菰野町・湯の山温泉の音と炎の祭典
「僧兵まつり」の呼び物「火炎みこし」
(湯の山温泉協会提供)

菰野町

◎キーワードは温泉との連携

 僧兵姿の男たちが担いだ神輿は、燃え盛る松明が闇夜の周囲を赤々と照らし出しながら三岳寺を出発した。担ぐ者数十人、その前後には30人ほどの僧兵が担ぎの出番を待っている。
 昨年10月催された菰野町・湯の山温泉の音と炎の祭典「僧兵まつり」の最大の呼び物「火炎みこし」は、僧兵たちの「セイヤ、ソイヤ」の掛け声が、炎に駆られるように野太い大合唱となった。
 山腹の三岳寺から、くねるような狭い山道いっぱいに坂を下る神輿の台座に据えられた松明は、松の木を細かく刻んで作った長さおよそ1b、約100本が、それぞれの樽に取り付けられて炎を噴き上げている。わずか3bほどの山道を、せり出す木々を焦がしながら荒々しく進む炎の固まりは、その昔、荒行に心身を鍛えた僧兵を蘇らせる。

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 菰野町三重県の北勢部に位置し、ほぼ四角形をしている。町の西側は鈴鹿国定公園に指定され、御在所岳を起点とする三滝川、そして朝明川の扇状地にできた緑豊かな田園風景が広がる農業の町だ。肥沃な扇状地で盛んだった農作物、花き・園芸も今は農業従事者の高齢化、後継者不足で深刻な状況にあるという。

昨年春の統一地方選で当選した石原正敬町長は全国最年少の町長である。
 若さを馬力に町政改革に取り組み、土地利用計画や道路整備計画に関係する事業部門を集約した都市整備課の設置や住民参加のまちづくりの仕組みを模索している。

 というのも、菰野町の今後期待を持たせる高速道の整備計画が動き出したからだ。
 第2名神高速道のインタチェンジの設置が決まり、完成すると東海環状自動車のネットワークで名古屋を中心とした中部圏との連結が実現するほか、国道477号バイパスが供用されると、四日市港へのアクセスも確立する。観光、物流面で多くが期待できると町当局は期待している。
 とはいえ町の現状は、商店街は農業と同じように後継者がいないなどの理由や幹線道路沿いに進出する店舗が増えて、従来の町の中心部が衰退している、と商工会幹部は嘆いている。商工会は理事会で町長とまちの活性化について本格的な議論を始めている。

従来の中心部が元気をなくし、郊外店舗に客が集まるのは、近年、全国どこでも見られる。菰野町も商工会も期待するのは、温泉地として全国に知られた湯の山温泉との連携だ。鈴鹿国定公園に組み込まれた温泉郷、御在所岳などの観光資源と組み合わせた地域資源活用、再発見である。
 だが、言い換えるなら、町から遠く離れた湯の山温泉、御在所岳の観光資源なくして菰野町の活性化は容易ではない。それだけに、幹線道路の整備に掛ける期待は大きい。

湯の山温泉協会の中心で、老舗の「寿亭」と「ホテル湯の本」の女将を兼ねる西田厚子さんは、近年の観光の難しさを話しながら老舗ならではの「もてなし」の大切さを静かに語った。
 寿亭は1881(明治14)年に建ち、これまで皇室、政財界の重鎮、文人などの著名人らが投宿した。大正時代には別館の松仙閣、対山閣を新築、望城閣、水雲閣と純日本風の離れが完成した。
 これらの歴史的な建物は贅を尽くした造りで、周りの風景を独り占めするよう設計されている。しかし、今は客を受け入れることはない。総料理長の大橋義信さんが案内してくれた水雲閣の入り口には、幾つもの王位戦、本因坊戦の対局写真が張られてある。ここは平成天皇が皇太子時代に美智子妃殿下とご一緒に訪れた部屋でもある。
 急峻な山に造られたそれぞれの望楼は保存建築物に指定された貴重な建築物である。近郷近在の人々が、かつて一生に一度は泊まってみたい宿であったと伝えられている。

僧兵まつりは、敵対した織田信長に焼き討ちされた天台宗三岳寺の僧兵の勇気をたたえる祭りだ。昨年の僧兵まつりは、神輿の炎に魅入られた1万人の観光客が全国からやって来た。例年をはるかに上回る観光客だった、という。
 岩肌がむき出た御在所岳の頂上に向かって昇降する、ロープウエーから見渡す伊勢湾と知多半島の光景は、海と山が織り成す天賦自然を目の当たりにさせた。
(2008年新年号)