化の大切さに気付き感性を育むことは容易ではない。短期間に醸成されるものでもない。「官製」の文化ではなく、下から積み上げられたものを行政が粘り強く支援し育てる形が望ましい。
 文化論はにぎやかだが、全国知事会も含めて地方6団体で真の文化路線を歩みだしているのは
三重県だけのようだ。まだまだ小さな動きだが、先駆的な挑戦である。(0712月20日)

(注)「地域文化のちから」シンポジウムの概要は、三重県の政策情報誌「地域政策」08年新年号に掲載されます。参考にしてもらえれば幸いです。問い合わせ先は三重県職員研修センター、電話059(224)2767。