【高校生シェフ】(多気町)

◎町おこしの仕掛けは人材

 三重県のほぼ中央部に位置する多気町は不思議な町だ。
 伊勢神宮参詣の街道筋にあたるため古くから開けた。京都、奈良、大阪と伊勢を結ぶ伊勢本街道、さらに和歌山と松阪を結ぶ和歌山街道が松阪市粥見で分かれ伊勢に向かう和歌山別街道、そして伊勢から熊野の聖地をつなぐ熊野街道の3つが町内を走り、幾つもの歴史的遺産が町の自慢である。
 もともとは農業と林業を生業とした第1次産業の町なのだが、近年は液晶関連で世界的企業のシャープの主力工場やロボット、半導体機器メーカーのダイヘンが立地、第1次産業と先端産業がうまく組み合わさった理想的な町に成長した。
 そして、今度は「クリスタルタウン」と銘打った総面積45ヘクタールほどの都市拠点を造成中だ。

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 多気町の名が全国に知られるようになったのは、県立相可高校の食物調理科の生徒たちが町ぐるみの支援で数々の優秀賞を受賞、地域活性化に貢献したことが大きい。
 地元の人たちだけでなく、噂を聞いてやって来る遠来の客をもてなす「まごの店」で出す、高校生シェフたちが地元産品を使った料理は多彩で味も申し分ない。
 もちろん、生徒たちは見よう見真似で調理をしているわけではない。大阪の有名な調理師専門学校の先生から相可高校に赴任した村林新吾教諭の指導と、多気町職員で地元ならではの地域活性化を求めてやまない岸川政之さん(現企画調整課主幹)の“仕掛け”があってのことだ。
 村林教諭と岸川さんは、それこそ「運命的な出会い」をしたという。
 6年前の2月、当時農林商工課にいた岸川さんが町の企画したイベントで、地元で取れる農作物を使った試食会を持ち掛けたのが始まりである。
 地元食材にどんな味付け、調理をするか考えた教諭の指導で出来上がった料理は、つま楊枝で味見する程度のことしか考えていなかった岸川さんが驚く「ホテルのバイキング料理」ようだった。
 2人の関係はさらに進んだ。
 多気町が原産地で素朴な風味と栄養価が高い「伊勢いも」を使った手延べ半生うどん「とろろ麺」は、大きな話題を呼び売り上げに貢献した。
 高校生シェフたちが一般の人たちを相手にした実践の場が「まごの店」である。調理の腕が上がっても接客やコスト管理は学校では学べない。店で客に叱られて、初めて接客の難しさが身に付く。

 生徒たちの朝は早い。村林教諭に付き添われて市場に買い出しに行き、授業を終えた後は課外活動で夜の7時ごろまで実習に励む毎日だが、生徒たちはめったに休むことはない。
 食物調理科ができて14年目を迎えたが、この間全国料理コンクールの入賞回数は180回を超した。全国の調理専門課程がある公立高校でナンバーワンの実績を誇る。
 「まごの店」は、江戸時代の寛文年間に時の藩主の命令で造られた灌漑用ため池「五桂池」に面する「ふるさと村」の中にある。自治会が運営する全国でも珍しい体験型のレジャー施設を備える。
 多気町の合言葉は「エイチ(英知)あふれる町」である。
 自由で夢あふれる発想で 地域が良くする「まちづくり仕掛け人塾」が昨年5月設立された。実際に活動しているプロデュサーがメンバーとなって8委員会をスタート、活性化の知恵を絞り出している
 長谷川順一町長は「皆が自由に活躍してくれる環境、その資源が多気町にはある」と、塾の設立を決断した。
 食料問題が重くのしかかっている。食の安心・安全も脅かされている。
 長谷川町長は言う。
 「自給自足、地産地消。どんなことがあっても、多気町で賄うことができる、そのため農業をきちんとしないといけない」「食の安心、安全。それができる循環型社会をつくるのが夢だ。質の高いスローライフができる環境をつくるのが行政の仕事だ」

 (08年夏季号)